絵・富永商太

武田・上杉家 信長公記

あの信玄が信長について質問だと!?|信長公記第33話

織田信長って、同時代の人にどう評価されていたのか?

気になったりしませんか。

今回は、あの武田信玄が信長について色々と気になっていた話に注目です。

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天沢和尚が信玄公を訪ねて

天沢和尚(てんたくおしょう)という高僧が、尾張から関東へ行く途中で甲斐の役人にこう勧められました。

「この先へ行くのなら、武田信玄公にご挨拶をしていくといいですよ」

天沢がその通りにすると、信玄は挨拶の後、いくつかの質問をしてきたといいます。

絵・富永商太

まず「普段はどこに住んでいるのか?」と聞かれたので、和尚はこう答えます。

「尾張の織田信長公が住んでいる清州城から、五十町(約5.5km)ほど東にある村の天永寺というところに住持しています」

すると、信玄は「信長殿について、知っていることを話してほしい」と頼んできたのだそうです。

 


・信長は毎日、自ら馬の調練をする

天沢は、信長に仕えているわけではありません。

ですので、日頃聞き知っている限りのことを話しました。

まとめると、以下のようなことです。

・信長は毎日、自ら馬の調練をする

・鉄砲は橋本一巴、弓は市川大介にそれぞれ師事している

・兵法の師は平田三位という人で、彼はいつも信長の身辺に控えている

・信長は鷹狩を好んでいる

この連載で、既に触れてきたことも含まれていますね。

天沢が、いつどのタイミングでこの話をしたのか不明ですが、大ざっぱに考えて信長は20代になっても10代からの習慣を続けていたということになりそうです。

イラスト・富永商太

信玄はこれらの話をじっくりと聞き、さらに

「信長殿には、他に何か趣味はあるのか?」

と尋ねました。

まるでお見合いですが、外交や戦略では、相手の趣味嗜好を知っておくのも大切なことでしょう。

この時点で、信玄が信長とどのような付き合い方をするつもりだったのか。

それは神のみぞ知るところなれど、いずれにせよ重要な情報ということになります。

 


「その唄を真似して」という無茶振り!

天沢は、続けて答えました。

・舞と小唄が信長の趣味である

・清洲の町人に友閑という者がいて、彼を召し寄せて舞うのが好き

・ただし舞うのは「敦盛」の一曲のみ

・また、声に出して「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」を唄うのが好き

・他に「死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定語り起こすよの」の小唄を好んでいる

敦盛やこれらの唄を好んだことは、信長の美学をうかがわせる話として有名ですね。

信玄も現代の我々と同じように、信長の嗜好に大いに興味を抱いたようです。

なんと天沢に「その唄をちょっと真似してみてほしい」と無茶振りしています。

天沢は驚き「出家の身なので、このようなものは唄ったことがありません」と一度は断りながら、それでも信玄がゴリ押したので、仕方なく口ずさんだとか。

信玄のちょっとかっこ悪い話でもありますね。というか信玄にそう迫られたら怖すぎですよね。

 

信長の死生観や価値観が垣間見える

「人間五十年~」は、割と見たまんまの意味ですね。

「下天」はこの場合、「人間が生きているこの世界」を表します。

また、仏教では6つの「天」=「次元・世界」があり、人間の世界は最も下級だということで「下天」と称されます。

さらに、上級の「天」ほど一日が長く、最上級の世界の一日は、人間の世界では800年(!)だとか。

つまりこの唄は「人間の一生なんて、神仏の世界に比べればほんの一瞬の夢のようなもの」という意味合いになります。

「死のうは一定~」の唄は、現代でいう歌謡曲のような位置づけの唄でした。

信長が好んだために残りましたが、当時は似たようなものがたくさんあったのでしょう。

こちらを直訳するのはなかなか難しいところですけれども、こんな感じで意訳してみました。

「人間誰であってもいつかは死ぬ。それまでに何をしておこうか。俺が死んだ後、誰かが見るたびに、俺のことを語るきっかけになるような物事を残しておきたいものだ」

戦国時代ならではの死生観に加えて、信長が常に「他人から見た自分」を強く意識していた一面が垣間見えますね。

だからこそ、これらの唄を好んだのでしょう。

天沢の話はまだ続きますが、『信長公記』ではいったんここで切れているので、それに倣ってまた次回にしましょう。

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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