頭脳明晰で政治力も抜群だった長屋王。
これを陥れて権力の頂点に立った藤原四兄弟であったが、栄光は長くは続かない。
「長屋王の呪いではないか?」と囁かれるほど、まるで計ったかのように四兄弟が天然痘で同じ年に死亡すると、朝廷内では反藤原氏の風が吹き、まもなく橘諸兄が台頭する。
彼は遣唐使からの留学生を用いて、聖武天皇の信任を得て政治力を発揮。
一方その頃、四兄弟の血を引く者が、一大事へと突き進まんとしているのであった。
◆吉備氏はもともと吉備地方(岡山県)に根ざした地方の有力豪族。
その子息である吉備真備(きびの まきび)は717年、天才として知られる阿倍仲麻呂さんと、玄昉(げんぼう)と共に遣唐使船にのって大陸に渡っております。
受験では「僧・玄昉」として習う玄昉さんは法相宗の僧でした。
帰国時には唐の経典と仏像を携え、聖武天皇の信頼も厚かったと言います。しかし、それにより……。
◆藤原広嗣さんはいわゆるエリートです。
藤原四兄弟の一人・藤原宇合(藤原式家の祖)の長男ですからバリバリのエリートです。
しかし、父と叔父の四兄弟は長屋王を排斥した後に、揃って天然痘で死。
反藤原氏に朝廷内での権力を握られると、太宰府へと左遷させられてしまうのでした。
※藤原四兄弟と四家
・藤原武智麻呂(藤原南家開祖)
・藤原房前(藤原北家開祖)
・藤原宇合(藤原式家開祖)
・藤原麻呂(藤原京家開祖)
◆聖武天皇の治世は、全国で天災が頻発しておりました。
ざっと見てみますと……。
724年 聖武天皇即位
725年 奈良周辺で大地震
732年 近畿地方で大干ばつ
733年 近畿地方、静岡や徳島県で干ばつに&水不足&飢饉
734年 近畿地方(大和・河内)で大地震
737年 疫病大流行で高級貴族も多数が死亡
実は740年以降も火山噴火や地震が起きているのですが、そこは割愛。
というのも、740年に藤原広嗣が吉備真備と玄昉を退けるよう聖武天皇に上奏した年であり、そしてこの年に「藤原広嗣の乱」が……。
◆吉備真備と玄昉を重用していた権力者・橘諸兄は、藤原広嗣の上奏文を受け取ると、速やかに行動に移しました。
「ヒロツグ、お前は謀反を起こす気だな! そうでなければ言い訳にこいやー!」
これに対し、広嗣は九州の勢力を従えて挙兵。佐伯常人らに破れてスグに勢いを失っていきます。
そして国外逃亡を計ろうと、船に乗って出たところ……神風が吹いて、島流しならぬ島戻し。あえなくタイーホされてしまいました。無念><;
にしても、こんな派手な事件を起こしておいて、よくまぁ、藤原氏ってその後、復活できましたよね。
と思ったら、式家の縁者たちも流罪などに処され、後に同家の勢力が伸びなかった遠因になっているとか。
歴史ってつながってるなぁ。
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)