言わずと知れた人気マンガにして、日曜日の記録を塗りかえた連続ドラマである。
主人公の脳外科医・仁が幕末の江戸時代にタイムスリップし、最先端医療を再現するというストーリーながら、歴史を変えてはいけないという王道ルールを無視して、脳外科からガン治療までやってのけてしまう――。
荒唐無稽な設定なのに、どうにも引き込まれてしまう。
歴史上の偉人達が次々に仁のメスで人生を変えられていく様が、思いのほか痛快だったからであろう。
そんな『JIN―仁―』の前半に登場する偉人の中で、特に大きな印象を残すのが緒方洪庵ではなかろうか。
福沢なども育成した医師であり蘭学者であり
漫画やドラマの中では、江戸時代の医療技術の低さに困惑しながらも熱意あふれる志で医療に携わり、仁先生と出会ってからは疑念を抱きながらも最先端医療を学ぼうとする意欲的な姿。
この緒方洪庵に胸を打たれた視聴者も多かっただろうが、実際のところ、彼はどんな人物だったのか。
生まれは文化7年7月14日(1810年8月13日)。
身分は武士だったが、後に大坂で適塾を開き、明治維新を駆け巡る大鳥啓介や福沢諭吉などの大人材を育てた医師であり、また蘭学者でもあった。
幕末期における偉人達の先生と言っても過言ではない。
また、当時、治療法が確率していなかった天然痘に対し、不適切な治療により患者を死なせてしまった後悔から新しい種痘法、つまりワクチン摂取の方法を広め、日本の近代医学の祖とも言われている。
コレラ(コロリ)の治療法をまとめて和訳するも…
そんな緒方洪庵に対し、劇中の仁先生はコレラの治療法を伝授する。
実際、コレラは江戸時代においては「コロリ」と呼ばれ大量の死者を出した死病であり、人々から恐れられていた。
現代であれば特効薬もあり、死を恐れる病ではない。
史実には、緒方洪庵は長崎から伝来した治療法をまとめ、和訳した『扶氏経験遺訓』を無料で医師に配布するなど、その情熱と正義感をひたすらに傾け、治療にあたっている。
しかし漫画にもある通り、そこに記された内容はコレラ治療に有効ではなかった。
結局、緒方洪庵は、数万人から数十万単位の死者を出したとも言われているコレラに打ち勝つことは出来なかったのだ。
ただ、本人の体が丈夫ではないというにも関わらず、苦しむ患者を一人でも救いたいという情熱は、漫画『仁』に登場する緒方洪庵そのもの。
配役の影響であろうか。ドラマでは時に金八先生っぽさが出ており、漫画でも厳格でお堅いイメージの強い緒方洪庵であったが、門下生の間では「人を怒るということをしない」「温厚」といった人物描写が証言されている。
相手が誰でも真摯に学び、さらに無償で広めようとする
また、有効だと思えば、例えそれが異国の人であったとしても真摯に学び、それを無償で広めようとする姿もマンガそのままだった。
もしも南方仁が本当にその場に居たとすれば、漫画、ドラマと同様に熱意を持って接し、誰よりも学ぼうとし、その技術を広めようと奔走したに違いない。
「そんな医者、江戸時代でもいないっしょ!」と思わせるようなキャラ設定ではあるが、この漫画の中に登場する偉人達の中で、もしかしたら現実に最も近いのは緒方洪庵かも知れない。
なお、緒方洪庵の死後(文久3年6月10日・1863年7月25日)没)、コレラ菌が発見され、有効な治療方法が編み出される。
もし今、緒方洪庵がこの漫画を読んだのなら、こう思わずにはいられないだろう。
「あの時本当に南方先生が居たならば……」
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文・イラスト/春原沙菜
【参考】
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