その言葉をアタマに思い浮かべると、なんとなくホッコリして、お腹もグゥっと鳴って、こんな(^q^)になってしまう。
それがお正月定番の料理「お雑煮」ではないでしょうか。
面白いのは、地域ごとに特色があって、皆さん思い浮かべる姿が千差万別ってことですよね。
お餅のカタチ一つとってみても、西日本は丸餅、東日本は切り餅、と分かれていて、さらには味噌味なのか醤油ベースなのか、具まで話し始めた日には際限なく盛り上がって(あるいはケンカして)しまう。
そんなお雑煮を、我々日本人は一体いつ頃から食べるようになったのか?
お雑煮の歴史を振り返ってみましょう。
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雑煮の誕生は室町時代
「雑煮」という料理の起源は、残念ながらハッキリとはしていません。
ただ、大まかな年代は推定されていて、現在のような食され方は室町時代からとされています。
京都府の上級武家が、祝言のお色直しの際、酒の肴として出したのが始まりだったそうで。
丸餅に、様々な海の幸&山の幸を入れ、ひとつの鍋で煮込む――。
縁起の良い食材を雑多に入れて煮込む、祝いの席にふさわしい一品です。
おめでたい雑煮は、いつしか正月にも食されるようになりました。
記録としてハッキリわかるのは、吉田神社神職の日記である『鈴鹿家記』。14世紀後半には正月に雑煮を食していた、と記載されています。
公家等では、おもてなし料理としてもふるまわれていたようです。
戦国時代においては、武家の間でもおもてなしと祝いの料理として用いられるようになり、「烹雑(ほうぞうorぼうぞう)」という呼び名も、用いられていました。
ともに食することで絆を強め、めでたい気分になる、まさにお正月にふさわしい起源といえるのではないでしょうか。
参勤交代によって全国に広がる
江戸時代になってからも、雑煮は武家にとって縁起物の料理でした。
ただし、餅はまだ丸餅のみでして。
このカタチが「円満」につながり、また「望月(=満月)」に発音が近いということで好まれました。
もともと武家は縁起物を大事にしていたので、そういったことからでしょう。
逆に言えば当時は比較的「規格が統一されていた」とも言えます。
それがなぜ、今のように全国バラバラになっていったのか?
答えは【参勤交代】です。
※以下は参勤交代のまとめ記事となります
江戸時代のビッグイベント 参勤交代と大名行列は実際どんな風に行われていた?
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これまでの説明からお察しの通り、雑煮は全国にあったものが江戸や京都、大坂などに集まったのではなく、参勤交代で主に江戸から全国へ伝播していったのです。
江戸時代、食文化も含めた様々な文化が、参勤交代によって全国へ広がりました。
雑煮も例外ではありません。
武家や公家といった上流階級の格式ある料理「雑煮」が、時代がくだると共に庶民へ広がっていったのです。
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