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幸村が隠遁した九度山~どんな山奥なのかと思ったら“大都会”だったでござる

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やっぱり、さ、寒いでござる

さて、山深い都会(?)高野山ではじまった配流生活も束の間、間もなく山麓の九度山へと移転します。

九度山(勝利寺前の桜)

その理由のひとつがが尋常ではない高野山の「寒さ」といわれています。

標高1,000m前後の山々の集合体である高野山上の冬の寒さは極端なもので、1981年には最低気温-13.4℃を記録しています。

マジでハンパないでござる。

幸村が生きていた時代もその冬の寒さは推して知るべしで、何と本職のお坊サマ方すら、厳冬期には一部のスタッフを残して山麓の「里坊」と呼ばれる避寒地に避難してしまったということです。

こうして大坂の陣までの長きにわたる時間を、幸村たちは九度山で耐え忍ぶことになったというお話でした。

ちなみに高野山奥の院には霊験あらたかとしか思えないスポットもありまして。

心身ともに引き締まるでござる。

高野山奥の院

よろしければ真田家一族の人物伝も併せてご覧ください。

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文:帯刀コロク

【参考】
『当代記』
『真田家文書(上)』
「紀州九度山に閑居した真田昌幸①」『橋本歴史研究会報 第163号』岩倉哲夫
真田幸村の動向と九度山」『橋本歴史研究会報 第168号』岩倉哲夫

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