歴史ドラマ映画レビュー

ヒトラーに毅然と抵抗して処刑された女学生~映画『白バラの祈り』をご存知ですか

映画『ヒトラー 最期の12日間』。

そのラストシーンは、年老いたトラウドゥル・ユンゲのインタビュー映像で構成されています。

ヒトラーに秘書として協力してしまったことを、若かったからだと思いたかったユンゲ。

しかし、そんなことは弁解にならないと思った、と語ります。

なぜなら彼女は、自分と同年代であるゾフィー・ショルのことを知りったのです。

ある日、犠牲者の銘板を見ました。

ゾフィー・ショル――そこには彼女の人生が記されていました。

私と同じ年に生まれ、私が総統秘書になった年、処刑されていた(※実際にはユンゲが一歳年長で、処刑はユンゲが秘書になった翌年)。

その時、私は気づいたのです。

「若かった」というのは、言い訳にならない。目を見開いていれば、気づけたのだと。

本作『白バラの祈り』の主人公ゾフィー・ショル。

彼女は1921年5月9日に生まれ、ユンゲと同世代に生きながら、正反対の生き方をしました。

結果、わずか21才で命を落とすことになるのです。

この作品は、ユンゲのように年老いることなく、ヒトラーやナチスに抵抗したゾフィーが、逮捕されて処刑されるまでの4日間を再現します。

基本DATAinfo
タイトル『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』
原題Sophie Scholl – Die letzten Tage
(英語タイトル Sophie Scholl – The Final Days)
制作年2005年
制作国ドイツ
舞台ドイツ、ミュンヘン
時代1943年2月18日から22日の4日間
主な出演者ユリア・イェンチ、アレクサンダー・ヘルト
史実再現度90年代の新証言を元に、忠実に再現
特徴「私は知らなかった」という言い訳を打ち消す力強さ

【TOP画像】『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』(→amazon

 


赤いコートの娘

この映画は、ゾフィーが友人と笑いながらラジオを聞いている場面から始まります。

赤いコートを着て、肩までの栗色の髪をヘアピンでとめたゾフィー。

年齢よりも幼く、まだ少女のように見えます。

戦時中でもお洒落をしたい、明るく過ごしたい――そんな彼女の気持ちが伝わってくるようです。

その赤いコートを着て、彼女はミュンヘン大学に向かいます。

そして兄とともに、反戦ビラをバラ撒くのです。

赤いコートの少女は、その姿のまま逮捕されてしまうのでした。

映画ですので、映像は印象に残ります。

本作で目に焼き付くのが、ゾフィーのコートや服の赤。

赤は冬のミュンヘンで異常なまでに目に刺さる、ナチスドイツの旗にもあしらわれています。

まるで血の一滴のように、赤い色が目に焼き付くのです。

 


ゾフィーは理想のお嬢さん

主役の演技力や存在感は、言うまでもなく重要です。

本作の場合、ゾフィーとその他の人の会話シーンが中心となるので、より一層際立ちます。

ゾフィーの少女時代どころか、白バラ運動の活動すら描かれない本作。しかし、彼女がのびのびとした家庭環境で育ったことや、運動に対する真摯な姿勢はすぐにわかります。

ゾフィーは理想的な若い女性として映ります。

礼儀正しく、ハキハキとした口調で、身なりも清潔。何より内側から知性が輝いているような人物なのです。

逮捕した人々も「こんな素晴らしいお嬢さんが犯罪を犯すわけがない。きっと何かの間違いだ」という目線を向けています。

ゾフィーの弁解はかなり苦しいものです。

それでも一度は釈放されかけるのは、彼女の第一印象がよく、弁舌が爽やかだからでしょう。

釈放が決まった時は、逮捕した側すらほっと安堵して「お嬢さん、よかったですね」とすら言うのです。

ミュンヘン大学前につくられた記念碑

確かに見るからに理想のお嬢さんだものねえ、と納得していまいます。

そこでだんだんと気分が重たくなってきます。

この理想のお嬢さんは、あと僅か数日しか生きられないのだと。

ゾフィーの部屋から徹底的な証拠が出てきてしまいます。

彼女はここから追い詰められてゆきます。

追い詰められても、友人、家族、婚約者には累が及ばないよう、それでいて自分の主張を伝えるために、彼女はあらん限りの力を振り絞るのです。

 


「政策そのものはよかった」という詭弁への反論

もはや助からないとわかったゾフィーは、全力でゲシュタポの刑事モーアと対峙します。

このソフィーとモーアの対決は、ナチスドイツの建前と本音の激突です。

モーアはナチスの理想こと国にとって大事なものだと語り始めます。

若いゾフィーには実感できなかったかもしれない、第一次世界大戦後ドイツが陥った苦境についても述べます。

ナチスドイツこそ自由を保障し、国を豊かにし、雇用を守ると主張するムーア。

ゾフィーはそんなことわかりきっているのです。

彼女自身、初めのうちは「ナチスドイツの理想を信じる善良な若い女性」を演じきっていて、ナチスを褒め讃えていたのですから。

ゾフィーは反撃します。

ナチスはユダヤ人に何をしているのかと。

ムーアは、ユダヤ人は勝手に移動しただけだと言います。

「ナチスドイツはユダヤ人虐殺を命じたことがない」というのは、ホロコースト否認においてもよく使われる理屈です。

これは要するに、いくら何でもユダヤ人を虐殺していると知れば国民も反発するでしょうから隠蔽し、ムーアの言うような言い訳を流布していたに過ぎません。

ゾフィーは母の友人から聞いた話として、精神を患う子供達を、バスに乗せていって殺したと怒りを込めて言います(T4作戦)。

「子供たちは天国に行くと聞いて、歌っていたのよ」

そう言われるとムーアは苦しそうに「あれは役に立たない命だ」と言います。

しかしゾフィーはそんな詭弁には惑わされません。

「あなたたちには良心がないの?」

ゾフィーはそう問いかけます。

誰が誰を訊問しているのでしょうか。

立場はむしろ逆転し、ゾフィーがムーアを告発しているように見えて来ます。

この場面は「ナチスドイツの政策そのものはよかった」という、現代でも使われる詭弁への反論です。

ナチスは確かに、第一次世界大戦の敗北によって、貧しくなったドイツを復興させて豊かにするという大義を掲げていました。

額面通りにそれを受け取れば、それは素晴らしいものです。

しかし、それは大抵の政権について言えることです。

邪魔者を大量に殺すことや、言論弾圧、そんな公約を堂々と掲げる権力者なんてそもそもいないのです。

ムーアはその偽りの理想を掲げ、ゾフィーはそれに反論したのです。

そしてここがドキリとさせられるのですが、ゾフィーに徹底して反論するムーアも、実は、腹の底からナチスをよいとは思っていないであろうことが、それとなく視聴者にも伝わってくるのです。

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