言わずと知れた前田一族が治める北陸の大藩であり、その三代目(正式には加賀藩2代目)となった前田利常はわざと鼻毛を伸ばして江戸城にのぼり、顰蹙を買ったことがある。
「自分がバカ殿と思われていれば、家を潰してもかまわない」
かくのごとく利常は鼻息荒く語った。そんな説も流れているが、それは大間違い。
利常は、伊達政宗と並ぶ最後の戦国武将で、天下の傾奇者と呼ばれた父・利家の気質を最も受け継いだ漢(おとこ)だったのだ。
こいつはキレるとやばい
利常は、江戸城で「立ち小便禁止。罰金1両」とあると、わざわざそこで小便をしたくらいの無茶好きで、幕府を刺激しつづけた。
鼻毛も「バカ殿」を演じたワケじゃない。
「戦に鼻毛をそろえる武士なぞいない」という戦国バカのアピールのため。
幕府が前田家を「バカだから安心」と取り潰さなかったのではなく、「こいつはキレるとやばい」と思い、正面から対処できなかったのだ。
正面から対処できなければ、静かに死んでもらうのが一番。
利常は徳川家から常に暗殺の危険にさらされていた。
そこで彼は「外で御馳走をふるまわられたら、一度は食べて、こっそり吐け」と、家族にも厳命していたくらいの鋭い男だった。
「酔わないために吐く」ではなく「死なないために吐く」とは、戦国大名は気が休まらないにもほどがある。
兄の利長は服毒自殺の可能性も
ちなみに、命を狙われていたというのは、決して誇張した話ではなく、鼻毛大名の兄・利長も過酷な運命を辿っている。
利長は名前こそあまり知られていないが、なかなかの傾奇者。
父の利家からは「絶対に豊臣秀頼さまを守れ」との遺言を受け、愛する母のまつを家康に人質にとられ、常に板挟みの状態だった。
父の遺言を守り続ければ、前田家は徳川に潰されてしまう。
究極の選択をせまられた彼は、そこで鼻毛の利常に家康の孫と結婚させ、3代目の家督を譲ると、隠遁してそのまま死んでしまったのだ。
公式には病死となっているが、服毒自殺の可能性が高い。
自らが死ぬことで豊臣秀頼との関係を絶ち、家を残したのだ。大藩の当主というのは計り知れないプレッシャーの中で生きていたのだろう。
文/川和二十六