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ビーバーの奪い合いでセブン・オークスの戦い!英国商人vs地元商人&地元部族

1816年(文化十三年)6月19日は、カナダ西部のマニトバ州で「セブン・オークスの戦い」と呼ばれるドンパチがあった日です。

「戦い」というと国同士の武力行使を連想しますけれども、この件についてはそうではありません。

セブン・オークスの戦いを一言で表すと、こうです。

イギリスの毛皮商人ハドソン湾会社
vs
地元の毛皮商人北西会社&地元民メティ族

三者の思惑が絡み合って武力行使にまで発展し、死者が出た事件。
まぁ利権を巡っての争いですね。

現代からすると考えられない話ですが、そもそも争いのきっかけになった毛皮貿易もアレな感じなので、「あぁ……」と言うしか……。
まずはその辺の話からいきましょう。

 


乱獲で絶滅寸前に追い込まれたビーバー

日本では幕末前夜のこの時代、ヨーロッパではビーバーの毛皮が非常に重宝されていました。

元々寒冷地であるカナダへの入植が進んだのは、ヨーロッパで好まれる魚のひとつ・タラ漁のためで、そのうち毛皮の需要が増ししたのです。
ビーバーのなめし革製の服――インディアンたちが着ていたのがキッカケでした。

北大西洋の寒風にも耐えうる素材を、ヨーロッパの人々は皆欲しがりました。

当時は寒冷な気候の小氷期ですから、やむを得ないことではあるのですが、結果、ビーバーの乱獲に繋がります。

ビーバーの巣/photo by Bridesmill wikipediaより引用

では、工業的にはどれぐらいの需要があったのか?
というと、イギリス紳士の象徴であるシルクハットに使われていたくらいです。

あれは元々、ビーバーの毛皮で作られたビーバーハットというものでした。

シルク製になったのは、ビーバーを獲りすぎて絶滅が危ぶまれてからだと言いますから、その獲り方の乱雑さがうかがえますね。
それなら始めからシルクで作れや、と。

寒冷なヨーロッパや北米で、より質の良い毛皮が求められるのはわかります。
ただし、一つの生物を絶滅寸前まで追い込むのは非道としか言いようがありません。

キリスト教的には「この世の全ては神様が人間のために作ったもの」ですから、そういう考えになるのも仕方ないですし、私自身が日本に生まれたからそう思うのかもしれませんけどね……。
まぁ、今もスポーツハンティングやトロフィーハンターなんてものがあるくらいです。

話を戻しましょう。

 


「最初から法廷で争えば、死人0で……?」

ビーバーの毛皮をめぐり、激しい争いを繰り広げていたのが、ハドソン湾会社と北西会社。

そんな最中、カナダでは毛皮商人が多く立ち入るようになり、食料の確保が怪しくなってきました。

これを解決するため、一部のエリアで食料の輸出が一時取りやめられます。
そりゃ、普通は外国より地元が大事ですよね。

しかし、この「外国」扱いだった中にメティ族の居住区域も入っていたため、彼らは食料の確保に困ってしまいました。

そこへ北西会社が
「これはハドソン湾会社の陰謀に違いない! 俺たちを追い出して利益を独占するつもりなんだ!!」
と言いがかりをつけます。

あまりにも無茶すぎて、食料の輸出禁止を決めた知事マイルズ・マクドネルが辞任したほどです。どんだけー。

その後、アメリカ人実業家のロバート・センプルという人が知事になったのですが……現地の事情も毛皮商人のことも知らなかったため、余計に話がこじれてしまいました。

そして1816年6月19日、口論の末に銃撃戦が勃発。
センプル含めハドソン湾会社側が22人、メティ族と北西会社が1人死者を出してしまうという惨事になってしまったのです。

セブン・オークスの戦い/wikipediaより引用

死者数に差が出ているのは、メティ族のほうが銃の扱いに優れていたこと、そもそもメティ族&北西会社のほうが人数が多かったからとされています。
よくその状態で立ち向かおうとしたものです。

ハドソン湾会社はイギリスの国策会社だったため、その持ち主である貴族たちは、北西会社側の人間を多く逮捕しました。

しかし、後に作られたイギリスの調査委員会は、北西会社側を免罪しています。
代わり(?)に、ハドソン湾会社が北西会社を併合することで一件落着としました。

「最初から法廷で争えば、死人が出なくて済んだんじゃ……?」
というのは、言ってはいけない話ですかね……。

長月 七紀・記

【参考】
セブン・オークスの戦い/Wikipedia
ビーバー戦争/Wikipedia
ビーバー/Wikipedia
シルクハット/Wikipedia
ビーバー_(アラスカ州)/Wikipedia


 



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