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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

各藩でバラバラだった日本の法整備を進めたギュスターヴ 元を辿ればナポレオン!?

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国民性やお国柄って、普段意識することは少ないですよね。ニュースなどでは「だから日本は外国と比べてダメなんだ」みたいな話もよく見ますけれども。
そんなときこそ一昔前のことや、歴史上のあれこれを見たほうがわかりやすいのかもしれません。
本日はその一例……かもしれない、とある制度のお話です。

1825年(日本では江戸時代・文政八年)6月7日は、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードというフランスの法学者が誕生した日。

世界史嫌いの方は、この名前段階で食わず嫌いとなってしまいそうですが、話は明治維新後の日本が舞台となりますので、できれば続けてスクロールしてくだせぇ。

ギュスターヴさん/wikipediaより引用

 

ナポレオンの功績は「法制度の整備」が一番かも

ギュスターヴは、もともとパリ大学で法学の教授をしておりました。父親も同大学の教授だったそうなので、頭の良さは親譲りだったのでしょう。

そこへ明治政府が「うちも近代国家らしい法律を作りたいので、いろいろ教えて下さい」(意訳)と打診して、来日してくれたのが最初です。
ただでさえ法律を作るのには時間がかかりますし、ギュスターヴは来日時点で48歳でしたから、それなりの覚悟を決めて来たのでしょう。

フランスではナポレオンの時代に法制度が整備されており、ヨーロッパの国の手本となっていました。あんだけ派手に革命やら戦争やらやっといて、そんな立ち位置になれたのは不思議なものです。
それまでフランスでは王様の命令・慣習法・判例をひっくるめて「法」という扱いにしていたのですが、ナポレオンがそれらを統一すべく、明文化した法律を作ったのです。

ナポレオンというと、どうしても軍事的な話に行きがちですが、実はこの「法制度の整備」が一番の功績かもしれません。何せ、「ナポレオン法典」と呼ばれる民法は、現在のフランスでも現行法ですから。
余談ですが、ナポレオンが決めた法律全般をひっくるめて「ナポレオン”諸”法典」といいます。細かすぎてテストに出るか出ないかビミョーですけれども、覚えておくとちょっと得するかもしれませんね。

話をギュスターヴと日本に戻しましょう。

ナポレオン・ボナパルト/wikipediaより引用

 

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江戸時代から続いていた拷問廃止を主張

江戸時代には、各藩がそれぞれに罰則を設けて司法をしていました。しかし、中央集権国家になったからには、刑罰を統一しなくてはなりません。
また、江戸時代には自白させるために多種多様な拷問が用いられていましたが、これはギュスターヴに反対され、廃止になっていきます。

実際に廃止されたのはギュスターヴの帰国後ですけれども、お雇い外国人の中で拷問廃止を主張したのは彼だけだったそうですから、功績といっても過言ではないかと。

そんなこんなで各地の調査や日本側との話し合いを重ね、草案ができたのは1890年(明治二十三年)のことでした。ギュスターヴの来日から10年後のことです。

結論を先に言ってしまうと、この起草がそのまま使われることはありませんでした。

が、日本の学者がこれを元に民法の研究を行い、ギュスターヴもまた日本における法学教育に注力してくれたおかげで、日本人自身が法律を作る下地ができていきます。
その他、明治期における外交アドバイザーとしても日本に協力してくれました。

 

近代日本がいかに儒教の影響を受けていたか

法律の区分としては自然法・慣習法・大陸法・英米法などいろいろあります。その辺の説明をしだすと多分この記事を最後まで読んでくださる方がいなくなってしまうので、ここでは省略しますね。

今回は、明治時代の法律と、現在の法律で何が違うのか、刑法で比較してみましょうか。

今まで民法の話をしてたのに、何でここでいきなり刑法にするかというと、たぶん一番わかりやすいからです。だいたい「◯◯したら××の刑。ただし次のような場合は例外は認める」といった定型文ですし、法律の種類が違っても、何がどう違うのかという雰囲気はつかめるかと思います。
あと個人的な趣味ですサーセン。

明治刑法は、フランス刑法をモデルとした草案をもとに、ドイツを中心とした他国の要素を取り入れて作られました。もちろん、そっくりそのまま同じではありません。日本の文化や風土に合わせて、いくつかの改変が加えられています。
当たり前っちゃ当たり前ですけれども、これによって法学的にも歴史的にもポイントになる点が見えてくるのです。

それは、「近代日本がいかに儒教の影響を受けていたか」という点です。

皆さんご存知の通り、儒教は江戸時代中期に日本に入ってきました。まず武家に広まり、その後一般人にも浸透。それから明治までの百数十年の間に、儒教にもとづくさまざまな価値観や習慣が根付き、法制度を整える上でも無視できないほどになっていたのです。

「西洋に追いつけ追い越せ」
「日本には歴史がない。だから西洋の習慣や制度をガンガン取り入れなくてはならない」

そんなモットーの明治政府ですら、その影響から脱することができないほどに儒教は人々の生活に根付いておりました。
また、ギュスターヴも「日本の風土に合った法律にすべきだ」という考えを持っていたため、儒教的な考えが多く盛り込まれたものと思われます。

以下、便宜上明治時代にできた刑法を「明治刑法」、現在使われている刑法を「現行刑法」と呼ばせていただきます。
明治に作られた法律は当然の事ながら旧仮名使いで読みにくいので、ご興味のある方だけググる先生にお尋ねください。ここでは、ざっくりと両者の相違点のみを挙げさせていただきます。

 

明治刑法と現行刑法 代表的な違いはココ

例えば、犯罪者の年齢・性別について。
明治刑法では犯罪者が「何歳か・男女どちらか」かという点を加味して、刑の加え方が異なっています。第十五・十八・十九条あたりが顕著です。

現行刑法では、年齢・性別だけを理由として刑が変わることはありません。
似たようなものとしては、第四十一条の「十四歳に満たない者の行為は、罰しない」がありますが、その他年齢・性別に関する記述があるのは、性犯罪の被害者についてのみです。
現行法では「少年法」によって細かい規定がありますので、大本の刑法に書いていないだけかもしれません。

また、老人だからといって刑の減軽はなく、(建前上は)老若男女平等になっていることがわかります。
とはいえ、これを逆手に取って「生活が苦しいからわざと捕まりました」なんて人もいるわけですが……。

また、明治刑法と現行刑法を分ける上で、決定的な事件がありました。

1973年の「尊属殺法定刑違憲事件(そんぞくさつ ほうていけい いけんじけん)」です。

公民の授業で必ず習うものなので、ご記憶の方も多いでしょうし、当事者の方がおそらくご存命かと思いますので、ここでは詳細を扱うことはしません。※1
これも「明治時代にいかに儒教的な道徳が尊ばれており、戦後数十年経っても強く影響を残していた」かがわかる事例ですよね。
尊属殺人罪が刑法から正式に削除されたのは、刑法の条文が現代仮名遣いに改正された1995年のことですし。

お偉いさんいわく、1950年代後半には「日本はもはや戦後ではない」ということになっていました。しかし、こういった点からすると、日本の「戦前」「戦中」「戦後」はまだまだ終わっていないのでしょうね。

まあ、古い文化を否定することだけが近代化ではないのですけれども。難しいところです。

長月 七紀・記

※1 刑法第200条に規定された「尊属殺」の厳罰化規定が、日本国憲法第14条(法の下の平等)に反し、違憲判決が下された殺人事件。栃木県矢板市で当時29歳の女性が、近親姦を強いた当時53歳の実父を殺害した事件で、「栃木実父殺し事件」「栃木実父殺害事件」などと呼ばれる

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参考:ギュスターヴ・エミール・ボアソナード/wikipedia フランス法/wikipedia 刑法_(日本)/wikipedia 尊属殺/wikipedia 尊属殺法定刑違憲事件/wikipedia

 



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