Ninja

剣豪・忍者

Ninja(忍者)が世界に普及したキッカケは1964年東京五輪だった?

米国メジャーリーグ――2013年のワールドシリーズを制覇したときにレッドソックス・上原投手が大活躍したことをご存知でしょうか。

その詳細はスポーツサイトに譲るとしまして、気になった言葉がこれです。

「我々は彼を忍者だと言ってるんだ。その事は上原も知ってるよ」

("We say he's a Ninja. He just knows.")

忍者=Ninjaの神秘性と賢さ。

そしてズバ抜けた身体能力が、かの国でも認知&定着している事を物語る発言ですよね。

では、このNinjaという言葉とイメージが、広く海外に定着したのは何時頃からなのか。

また、どういう経緯でそうなったのか。

確定とまでは言えませんが、かなり有力だろうと思える問題提起をしてみたい。

1964年の東京五輪がきっかけだったのではないか」と。

 


火付け役はオーストラリアのテレビ?

64年の東京五輪で、バレー女子が悲願の金メダル。

「東洋の魔女」という言葉が日本でも流行となりました。この言葉は旧ソ連のメディアが五輪前に使った表現だったそうです。

そうした日本人選手の活躍が海外の人達の間で印象として残り、どこかの新聞かテレビがNinjaという表現をして、やがて定着していった――訳ではありません。

どうも、きっかけはオーストラリアのテレビ局だったようです。

当時、地元のチャンネル9が、五輪開催に当たって「日本はこんな国です」という企画特集を実施。

その中でTBS系の人気番組だった『隠密剣士』という番組が「The Samurai」というタイトルで4話だけ紹介する形で流されました。

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『隠密剣士』と言っても、今の若い人達はご存知ないですよね。

当時TBSには、日曜午後7時から子供向けの「タケダアワー」というのがございました。

言うなれば、当時の目玉番組的な位置付けであり、例えば『隠密剣士』の後番組は『ウルトラQ』です。

隠密剣士の内容をウィキから少し引用いたしましょう。

天明7年(1787年)から寛政2年(1790年)の日本各地を舞台に、江戸幕府11代将軍・徳川家斉の腹違いの兄である松平信千代(大瀬康一)が、秋草新太郎と名乗って公儀隠密として旅をしながら世の平和を乱す忍者集団と戦いを繰り広げる。

第1部は蝦夷編で、アイヌ人と和人(日本人)の葛藤が描かれるなど工夫がみられるが、重厚な内容のせいか不人気であった。

第2部から新機軸として忍者との戦いを繰り広げることになる。

これにより人気が上昇、視聴者層は子供から大人に広がって、最盛期には40%近い視聴率を取った。

視聴率のくだりを見れば分かるように、かなりの人気番組だったのです。

 


「面白いので、もっと放映してくれ」

局側からしたら、おそらく軽い気持ちだったのでしょうね。

ところが、これが嬉しい誤算。

「面白いじゃないか! 4話と言わず、もっと放映してくれ」との声が続々と寄せられ、遂には全編の放映となっていったそうです。

異国情緒たっぷりで、しかも派手なアクション。

オーストラリアで日本の番組が流されるのは初めてだったにもかかわらず、特に小さな子供達や若い世代にカルト的な人気を得るに至ったと、ウィキペディアの英語版(→link)では説明されています。

実際、かの地には、記憶の彼方にある昔の番組を思い出す2ch的な掲示板(Obscure TV shows you can remember from the past..→link)というのがあり、その中で、次のような投稿をなさっている方もいるぐらい。

The Samurai(→link

Awesome show.

Impact in Australia
Though now mainly remembered by people over 45, The Samurai had a huge impact on teen and pre-teen children in Australia at the time, and it rapidly became a cult favourite, with children imitating ninja handsprings, hurling cardboard 'star knives' (shuriken) and waving imaginary swords as they played 'samurai and ninja'

ざっと訳すと、こんな感じになりましょうか。

ザ・サムライ

カッコいい番組だった。

オーストラリアへのインパクト凄すぎ。

今、主に45歳以上の人の間では、ザ・サムライはティーンや、その少し下の世代に大きな衝撃を与えた事を記憶している筈だ。

またたく間にカルト的な人気を博し、子供達は忍者の爆転を真似して「星形のナイフ」を投げ、模造の刀を振り回しては「サムライや忍者ごっこ」をしたものだったよ。(2007年7月2日付け)

子供の頃に「ごっこ」遊びをしたガキンチョとしては何となく理解できてしまいますなぁ(笑)。

ともかく、それほど強烈だったのですね。

そうした世代も五十路を迎えるに至った訳か。上のHPは、そうした世代によるオマージュとも言えるべき代物でしょう。

このページには驚愕の証言も寄せられています。

なんと、あのビートルズに勝った!というものです。

 


あのビートルズに勝ったぞ!

ビートルズに勝つとはどういうことか?

いくら何でも眉唾でっしゃろ……と思うところですが、どうやらホンマらしい。

「主役の大瀬康一がメルボルンを訪問した際、あのビートルズが来た時よりも大勢の群衆が迎えた」

「When the star Koichi Ose visited Melbourne he had a bigger crowd turned out than for the Beatles.」と書かれているんですわ。

隠密剣士のウィキ英語版(→link)では次のように解説。

The program proved so popular that a promoter brought out star Ose Koichi and a large supporting troupe to appear in a specially written 90-minute stage play based on the show, which played to capacity houses in both in Sydney and Melbourne, and it was reported that more people (over 7,000, many of them in costume) turned out to greet him when he arrived at Essendon Airport in Melbourne than greeted The Beatles when they visited there in June 1964.

これまた、ざっと訳すとこんな感じでしょうか。

隠密剣士が人気を博したので、あるプロモーターが大瀬康一を招いて番組を基にした90分の舞台劇を興行し、メルボルンとシドニーの劇場は満席となった。

彼がメルボルンのエッセンドン空港に到着した際には、劇場に詰めかけた以上の7000人ものファンが出迎えた。

その数は、1964年6月にビートルズが空港に到着した時のファン数を上回っていた。

多くは時代装束を身にまとっていたのである。

元祖コスプレ!

もはや「凄ぇーなぁ」としか言いようがないですね。

なんだかキューバで大人気だった勝新太郎を思い出します。

キューバと日本
キューバが日本を好きだとしたら 勝新太郎と『座頭市』のお陰です

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勝新太郎は飛行機のタラップを降りるとき、座頭市の構えをして、最高の拍手喝采を浴びたとか。

やっぱり本物の役者さんは違いますな。

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