武田信玄が信濃へ侵攻し、その後、上杉謙信と壮絶な戦いを繰り広げる――。
ご存知、川中島の戦いは、信玄が凄まじい勢いでお隣信濃を攻略したため、その北方にあって危機感を抱いた謙信が立ち塞がり勃発したものです。
なぜ信玄は、広大な隣国を制することができたのか?
山岳地帯の甲斐(山梨)から信濃(長野)へ進むとき、限られたルートの重要拠点にあったのが「諏訪」でした。
諏訪を押さえなければ信濃制圧など夢のまた夢。
それは現代の地図をご覧いただいても明らかで、その地は実に魅力的な場所です。
一体どうやって触手を伸ばしたのか?
戦国ブギウギ武田三代記vol.13は信玄の妹・禰々の諏訪嫁入りに注目です!
◆前話を読みたい!という方は以下のリンクからご覧ください
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根来金石斎は戦国北条家の軍師なのか問題【マンガ武田三代記12】
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嫡孫
◆諏訪湖の畔に位置する上原城と、その南東に位置する甲府の躑躅ヶ崎館。
信玄とは切っても切れない両地点の距離は約67kmで、近過ぎず遠からずといった感じでしょうか。
現代のクルマで約1時間ですから、徒歩で一日30km進むとすれば2~3日で到着となりますね。
上記地図の右側「ー」ボタンをクリックして、少し引いて見ると一目瞭然なように、峻険な山に囲まれた信濃と甲斐は、ルートが必然的に絞られます。
諏訪は、武田家が長野への本格進出を考える上で真っ先に押さえておくべき絶好ポイントでした。
三女
◆信玄の姉・定恵院は今川義元へ。
そして妹は諏訪頼重のもとへ。
いずれも最終的には悲劇の最期を迎えてしまいます。
側室の子
◆諏訪御前は、諏訪姫とか諏訪御料人とも表記される、後の信玄側室ですね。
彼女が産んだ武田勝頼が跡継ぎとなるわけですが、ご覧のように諏訪との関係が深く、諏訪頼重亡き後、勝頼が諏訪家を継ぐことになっていた――という事情も浮かび上がってきます。
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