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大宝律令(701年)で藤原不比等はノリノリ! 持統天皇は人丸の天雲でノリノリ

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前回までの日本史ブギウギは?】
天武天皇となった大海人皇子。
自らが中心となって政治を押し進めるものの、藤原京への遷都や、律令(法律)の完成を見ないまま崩御し、その後を継いだのが妻の持統天皇であった。
持統天皇は、同時に天智天皇の娘という血筋バリバリの権力者でもあり、まずは藤原京へ移動する。
そこに現れたのが、あの大化の改新を実現させた藤原鎌足の息子、不比等であった。
第9話、スタート!!!

律令(法律)の整備は、天智朝からの目標。
同天皇は「近江令」を発令し、さらに同事業は天武天皇による「飛鳥浄御原令」へと引き継がれながら未だ完璧とは言えず、しかも天武天皇は事前に亡くなっておりました。
もはやそれは持統天皇にとっても悲願と言えるもの。
天智天皇の娘であり天武天皇の妻でもあった彼女は、孫である軽皇子(後の文武天皇)へ託します。
そこに現れたのが、死の直前に藤原の姓を与えられた中臣鎌足の息子・藤原不比等でした。

 

天智天皇と共に大化の改新を押し進めた藤原(中臣)鎌足でしたが、次の天武天皇は、強力な皇親体制を敷いて、皇族中心の政治を進めたため、当初、不比等の権力はさほどのものではなかったとされます。
それが徐々に能力を発揮。飛鳥浄御原令の制定にも携わっていた可能性もあり、いわば律令のプロフェッショナルだったのでしょう。
また、自身の娘を天皇家に嫁がせて外戚としての力を振るう、後の藤原家の礎を築いていくのでした。

 

701年、大宝律令が完成しました。
唐に負けない法治国家を目指し、色々と苦労をしながら制定。軽皇子は即位して文武天皇となり、今でも大宝律令の制定は同天皇時代の出来事として、受験勉強の範囲でもありますね。
にしても不比等、目に見えて強気になっていっておりますw

 

「万葉集」の中で人気No.1のスター詩人・柿本人麻呂さん。
週刊少年ジャンプで言えば鳥山明先生みたいなもんですかね。実に、長歌19首&短歌75首もの作品が万葉集に収められております。
彼の作品で最も有名なのが、やはりマンガに掲載されている「大君は~」の一首でしょう。
見事なまでの持ち上げで、持統天皇にかなり贔屓にされていたようです。もともとは下級貴族だったと思われ、まさに「芸は身を助く」というやつですな。念のため意訳文も補足しておきましょう。

大君(おおきみ)は 神にしませば 天雲(あまくも)の 雷の上に いほらせるかも
【意訳】天皇は神様である。神であるがゆえに、天の雲の中で鳴り響いている雷よりも、更に上におりますことよ

 

著者:アニィたかはし

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武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)

 

 



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