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ローマ その日、歴史が動いた アフリカ

世界三大美女のクレオパトラ7世 実は性格美人だった!?

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交際相手を選ぶとき、顔と性格が大きな基準になるという人は多いでしょう。現代では性格派が多数派ですかね。

「歳を取ったら容姿は衰えるから、結婚相手ならやっぱり性格でしょ」というのが理由のようですが、実はこれ、世界三大美女として有名なあの人にもあてはまるようです。

絨毯の中からカエサルの前へ現れるクレオパトラ/Wikipediaより引用

絨毯の中からカエサルの前へ現れるクレオパトラ/Wikipediaより引用

紀元前30年の8月12日、エジプトの女王だったクレオパトラ7世が自害しました。一般的に美女として知られている”クレオパトラ”です。この名前は彼女が王を務めたプトレマイオス朝でよく使われる女性名で、固有名詞ではありません。

そのため歴史の本やホームページでは「7世」をつけて書くことが多いのですが、ここでは面倒もとい1~6世のクレオパトラに触れることはないので、「7世」は省略しますね。

 

天才カエサルが台頭するも

彼女はプトレマイオス朝の慣例の一つ・兄弟婚をし、弟のプトレマイオス13世と共同統治をしていました。

しかしときはローマ帝国全盛期、しかも天才ユリウス・カエサルが台頭し始めていた頃です。

クレオパトラはカエサルに近付いたほうがいいと考えましたが、諸々の事情でカエサルのライバルであるポンペイウスにつくことになりました。ポンペイウスの息子の愛人になったともいわれています。

一国の女王が他国のお偉いさんの愛人になるってすげえ話ですね。旧約聖書にシバの女王(多分アフリカの女王)がソロモン王(古代イスラエルの王様)に会いに来た話がありますが、一説にはそれっぽい関係になって子供が生まれたとも言われているので、古代の中東地域では珍しいことではなかったのかもしれません。

 

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実際は性格美人だったのでは

しかし、この動きが気に入らないのは夫であり弟であるプトレマイオス13世とその愉快な仲間達です。そりゃそうだ。そしてテンプレ通り反乱、クーデターを起こしてクレオパトラを首都アレクサンドリアから追い出してしまいました。

が、先日ご紹介したファルサルスの戦いでポンペイウスが敗走ののち暗殺されると、今度はカエサルが自らエジプトへやってきます。
といっても征服しようというのではなく、「アナタ達がポンペイウスについてたのは知ってるけど、私はどうこうするつもりはないから和解してほしいな(´・ω・`)」という用件でした。カエサル心広いな。

が、クレオパトラは首都から追い出されたままだったので、なかなかカエサルに会うことができません。そこで彼女は自らの体を絨毯に包ませ、従者に「クレオパトラからカエサル殿への贈り物です」と届けさせることによって王宮に忍び込みました。

一説には、クレオパトラはこのときバラの精油をふんだんにつけており、その香りと自分自身を手土産にカエサルと手を組んだとか。

「美女だったから上手くいったんでしょ」

と思われる向きもあるかもしれませんが、どちらかというと実際のクレオパトラは性格美人に近かったようです。

というのも、彼女の肖像は硬貨に刻まれた横顔しか見つかっていないからです。妹が美人だったことは間違いないようなので、姉のクレオパトラも美人だった可能性は高いですけどね。鼻が低くても綺麗な顔の人はたくさんいますし。

たとえ美女でなくても、その話術によってカエサルが味方したことは間違いないのですから、やはり性格はいいほうだったのではないでしょうか。
男性を渡り歩いているあたり悪女とも取れますが、自分の国の地位を保つためには「使えるものは何でも使え」と考えるしかない状況なので、いい悪いという話でもない気がします。

 

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苦肉の策でカエサルの後継者へ近づく 

当然のことながら、またも他国の権力者と関係を持った姉であり妻に対し、プトレマイオス13世は怒り心頭。しかしカエサルには力及ばず、ナイルの戦いで命を落としました。

プトレマイオス13世の側から見ると、裏切られ続けてさぞ無念だったでしょうね……。

その後クレオパトラはカエサルの庇護を受け、もう一人の弟プトレマイオス14世と再度兄弟婚をして女王に返り咲きます。さらにこの間、カエサリオンという子供を産みました。名前の通り、父親はカエサルと見られていますが真相ははっきりわかりません。

一緒にローマへ行っているので、カエサリオンという名前の子供がいたことは間違いないんですけども、まあ当時はDNA鑑定とかないから仕方がない。

が、このローマ滞在中にカエサル暗殺事件、通称「ブルータスよ、お前もか」が起き、慌ててエジプトへ帰ることになりました。後ろ盾がなくなったクレオパトラはローマ帝国内での地位を保つため、苦肉の策としてカエサルの後継者候補だったアントニウスに近付きます。

アントニウスとの間にも三人の子供をもうけており、いかに彼女がローマ帝国にしがみつこうとしたかがわかりますね。

が、その後もう一人の後継者候補・オクタウィアヌスとアントニウスの間で戦が起こります。前者がローマ帝国軍、後者はアントニウス一派とエジプト軍だったので「ローマvsエジプト」と見てもいいでしょう。
決戦の地はギリシャ沖のアクティウム。船や兵の数は互角でしたが、結果的にはオクタウィアヌスが勝ちました。クレオパトラは先に戦場を脱出し、アントニウスがその後を追って二人ともエジプトへ逃げ帰ります。

 

コブラに噛ませて自殺・・・って、本当なのかな?

当然ローマ軍は追いかけてきますが、もはやエジプト側に勝ち目はなく、一時「クレオパトラは自害した」との噂が流れました。敗戦直後で混乱していたらしきアントニウスは、これを知って後を追うように自分も自害。

が、実はこの時点ではクレオパトラは死んでいませんでした。(ノ∀`)アチャー

彼女がアントニウスの誤解を解こうとしたときには既に手遅れ。息を引き取ったことを確認したクレオパトラは、オクタウィアヌスに屈することを拒んでやはり自殺します。

「コブラに自分を噛ませて」

だと言われていますが、そんな都合よく噛むんですかね?

クレオパトラ七世自殺

クレオパトラの死/Wikipediaより引用

その後追ってきたオクタウィアヌスによってエジプトはローマ帝国に編入され、プトレマイオス朝は滅びました。カエサリオンはこのとき殺されてしまいますが、オクタウィアヌスはクレオパトラの遺言を一つだけ守っています。

それは、「アントニウスと同じ墓に入りたい」というものでした。彼女が本当に愛したのがアントニウスだったからなのか、それともオクタウィアヌスに辱められるのが嫌だったのかはわかりません。

ちなみにこの二人のお墓、現在でも見つかっていないとか。それっぽい候補地はあるようですが、あまりにも広すぎて調査しきれていないようですね。

詳しくはこちらをどうぞ。

埋葬させたのはオクタウィアヌスでしょうから、彼が何かしら記録を残させていてもいい気がしますが、どうなんですかね。

個人的には、「敵の愛人」の願いを叶えてやったオクタウィアヌスの心境を知りたいなと思いますけども、日記とかないっぽいので無理でしょうねえ。

 

 

長月 七紀・記

 

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参考:クレオパトラ七世/Wikipedia

 




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