衣冠・束帯・直衣・狩衣

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

衣冠・束帯・直衣・狩衣の違い ご存知ですか? 非常にややこしい平安貴族の衣服

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単調な食事情 醤油も砂糖もなかった

平安時代の公家は、かなり単調な食事をしていました。

なにせ、現代の和食の「さしすせそ」のうち、醤油も砂糖もないのですから。

さらに、京都は海から遠いため、魚介類はほとんど塩漬けや干物。かぶや大根など、京の近郊で採れる野菜などは羹(あつもの)というお吸い物に近い料理にして出すこともあったようです。

・仏教の影響で肉食が禁じられていた

・食にこだわることは欲に繋がるので好ましくないという価値観

そんなことも平安時代の食が発展しなかった理由と考えられています。

なにせ卵ですら殺生に繋がるとして、あまり好まれてはいませんでした。

養鶏をしていたらしき記録はあるので、仏教への信仰が厚い人や、生臭さが気になる人は避けたのかもしれません。

あるいは、そういった縛りが公家ほど厳しくないような、低い身分の人が食べるものとみなされていた可能性もありますね。

サルモネラ菌などが原因で食中毒になった人がどれぐらいいたのか不明ですが、経験則として「卵はヤバイ」と思われていた……というのもありえるかも。

一方で、果物の種類は意外なほど多彩でした。

栗・梨・ヤマモモ・アケビ・木苺などが食べられていたようです。

晩年の藤原道長が糖尿病だったという話は有名ですが、当時よく飲まれていた「にごり酒」の他に、果物の食べ過ぎだった可能性もありましょう。

 


平等院鳳凰堂 もとは源融の別荘だった

平安時代の住居といえば、やはり【寝殿造(り)】ですね。

おおざっぱにいうと「寝殿(母屋)といくつかの対(たい/別館)が渡り廊下で繋がり、庭を持つ公家や皇族のお屋敷」のことです。

はじめの頃は寝殿にその家の主人と正妻、対に住むのは子供や側室、というパターンが多かったようです。

そのうち、庭に面している寝殿は儀式場や宴会場という役割に変わり、主人夫妻は北側に設けられた対を住まいにするようになりました。

正妻のことを「北の方」と呼ぶことがあるのは、ここからきていると思われます。

また、側室を対に迎えると正妻やその実家との関係が悪化するおそれがあるため、同じ屋敷に二人以上の妻がいる、というケースはさほど多くはなかったと思われます。

これについては『源氏物語』で光源氏の養女・玉鬘を無理やり自分の屋敷に迎えた髭黒の右大将が、正妻と大ゲンカしているのが良い(悪い)例ですね。

おそらく、紫式部がどこからか聞いた話を元ネタにしたのでしょう。

紫式部
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当時は京都のあっちこっちに寝殿造のお屋敷があったはずです。

それが後年の戦乱(主に応仁の乱)や災害などにより、現存しているものはごく一部。数少ない例が、十円玉の裏に刻まれている【平等院鳳凰堂】です。

平等院鳳凰堂はお寺としての面が有名ですが、元々は嵯峨源氏の一員である源融(みなもと の とおる)の別荘でした。

それが宇多天皇とその孫・源重信、そして藤原道長の手に渡り、最終的には道長の嫡男・頼通によってお寺に改装されたものです。

源融といえば、死後も執着した河原院も有名ですね。

後年に火災が相次ぎ、今では全く面影がなくなってしまっています。

ほかに、当時の建物で特徴的なのは、末法思想から来た阿弥陀堂がありますね。

平安時代ド真ん中の西暦1000年頃から

「この世は仏様の教えが通じなくなる! もうおしまいだー!」(超訳)

という【末法思想】が広く信じられ、極楽往生を願って阿弥陀如来を祀るお堂を建てる者がたくさんいたのです。

いつの時代も苦しい時の神(仏)頼みは変わらないんですなぁ。

あまりにも昔のことなので、現代人からすると平安時代は異次元にも等しく感じます。

が、文化の面では現代に生きているものも多く存在します。

受験勉強のための暗記だけでなく、平安時代をテーマとした施設で楽しんでみるのもいかがでしょうか?

有名どころでは平泉の「えさし藤原の郷(→link)」や、徳島の「旅殿 御所 社乃森(→link)」など。

そういった経験があれば、印象にも残りやすいですしね。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
国風文化/wikipedia

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