いい服着て、オシャレな邸宅に住み、美味しいゴハンを食べる――。
【衣食住】は人生の大きな楽しみだったり、あるいは生き甲斐の一つでもあったりするでしょう。しかし……。
これが歴史となると、途端に興味の失せるジャンルだったりしません?
『竪穴式住居は寒くないのか?』ぐらいの感想を抱くことはあっても、例えば平安時代の貴族が何着てるか?と問われれば、漠然と「十二単ですよね……」ぐらいで終わりそう。
そこで、もう一歩踏み込みまして!
当時の空気に触れるには、やっぱり食べ物や衣服が最も身近なもの。
理解しづらいから遠ざけてるだけで、いわゆる食わず嫌いなだけかもしれません。
そこで今回は、平安時代の【衣食住】、特に男性の衣服である【衣冠・束帯・直衣・狩衣】を中心に見てみたいと思います。
なぜなら十二単よりも大変だったから……。
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京都は温暖湿潤だったので
平安時代は現代よりは寒冷だったと考えられています。
が、それでも世界的に見れば、日本の京都は温暖湿潤な気候。四季が楽しめる一方で、湿度の高さはさまざまな点に影響しました。
衣服については、袖口や裾の幅を広くしたり、空気が通るようなゆったりした形になっています。
奈良時代によく用いられていた「朝服」と比べてみると、その形の違いがハッキリ。
朝服は中国の役人の服装である「常服」を模倣したもので、日本の服装よりもコンパクトにできています。
長安(現・西安市)をはじめ、中国の歴代王朝の首都はだいたい内陸部にありましたから、風を通さないほうが都合が良かったのかもしれません。
日本も中国も、朝服や常服を使っていた頃の夏は厳しかったでしょうね。
衣冠、束帯、直衣、狩衣
現代では「女性はスカートもパンツスタイルも楽しめる」という点からか、女性のほうがファッションのバリエーションが多い傾向があります。
が、平安時代の貴族は逆でした。
男性のほうがいろいろな服装をしており、主に四種類ありました。
・宮中に出仕するときに着る
「衣冠(いかん)」
「束帯(そくたい)」
・普段着として用いる
「直衣(のうし)」
「狩衣(かりぎぬ)」
衣服の作りの細かい違いは割愛しますが、見分けるポイントとしては二つあります。
まず、冠を被っていれば衣冠か束帯です。そして、昼ならば束帯、夜ならば衣冠となります。
元々は束帯が宮中での勤務服として使われていました。
しかし、束帯は締め付ける部分があるなど、一日中着ているには窮屈なものでしたので、少し改良して衣冠が生まれたのです。
このため、
・衣冠を「宿直(とのい)装束」
・束帯を「昼(ひの)装束」
と呼ぶこともあります。
現代でいえば、自衛隊で普段使う「常装」と、外交儀礼や皇居に出入りする際に使う「礼装」が分けられているのと似たような感じでしょうか。こちらには昼・夜は関係ありませんが。
そう考えると、現代の学生さんが日常生活から冠婚葬祭まで、学校の制服で全て用が足りるというのは便利ですね。
ちなみに「衣冠束帯というのは、存在しないの?」と思われる方もいるかもしれません。
これは、公家の日記や文学作品などで「衣冠を着ている人と束帯を着ている人」をまとめて書く際に用いられる表現でして。
「衣冠束帯」という名称の衣服はございません。あくまで「衣冠」と「束帯」の組み合わせなんですね。
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