「溺れるものは藁をもつかむ」
「苦しいときの神頼み」
どうしようもなくなったとき、人は何でもいいからすがりつきたくなるもの――という例えは多いですよね。
それで万事上手くいけばいいのですが、むしろトンデモナイ選択をしてしまい、激しく後悔することも……。
1916年(大正五年)12月15日にロシアの「怪僧」ことグリゴリー・ラスプーチンが暗殺されたとき、彼を信頼していた人達もそんな気がしたのではないでしょうか。
こんな物騒な死に方をしたのには当然それなりの経緯がありましたが、何もかもがこの二つ名にふさわしい生涯を送った人でもあります。
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血友病にかかっていたロシア皇太子
風貌からしていかにも”怪僧”なラスプーチン.
生まれは農家だったといわれています。
20歳頃までは普通に暮らしていて、一度結婚もしていました。
しかし、ある日突然「生神女マリア(正教会での聖母マリアの呼び方)がお呼びだからちょっと行ってくるノシ」(超訳)と言って旅に出てしまいます。
この時点で、ヤバい人か聖人になるか、選択肢は絞られてきそうですね。
一方、そのころニコライ2世と皇后・アレクサンドラは沈んだ気分が続いていました。
長男の皇太子アレクセイが血友病にかかっていることがわかり、無事成長できないのではと考えられていたからです。
血友病とは簡単に言うと”皮膚の内外問わず出血が止まりにくくなる病気”で、現在でも完治させるのは難しい病気の一つです。
20世紀前半では正体不明の恐ろしい病といっても過言ではありません。
ただ一つだけわかっていたのは、イギリスの最盛期を作ったヴィクトリア女王の子孫、つまりヨーロッパの王室にかなりの頻度で現れるということでした。
こちらの原因はよくわかっていませんが、「彼女、もしくは王配(女王の夫)アルバートのどちらかが、遺伝子の突然変異で血友病因子を持っていたのでは?」といわれています。
悲劇の血を継ぐヴィクトリア「血友病」の恐怖がヨーロッパを襲う
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また、血友病は構造上男性が発症する確率が非常に高いため、何としても後継者が必要な各国の王家にとっては非常に恐ろしい病気でした。
「あのエセ坊主は皇后の愛人だ」
どこからそれを聞きつけたのか。
ラスプーチンはロシア皇族を通じて皇帝夫妻に近付きます。
そして彼が祈りを捧げると、不思議とアレクセイの病状は良くなりました。
現代では「プラシーボ効果や催眠療法に近いものだろう」といわれていますが、当時の科学的な常識ででそんなことはわからなかったでしょうから、皇帝夫妻はラスプーチンへ感謝感激雨あられってなもんです。
以後、アレクセイが体調を崩すたびにラスプーチンが呼び出され、信頼を深めていった彼は皇帝から「我らの友」とまで呼ばれるようになります。
さらに「友」であれば仕事その他にアドバイスをする権利があると考えたのか、ラスプーチンは国政にまで口を出すようになっていきました。
さらに社交界デビュー(?)もしたようで、宮廷のご婦人方に絶大な人気を得ることになります。
R18的な理由だったと言われ、その辺を詳しく書くと青少年にも大人にもよろしくないので控えておきますね。
ついでにどうでもいいですが、ラスプーチンは甘いものが好きな割に歯磨きという概念がなかったため、虫歯だらけだったそうです。
神の慈悲は口の中には及ばないんでしょうか。
というかそんな状態じゃさぞかし口臭がすごかったんじゃないかと思うんですが、その状態でよくご婦人方が信奉したものです。
口臭が原因なのかどうかは定かではありませんが、こんな状態では当然、皇帝以外のロシア貴族からは嫉妬を通り越して憎悪を受けるようになっていきます。
ときはただでさえ不利でロシア全体がイライラしていた第一次世界大戦中。
しかもニコライ2世が前線に行く=宮廷を留守にすることが多くなっていた頃でした。
さらに「あのエセ坊主は皇后の愛人だ」とまで噂が立つほど、アレクサンドラに頼りにされていましたからこれまた当然のことです。
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