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ジュール・ブリュネ/Wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 幕末・維新

映画ラストサムライのモデル「ジュール・ブリュネ」 幕末のフランス軍人たちが熱い!

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「国際交流」というと、庶民感覚ではここ何十年かのことですよね。海外旅行が手に届くようになったあたりからでしょうか。
しかし、こと国家レベルでの小さな接触や関わり合いであれば、もっと前から存在しています。日本の場合はやはり幕末から明治にかけて、多くの国とさまざまな方面のお付き合いが始まりました。
今回はその一つ、戊辰戦争を中心とした幕末日本に関わった、とある国の人々をご紹介します。

1911年(明治四十四年)8月12日は、フランス軍人のジュール・ブリュネが亡くなった日です。

映画「ラストサムライ」の主人公、ネイサン・オールグレン(演:トム・クルーズ)のモデルとされる人物ですが、史実の彼は映画とはかなり違った生涯を歩んでいます。
おそらくは、”そっくりそのまま”というよりも、”イメージ・参考”という意味でのモデルなのでしょうね。
さて、どんな一生だったのでしょうか。

 

ナポレオン3世の命により軍事顧問団として日本へ

ジュールは1838年1月2日、フランス東部・スイス国境に近いベルフォールに生まれました。

父は竜騎兵連隊所属の獣医だったといいます。竜騎兵というのは馬に乗って鉄砲を撃つ兵のことで、日本風に言えば(実在したかどうかは諸説ありますが)「鉄砲騎馬隊」あたりでしょうか。
ちなみに英語では「ドラグーン」というカッコイイ名前になっています。日本のファンタジー小説などでは、字面から連想してドラゴンに乗った騎士のことを竜騎兵・ドラグーンと呼んだりしますね。

そして馬がいるからには世話や獣医学が必要になるというわけで、ジュールも父から軍属の馬や戦場などの話をたくさん聞いていたと思われます。

成長して工科学校や陸軍学校を卒業した後、フランス陸軍に入隊。
戦功を挙げて順調に出世し、レジオンドヌール勲章(フランスで最も権威ある勲章)を受けたこともありました。イメージとしては「身分は高くないが、若きエリート軍人」というところですかね。

一方その頃、フランス皇帝・ナポレオン3世は
「東洋での拠点が欲しいし、この前(文久遣欧使節)で見聞きした感じだと、日本はなかなかよさそうだ。いっちょ軍事指導でもしてやって、恩を売っておくか」
と考えていました。

そこで、ジュールらに軍事顧問団として日本へ行くよう命じます。

 

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戊辰戦争の一年前に来日 幕府もヤル気もりもり

団長はシャルル・シャノワーヌという人でした。

その下にジュールを含めた五人の士官がいて、それぞれの専門分野を持っています。
ジュールは砲兵の経験があったことから、砲兵教育担当になりました。

こういった流れで、ジュールは上司たちとともにはるばる来日します。1867年初頭、つまり戊辰戦争の一年前のことでした。
幕府側でもフランス語を学ぶ環境を整えており、やる気は充分だったようです。

ジュールたちはさっそく幕府の軍隊に訓練を施しました。
三ヶ月ほど経った時点で、シャルルが問題点や改善点などをまとめた建白書を提出しており、彼らが異国の地で熱心に任務をこなしていたことがわかります。

この建白書や、慶喜との謁見により幕府軍の改革が行われ、西洋式軍隊に切り替わっていきました。
慶喜がフランス風の軍服をしている写真が残っていますが、それはこういった流れがあったからなんですね。

ナポレオン3世から贈られた軍服姿の慶喜/Wikipediaより引用

 

しかし、それだけ気合を入れて作った幕府軍は、戊辰戦争が始まると敗北を重ねてしまいます。
フランス本国からはジュールたちに「帰ってこい」という命令が出されました。

 

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日本に残留し、榎本武揚らと共に箱館戦争へ

が、一年の日本暮らしですっかり情が移ったのか、責任感からか、あるいは両方の理由から、ジュールらは日本残留を決めました。
フランスに退役届などの書類を送り、シャルルにも度々手紙を書いています。

そしてイタリア公使館で行われた仮装舞踏会に侍の格好で参加し、部下のアンドレ・カズヌーヴと一緒にそのまま脱走して榎本武揚らに合流して箱館戦争へ加わりました。
もしかすると、土方歳三とも接したかもしれませんね。ジュールが日本語を話せたかどうかはわかりませんが、少なくとも榎本は英語やオランダ語を習っていましたから、ジュールがどちらかを話せれば通訳をしてくれた可能性はあるかと。

土方歳三/wikipediaより引用

こうして、フランス軍を辞めてでもジュールらは積極的に幕府軍へ協力しましたが、1869年6月に五稜郭が攻略され、榎本たちとともに新政府軍へ投降を決めます。
その後、6月20日に離日しました。

フランスに帰国した後は、予備役を経て1870年の普仏戦争で陸軍に復帰しています。
ちゃんと書類を提出していたのが功を奏したようです。

その後も日清戦争で日本側に貢献して勲章を授与されたり、フランスに留学してきた日本陸軍の軍人を世話したりと、日本との繋がりは続いていました。

 

フランス軍を脱走して箱館戦争へ向かったウジェーヌ・コラッシュ

ジュールと一緒に脱走したアンドレは、明治時代に再来日し、明治政府に軍馬改良のアドバイスを行っています。
戊辰戦争以前にナポレオン3世が幕府にアラビア馬(サラブレッドの先祖の一種)を贈ったことがあり、戊辰戦争後に所在がわからなくなってしまったため捜索を任じられました。
そのために東北各地を旅していた最中、1874年(明治七年)に病に倒れ、福島県浪江町で亡くなったといわれています。

また、軍事顧問団とは別ルートで幕府軍に参加したフランス人が他にも数名いたことがわかっています。
足跡がある程度判明しているのは、フランス海軍所属だったウジェーヌ・コラッシュです。

ウージェーヌ・コラッシュ/Wikipediaより引用

乗艦していたフランス艦隊の船がたまたま横浜に停泊していたとき、戊辰戦争の話を聞き、友人のアンリ・ニコールとともに脱走してジュールとともに函館へ向かった……という、なかなか度胸あるやり方でした。

そして海軍を作って新政府軍に対抗と考えていたところ、幕府軍の最大の軍艦・開陽丸を事故で失ってしまったため、「新政府軍の船にこっそり乗り込んで奪う」というダイナミックな計画を立てました。

新政府軍の船が宮古湾へ停泊しているところを狙いましたが、やはりこんなに大胆な作戦はうまくいきません。
かえって自軍の貴重な軍艦を失ったり、死傷者を出してしまい、そのまま投降することになります。

新政府軍の船を奪おうとしたからか、同じく投降したジュールとは違い、ウジェーヌは罪人として扱われ、死刑を言い渡されました。フランスとの紛争を避けるためか、すぐに釈放されていますが。

その後はフランスに帰国しましたが、ジュールたちと違って退役の意志を本国に伝えていなかったため、一時は軍をクビになってしまいました。

しかし、ほとぼりが冷めてから普仏戦争時に陸軍へ入っています。古巣であるはずの海軍ではなかったのは、やはりわだかまりや他の問題があったんですかね。
ただ単に陸軍の兵数不足かもしれませんが。

明治政府もフランスの陸軍力は一定の時期まで評価しており、明治時代になってから二回軍事顧問団を迎えていますので、その話もいずれ。

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参考:ジュール・ブリュネ/Wikipedia ウージェーヌ・コラッシュ/Wikipedia アンドレ・カズヌーヴ/Wikipedia

 




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