今から約500年前の1517年にドイツ人のルターが宗教改革をスタート。
それから400年後の1917年にはロシア革命が起き、衝撃的な歴史のうねりから約百年という時間が過ぎました。
しかし、微妙なのがロシア革命そのものでして。
100周年という節目の2017年でも、それを祝した動きはほとんど感じられませんでした。
なぜなら革命の成果といえるソビエト連邦(ソ連)がすでに崩壊しているんですね(1991年)。
そう考えると『ロシア革命に意味はあったのだろうか?』となって、あまり盛り上がらないのも当然。
革命によって亡命したロシア貴族の子孫は「過ちであった」と表明しています。まぁ、立場的に当たり前かもしれませんが。
ただ、こうしたすれ違いはロシアも悩ましいようで。
超大国ソ連を懐かしむ層からは、ロシア革命を評価したいという動きがあります。
一方で弾圧を受けた貴族だけでなく、ロシア正教会なども「過ちだ」という評価をくだす。
そんな最中、よりによってロシア皇帝ニコライ2世とその愛人マチルダ・クシェシンスカヤの愛欲までも赤裸々に描いた映画『マチルダ』が公開され……。
「神聖なるニコライ2世の性生活まで描くとは言語道断! そもそも陛下に愛人なぞいなかった!」
と、革命不支持の人々やロシア正教会が大激怒、デモまでまきおこりました。
出演俳優たちも安全上の理由からプレミアを欠席しております。
これ以上、国民が分断されて困るのは、他ならぬプーチン大統領です。
彼としても、いたずらに敵を作りたくはありませんから、ここは慎重にならざるを得ないところ。
ノーコメントの姿勢のまま立場を明確にしていません。
プーチンですら明言を避けたいロシア革命――。
その評価は本当に難しいものがありました。
お好きな項目に飛べる目次
時代の変貌についていけなかった帝政ロシア
1917年の革命以前、帝政ロシアでは貴族たちが優雅に暮らしておりました。
その一方で農民たちは困窮し、苦しい生活を送っていました。
※19世紀初頭のロシア貴族たちの生活を描いた『戦争と平和』。映像化も何度もされた名作です
そうした構造的矛盾は、ヨーロッパ諸国が産業革命を迎える中で、ロシアでは解決どころか深刻化していきます。
そもそもロシアというのは、統治の難しい国でした。
広大な領土があるとはいえ、その大半は酷寒の地で痩せています。広すぎる領土は、イギリス等と比べて改革が徹底しないという、鈍重な変化に繋がりました。
また、輸送や移動にも莫大なコストや時間がかかります。
18世紀にはイギリスが立憲君主制にうつり、18世紀末にフランス革命が起こっていました。
しかしロシアは、20世紀を迎えてもツァーリ(皇帝)が絶大な権力を有する時代錯誤ともいえる政治制度が続いていたのです。
選挙、議会、民主主義……他の国では当たり前のように存在するものが、ロシアでは生まれませんでした。
政治改革と共に取り組まねばならないのは、工業化でした。
工業化は都市部に労働者を引き寄せ、彼らの中に不満を鬱積させます。
そんな中、ニコライ2世はリーダーシップを発揮するどころか、怪僧ラスプーチンを信じて政治的混乱を招きます。
この頃ニコライ2世やアレクサンドラ皇后は『自分たちが最後のロシア皇帝夫妻になるかも知れない』と、極度の不安を抱えておりました。
皇太子に血友病が発覚すると、その思いはますます悪化。
その不安が、ラスプーチンへの傾倒に拍車をかけていたのです。
ロシアの怪僧ラスプーチン! 青酸カリ服用でも頭を砕かれても死なず?
続きを見る
ロシアの中に、
・矛盾
・システムの疲弊
・農民たちの不満
・社会不安
がまるで燃料のように蓄積してゆきました。
マッチ一本を投げ込めばたちまち燃え上がる――そんな状況でした。
思想を持ち始めた人々
社会情勢が不安を抱えながら迎えた1860年代。
これ以降、インテリゲンチャ(知識人)と呼ばれる層の人々が秘密組織を結成するようになります。
・トルストイ
・ゴーリーキー
・プーシキン
といった文豪たちも、社会批判や諷刺を自作にこめるようになり、彼らの著作やマルクス『資本論』を読む人々が絶えることはありませんでした。
彼らのような運動家や不満分子に対し、政府が無策であったわけではありません。
20世紀初頭は、徹底した弾圧が行われました。
それでもロシアの広大な領土と人口の多さが災いしたのか、根絶までには至りません。
不満燃料の中に、思想のマッチが投げ込まれたらどうなるか。
革命前夜、歴史の歯車は回り続けていました。
と、ここでロシア革命関連の集団をざっとまとめますね。「語尾が“キ”で終わるグループ」が多くてややこしいんですよね。
◆ナロードニキ
人民主義者という意味。人民こそが社会の主役であるべきだと主張する、社会運動家の総称
◆ボリシェヴィキ
多数派という意味。ロシア社会民主労働党が分裂した一派で、レーニンが率いた
◆メンシェヴィキ
少数派という意味。ロシア社会民主労働党が分裂した一派で、のちに政権から離れる
二月革命
フランス革命のきっかけは「パンを求める女性の行進(ヴェルサイユ行進)」でした。
1917年2月。
このときも女性労働者たちのストライキがきっかけで革命が起こります。
このストライキがあらわにしたのは、叛乱を起こす労働者に対して軍が何もしないということでした。
ニコライ2世は、もはや退位から逃れられないと悟りました。
翌3月には、退位に同意。
晴れて万歳――とはなりませんでした。
ストライキや深刻なインフレが進行し、帝政のみならず国のシステムそのものが止まりそうな状況が訪れたのです。
ボリシェヴィキの台頭
ニコライ2世が退位となり、季節も春を迎えたロシア。
しかし酷寒の地に生きる人々は、次の冬のことを恐れ始めました。
こんな混乱の中で本格的な寒さを迎えたら、飢えて凍えて死んでしまう。
どの政治派閥や政党も浮き足立つ中、こうした状況に素早く対応出来たのがボリシェヴィキでした。
ボリシェヴィキが足並み揃えた行動ができたのは、レーニンという優れたリーダーの指導力があったからです。
七月蜂起から十月革命へ
ボリシェヴィキは絶好調でした。
しかし、調子に乗りすぎたのか。思わぬ落とし穴に……。
6月、レーニンは、労働者と水兵のデモをあおりました。
しかし、これはやり過ぎで、7月になるとレーニン自身も「こりゃヤバイ」と気づきながら時既に遅し。
デモは弾圧され、ボリシェヴィキには逮捕令も出されました。
そして、自身もフィンランドへ亡命する羽目になりました。
それでもボリシェヴィキの勢いは止まりません。
時は今――。
そう考えたレーニンは密かに帰国し、十月、ついに武装蜂起します、ケレンスキーの臨時政府を倒し革命を起こすのでした。
不満がくすぶっていたところでボリシェヴィキが台頭し、そのリーダーたるレーニンがドッカン!と革命を起こしたわけですね。
労働者の希望から、20世紀の黒歴史へ
ロシア革命は、全世界の労働者たちに希望を与えました。
ロシアほど極端ではないにせよ、工業化のあおりで劣悪な環境に置かれている労働者たちが世界中にあふれていたからです。
無力な民な自分たちにもできることがある――そんな希望が、ロシア革命にはありました。
そうして成立したソビエト連邦ながら……1991年に崩壊したのは前述の通り。
そこに至るまでの過程で、冷戦、独裁、圧政、言語統制、粛清、虐殺……様々な問題が次々に噴出してきました。
特に、共産主義国家で行われた虐殺は、間違いなく暗黒の歴史です。
これはソビエト連邦だけの問題ではなく、共産主義の国々である中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国等でも起こったことです。
冷戦は終わり、ソ連は崩壊したけれど
1989年には冷戦は終結となり、2年後の1991年、ついに最大の共産主義国であるソビエト連邦が崩壊しました。
この結果から、西側の資本主義が正しく、東側の共産主義・社会主義国は間違っていたのだ、ということになりました。
「結局、ロシア革命って無駄だったんだな」というのが、評価として定まったわけです。
しかし、です。
今度は冷戦の終結から20年以上が経過して、またまた評価が揺れ動いています。
「確かに共産主義国は冷戦で敗北したけれど。資本主義をこれ以上進めたらまずいのではないだろうか?」
世界の資産家上位8名が、世界人口半分の資産を持っているという、極端な格差。
資産家たちがタックスハイヴンで納税を逃れていると言う現実。
「格差が広がりすぎだ! 資産上位1パーセントの奴らは99パーセントの声を聞け!」
そんな怒りが、一世紀前と同じくわきあがるようになりました。
2016年アメリカ大統領選挙におけるバーニー・サンダース。
イギリスの労働党首のジェレミー・コービン。
と、「時代錯誤的な社会主義」と笑われた政治家が台頭し、「ソ連崩壊であかんようになったけど、もういっぺん社会主義見直さんか?」と主張しだしました。
そして彼らは支持を集めています。
いわば「社会主義2.0」です。
社会主義、共産主義が悪いのではなくて、スターリンの資質が悪かったのではないかとか。そういう見直し論も出てきています。
「なんだかんだでソ連で」という人もチラホラ
ロシア本国でも、「なんだかんだでソ連ってよかった気がするんだよね」という人が出てきます。
当時を知らない若者かと思えば、そうではなく。
「ソ連の時代は苦しくとも、新しい何かをやる、っていう気持ちがあった。今は金儲けばっかりじゃないか」
「なんだかんだで超大国だったしねえ。特別な感じがあったもんねえ」
「全否定すべきでもないんじゃないかな」
そういうノスタルジーが、少なからずあるようなのです。
日本でも、ソ連崩壊の年に生まれた声優の上坂すみれさんがソ連大好きなことで有名です。
※高校一年生当時の上坂すみれさんが耳にして、ソ連にはまったという 「祖国は我らのために」
その一方で、冒頭でふれたように「ソ連なんて絶対駄目!」という声もあるわけでして。
両者の間では対立があり、下手なことを言うと炎上しかけないのです。
プーチン大統領すら、コメントを避けるのには、そうした事情がありました。
★
百年というのは長い時間のようです。
しかし、歴史的な出来事を評価するとなりますと、百年というのはまだ短いのかもしれません。
ロシア革命の評価が定まらない現状を見ていると、そんなことを痛感させられます。
文:小檜山青
【参考文献】
『ロシア革命1900-1927 (ヨーロッパ史入門)』(→amazon)
『セカンドハンドの時代――「赤い国」を生きた人びと』(→amazon)