太平洋戦争中、戦地へ出向けなかった医学生は東京でどんな暮らしをしていたか?
当時の日記(原作)をマンガにしたのが漫画『風太郎不戦日記』(→amazon)です。
原作:山田風太郎
漫画:勝田文
漫画ですので、子供から大人まで読みやすいことは間違いありません。
僭越ながら『風太郎不戦日記』を紹介させていただきます。

東京大空襲後の様子/wikipediaより引用
戦えぬ23歳 昭和20年の日記をつける
昭和20年(1945年)元旦。
23歳の医学生・山田誠也は、東京で日記を書き綴っていた。
同級生が戦地へ向かう中、病気ゆえにそうすることもなく、学び続ける日々。
後に作家になることなど思いもよらぬこの青年は、独自の観察眼と文才で、この時代を切り取り続ける――。
日記を漫画化していて、それでいて興味深い
本作は、オープニングの時点で「当たりだ」と直感しました。
1ページ目の最初に登場するのは初老の山田風太郎本人。
愛犬がいる書斎で、プカプカと煙草をふかしながら、頭から落ちた“フケ”を集めて
【山田風太郎】
という文字を描いています。
原作では「まえがき」に相当するシーンであり、主人公の見た目が山田風太郎の雰囲気を捉えているばかりでなく、フザけて飄々とした態度も出ていて、実に痒いところに手が届く。
漫画家・勝田文氏の取り組み方が反映された意欲作であることが伝わってきます。
さすが週刊『モーニング』に掲載されるだけあって、絵のタッチも正統派で読みやすく、子供から大人まで幅広い世代の読者に受け入れられるでしょう。
アマゾンKindle版なら一話分・約30ページの試し読みもできますので、まずはそれをオススメします(→amazon)
では、本編の書評へと参りましょう。
戦争に慣れてしまった人々
本作の原作『戦中派不戦日記』(→amazon)は、淡々とした日記です。
それを漫画化して、どうしてこんなにも面白いのか?
もちろん原作の日記がつまらないわけではなく、漫画ならではの力を感じる本作。
舞台は昭和20年、東京の正月早朝です。
下宿先の布団で目が覚め、起き上がって眼鏡をする山田青年は、風太郎本人の若い頃に似ているだけではなく、前述のとおり飄々とした雰囲気もにじませております。
しかし、そんな山田青年と周囲の人々に、ゾッとされられたりもするのです。
アメリカ軍B-29の爆撃により、連日のように空襲を浴びていた東京。
彼ら登場人物はどこかノホホンとしていて、実際に焼かれた家々を見ても、ユーモラスな顔で「はあ」と言ってしまう。
モノローグとして、山田風太郎の文才を駆使した表現が重ねてあるのも、画力を感じさせるところです。
内面が、いかにどれほど衝撃を受けていようと、こういう顔で「はあ」と嘆くしかない。
戦争と空襲に慣れきった“鈍感さ”が表されています。
焼け出された家を見た時よりも、食料品の高騰に怒る下宿屋の高須夫人の方が、ピリピリしているようにすら思えてしまう。
こんな大変な状況なのに、浅草では「都々逸(どどいつ)」をやっているし、山田青年もいつもと変わらぬ様子なのです。
銭湯は痩せこけたお年寄りと子供ばかり
人間ってなんだろう?
戦争に慣れる、非日常を生きるってこういうこと?
そう気づくと怖いを通り越した何かすら覚えてきます。
銭湯に行けば痩せこけたお年寄りや小さな子どもばかり。青年や中年の日本人が軒並み戦争に駆り出されたのがわかります。
銭湯内の環境も劣悪でした。
タオルや体を洗う布はボロ切れだし、下駄箱や脱衣所ではすぐに盗難に遭ってしまう。
数少ない娯楽の銭湯だけに、人がそこへ集中し、お湯はドロドロで道頓堀よりも汚いとされる。
そんな細かい観察と記録から、戦争というもののもたらす日常の変貌が見えてくるのです。
山田の身の上は
語り手である山田青年は、どこかマイペースでつかみどころはありません。
医学生だからといって、エリートぶるつもりは微塵もない。家業だから医学校へ進んだけれど、やりたいかどうかもわからない。
確かに読書家ではある。されど医学書はそこまで読んでいない(原作では読書記録がありますが、戦時中なのにどういうことか、平時でもここまで読めるのか! と驚愕できる読書量です)。
飄々とした性格の背景として、5歳で父、14歳で母を失った山田の身の上も描かれておりました。
人力車で往診に行く姿くらいしか記憶にない父。
思い出はあるけれど、どこか儚げな母。
叔父の家で世話になっていたけれど、家出するように上京したと語られます。
今よりもずっと関係が深い下宿屋の主人・高須夫妻にもそこまで心を開いていない。ひがまれていると思ったかな? そう苦笑してしまう青年像が見えてきます。
この作品が漫画化されてしみじみとよかったと思えたのが、山田家のご両親が絵になったことです。
特に、我が子から花をもらって微笑む母の姿は印象的。
山田風太郎は母との思い出を記しています。母の死がどれほど打撃であったかも、振り返っています。
甘えることもなく、どこか距離を保つ。
そういう彼の母親の笑顔が、こうして絵になったのだから、漫画化とは偉大なものだとしみじみと思えるのです。
「合格できなければ首を吊るしかない」
そんな山田青年が、劣等感を抱くに至った理由もわかります。
原作のあとがきでは『不戦日記』というタイトルの自虐性が言及されています。
同級生男子であれほども大人数が戦死する年代、大正11年(1922年)生まれでありながら、出征しなかったこと。そのことが、彼に暗い影を落とし続けていました。
漫画では、山田の両親だけではなく叔父の顔も出てきます。
その叔父は、甥の山田に対して、
「召集もされず東京医専(現・東京医科大学)に合格できなければ首を吊るしかない」
と言いました。
ただ、この叔父個人が残酷という話でもない。
当時は、日本男児として生まれたからには、大日本帝国のために尽くさねば生きる価値なしと思われていた背景もあります。
昭和13年(1938年)に起きた【津山事件】の背景にも、徴兵検査で丙種合格(事実上の不合格)とされた犯人の鬱屈が背景にあったと指摘されることもあります。
召集されて戦場へ向かうか?
戦場へ向かえず、劣等感を抱えて生きていくか?
あまりに厳しい現実が、そこにはありました。
当時の歌謡曲を聞けば、その価値観がわかるというものです。
お気楽なようで、ひょひょうとしているようで、山田誠也にとって人生とは戦いでした。
そういう戦いを生きることは大変なことです。
山田青年と似たタイプでありながら戦争へ向かった、同学年の水木しげるは、軍隊の上官からビンタをされまくっています。
-

「怠け者になりなさい」心が少し軽くなる水木しげる&武良布枝の生涯
続きを見る
余談ですが、
『大いなる幻術』
・山田風太郎原作
・水木しげる原画
という短編は、ちくま文庫『野ざらし忍法帖』(→amazon)に収録されています。
こちらもamazonKindle版ですぐに読めますので、よろしければ一読どうぞ。
さて、本編へ戻りまして……。
自暴自棄になること
高騰する食費。
窮乏する生活。
「勝たねばならんのだ!」という重圧。
ひょうひょうとした山田青年も、時折本気で悩み始めます。
しかし、どれほど考えても、勝てるわけもないという結論に達する。彼の学友も議論するものの、なかなかその内容が生々しいのです。
海軍はどうせ海の底だ。
戦場で会おうと言って卒業した先輩だって、何人も戦死している。
当時の日本人が洗脳をされていて、密告が恐ろしくて「勝てねえ」とはおいそれとは言えない。それはそうなのですが、腹のそこから信じていなかったことが伝わってきます。
青年たちは「特攻隊になって国や母のために死ぬんだ!」とも言い出す。
でも、それが意味があるとはわかっているわけでもなく、現実逃避か追い詰められてのことではないかと、作画から伝わってくるのが怖いところでもあるのです。
この漫画の絵は、劇画からはほど遠く、味があって、淡々としている。それでいて当時の素朴で丸坊主、学生服姿の青年像をうまくとらえています。
だからこそ、青年の熱気がただの自暴自棄に見えて、おそろしい。
特攻隊の遺書に、本音なんて検閲で書けなかったというのは確かなことです。それ以前に何もかもが絶望的で、自暴自棄になってああなってしまう生々しさがあるのです。
安易な特攻隊賛美を吹き飛ばすものが、あのひょうひょうとした絵にはあると思えるのです。
そういう学友の言葉を淡々と聞いていた山田青年が、空襲で逃げ惑うところもきっちりと描かれます。
この作品のB29は、山田青年の目から見た不気味な巨体です。
そこにはロマンチックなところも、格好よさもない。人々を圧倒するおぞましさが伝わってきます。
おぞましいといえば、銭湯で多発する窃盗、罵倒し合う日本人の姿もそうかもしれません。
戦争中の日本人は美しい、素晴らしいというフィクションが増えてきたと思えますが、それは所詮思い込みだと本作は否定しています。
戦争末期から起きた【小平事件】(連続性暴行殺人)は、戦時中という非常事態を悪用した凄惨な事件です。
皆が綺麗な心で一致団結して国難に立ち向かったわけではありません。
憎悪と希望をどこへ向けるのか?
「日本男児でありながら役に立たない者への怒りとはどういうものか」
それも本作を通してわかってきます。
食糧を買い出しするとき、割り込む人。自分の家は困っているから増やして欲しいと訴える人と、それを罵る人。闇で食糧を仕入れながら、闇で儲ける人を罵る心理。
米軍への怒りは当然あるはずなのですが、どう向ければいいかわからない。
ルーズヴェルトの死を受けて興奮する山田青年は、彼に同意しないでシンとしている学友に驚くような、気が抜けるような反応を示します。
政府や軍部へ、怒りは向かわない。
自分より楽に見える隣人へ怒りが向かってゆく。
そういう構図が見えてくるのです。
根本的なことを解決するのであれば、戦争に勝たねばならぬ。でも、どうしたらいいのかわからない。
人々も淡々と、庶民に至るまで「もうこの戦争には勝てない」と悟っていることも伝わってきます。
国のいうとおりに防空頭巾を被っているとむしろ危険。防空壕だって危険だ。結局は運なのだ。
新兵器ができて勝てるって?
そんな希望を信じるなんて、希望の怪物だ――。
山田青年は諦念に浸りつつい、無惨な焼け跡を見て、彼らしからぬ感慨を抱きます。
日本人全員が、いかにしてアメリカ人を殺すか考える陰鬼にならなければ、勝利は得られない――。
原作でも衝撃的な記述を、実にうまく漫画にしてゆきます。
山田青年は、周囲とは違った個性を持っているようには思えます。
進級試験に空襲があると無試験合格になる――そうとわかれば、今日こそ空襲が来ないか?と待ち望んでしまう。
今日は名古屋あたりの番だから東京じゃないサと、語り合って笑ってしまう。
そしてたしなめられるような存在であると描かれながらも、こうも陰鬱な決意を固めてしまう。
そんな彼に対しては、当時はそんな者だという切り離し方もできないのです。
山田風太郎は、忍法帖はじめ、隣人が殺し合う作品を描いてきたものです。
忍者にせよ、柳生一族にせよ、自分たちを殺し合わせる力ではなく、隣人殺しへと突き動かされてゆきます。
自分より恵まれていて、自分とさして変わらぬ位置にいる相手を憎み、殺し合うことに喜びすら感じてしまう。
そういう姿を、戦時中に見てしまったがゆえのことなのかと気づくと、ゾッとするようなものを感じてしまうのです。
ただし、希望もないわけじゃない。
東京大空襲のあと、美しくもない、薄汚れていて疲れ切った二人の女性が座り込みこう言い合っているのです。
「ねえ……また……きっといいこともあるよ……」
英雄でもない。歴史に名を残す人物でもない。平凡な女たち。
彼女らの声を聞き、山田青年がどれほど人間の本質を得たか。
それは原作でも印象的なのですが、漫画でもきっちりと再現しています。よくぞこれを描いたと思えた場面です。
終わりが見えず、楽しみすら薄れる時代を生きる
こんな時代です。
すべての人が先を見通せず暗いと思える中ではありますが、深刻なのは学生でしょう。
苦難の時代、若い人たちはいかにして生きるべきか?
そのヒントも本作にはあります。
東京医科大学出身という経歴から、理数系だと思われがちな山田風太郎ですが、数学はまったくダメで、高等数学はぶん投げていて一点も取れないという記述がきっちりと反映されています。
文才に富んでいますから、そういうことなのでしょう。受験にも一度失敗しているわけです。
そういう学生でも、空襲無試験合格があったため、むしろ通ったと思えるところが興味深くはあります。
こうした時代ゆえに破天荒な人物が進学してしまった。そういう背景がこの年代にはあります。
山田風太郎よりやや下である設定の人物として、『動物のお医者さん』に出てくる漆原教授がいます。
彼も無茶苦茶な学生でしたが、戦後のドサクサに紛れ、獣医学の道へと進んだ設定です。
大変な時代は、埋もれかねない人間にも道は拓けるという先例にはなるのでしょう。
これが励ましになるかどうかはさておき。
辛い日々でも何かを見出す山田青年の姿が、こんな時代だからこそ印象的ではあります。
冬景色を照らす月。
散る桜。
都々逸。
古川ロッパ。
六代目尾上菊五郎。
読書。
言い合う冗談。
エイプリルフールに高須さんを騙すこと。
空襲警報が響く中噛み締める飯。
ナオシ(腐りかけたもの、下等な酒を加工したもの)。
死の虫の知らせを感じながら、こんなふうに生きていたということ。
回想ではなく、日記だからこそ残せた生々しさ。
原作も素晴らしい。
その原作からここぞというところを抜きだし、絵でまた命を吹き込んだ。
こんな時代だからこそ、共鳴したい。そんな23歳の青年の青春がそこにはあります。
山田青年が見る敗戦、そして戦後の混乱がどう描かれるのでしょうか。見届けたいと思います。

『風太郎不戦日記』1巻(→amazon)
あわせて読みたい関連記事
-

戦時中の軍と新聞は如何にしてデタラメを発表し続けたか 書評『大本営発表』
続きを見る
-

「怠け者になりなさい」心が少し軽くなる水木しげる&武良布枝の生涯
続きを見る
【参考】
漫画→山田風太郎/勝田文『風太郎不戦日記』(→amazon)
原作→山田風太郎『戦中派不戦日記』(→amazon)



