有名人のルーツはどこにあるのか?
そんなテーマで人気のNHK『ファミリーヒストリー』。
日本一の人気お笑いコンビ・サンドウィッチマンの「伊達みきお」さんが出たことがありますのをご存知でしょうか?
奥州の超名門・伊達家に連なる血筋だとして、テレビでもお馴染みです。
そこで気になるのが「あの独眼竜(伊達政宗)の子孫なのか?」ってことでしょう。

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果たしてサンドウィッチマン・伊達さんのご先祖様はどう繋がっているのか?
その血筋を遡ってみます。
ルーツは確かに伊達家 しかし
最初に、結論から申し上げます。
伊達みきおさんのルーツは、第17代・伊達政宗ではなく第9代の伊達政宗に関わりがありました。
独眼竜として日本中に知られる政宗は17代。

伊達政宗/wikipediaより引用
伊達みきおさんは第9代の伊達政宗に関わりがあります。
こちらの政宗には、伊達宗行という弟がいて、伊達みきおさんのご先祖様となるのです。

こちらが第9代伊達政宗さん/wikipediaより引用
大條伊達氏
宗行は、後に大條(おおえだ)に所領が与えられ、大條の姓を名乗るようになりました。
では一体、大條伊達氏とは、どのような存在だったのか。
大條伊達氏の領地・大條地方は、旧福島県伊達郡大枝村(今の福島県伊達郡国見町川内および福島県伊達市梁川町東大枝の辺り)になります。
“條”の字は“枝”になりましたが、今もこの辺りには“大枝”という地名が残っています。
そして大條には、大條伊達氏が居城としたお城もありました。
福島県伊達市梁川町東大枝字館の阿武隈川のほとりに、今も400年前のお城の跡が小山となって残っています。
土塁や堀跡も現存。
約200年間にわたりこの地を治めておりました。
秀吉から拝領した貴重な茶室
1616年、大條伊達家は仇敵・相馬氏との最前線である坂元の地「宮城県亘理郡山元町」を独眼竜政宗に与えられ、以降、幕末まで250年間ここを治めました。
※太平洋沿岸にある山元町は、2011年の東日本大震災で全壊2,217棟、死者635人という大変大きな被害を受けたところです
坂元城へ移り住んだ大枝氏は、その地の坂元城を居城とします。
今も大條家ゆかりの茶室が残っており、一族は節目節目にこの茶室に集まって結束を固めてきたとのこと。
この茶室がなかなかに興味深いのです。
というのも、元は伏見城にあったもので、伊達政宗が豊臣秀吉から拝領し仙台に移築したのです。

豊臣秀吉/wikipediaより引用
昭和17年に仙台から坂元城に移築されたおかげで、昭和20年の仙台大空襲の戦災から逃れることもできました。
伏見城は関ヶ原の前哨戦で炎上。
仙台も空襲により江戸時代の建造物のほとんどを焼失しておりますので、現存しているのは奇跡的なことだと思います。
高祖父が木戸孝允と交渉
伊達みきおさんの高祖父で、大條家の当主だった大條道徳(おおえだみちのり)は、幕末から明治維新にかけて仙台藩の家老職である奉行をつとめていました。
そこで戊辰戦争※1の戦後処理という大変重要な役目を担います。
戊辰戦争に敗北した仙台藩はお取り潰しの危機に陥りましたが、大條道徳は新政府代表の木戸孝允と会談、交渉の末に伊達家と仙台藩の存続が認められました。
激動の時代、いかに伊達家の名誉と実益を守るか。
そんな困難を、交渉により見事成功させた條道徳は、その論功行賞のため、450年ぶりに大條の姓から伊達の姓に戻すよう命じられ、名を伊達宗亮と改めます。

明治33年(1900年)の仙台城/国立国会図書館蔵
大條宗行が初代大條伊達氏を興して600年が経過。
伊達宗亮さんの曾孫の伊達みきおさんも、ご先祖様の想いを受け継ぎ、東日本大震災の復興のため、様々な活動に取り組んでいます。
奥州に轟いた伊達の名は、今別のカタチで人々の心に勇気を与えてくれています。
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重久直子・記
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【参考】
ファミリーヒストリー/NHK
サンドウィッチマン 伊達みきおさんオフィシャルブログ
【参考】
国史大辞典
大條氏/wikipedia
伊達政宗 (大膳大夫)/wikipedia





