この歴史漫画が熱い! ゴールデンカムイ

ゴールデンカムイ尾形百之助と花沢勇作を考察~悲劇的で耽美な兄弟よ

2023年7月に『ゴールデンカムイ』著者・野田サトル氏による新連載『ドッグスレッド』が始まりました。

その初回で、金カムファンはざわめきました。

背番号39番のアイスホッケー選手が尾形とそっくりの顔だったのです。

尾形は明治に生まれ、道を踏み外してしまったけれども、平成令和ならばそうはならなかったかもしれません。

独特のセンス。皮肉っぽいユーモア。不思議な魅力が揃ったスポーツ選手として、飄々と人生を謳歌した可能性もあるでしょう。

思えば『ゴールデンカムイ』の最終巻で、尾形は悲劇的な最期を迎えました。

最期のとき、側にいたのは異母弟・勇作の幻。それまで見えなかった美しい勇作の瞳と共に尾形はこの世界から消え去ったのです。

もしも来世があるならば、弟と共に平穏無事に生きて欲しい――そう願いたくなる最期でした。

尾形は結果的に化け物になってしまったけれど、私たちとそこまで距離は遠くないかもしれない。

今さらだけど、実は愛されるべき青年だったのでは?

勇作ならば、綺麗な瞳と笑顔で「もちろん、私の兄様ですから」と答えてくれそうな……尾形の軌跡をあらためて辿ってみたいと思います。

※以下は尾形百之助のルーツと因縁にスポット当てた考察記事となります

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尾形百之助は「信頼できる語り手」なのか?

『ゴールデンカムイ』は、作者がミステリ好きであることが活かされている作品です。

切り裂きジャックをモデルとした事件など、古典的ミステリ好きの心を惹きつける仕掛けがいくつもあり、尾形という人物にもその手法が用いられていると思える。

それは彼が「信頼できない語り手」ではないか?ということです。

「信頼できない語り手」とは、物語を説明する人物が意図的か、あるいは無意識的に嘘をついているため、読者が困惑してしまうテクニックのこと。

作品が進んでいくと、どこか噛み合わない違和感や矛盾点が生じ、ラストにどんでん返しを繰り広げ、読者を驚かせるわけです。

尾形も、最終巻になるまで読者がすっかり騙されてしまうキャラクターでした。

宇佐美や鯉登のように情緒不安定であったり、いかにも信頼できない人物とは異なり、尾形は沈着冷静。

狂信的に鶴見についていく第七師団の他の者とは異なります。

尾形は鶴見に心服しておらず、だからこそ造反したように描かれます。

作中の人物も騙されていました。

月島は中央に鶴見を売ることで出世したいのかと尾形を問い詰めたことがあります。尾形は、それにハッキリとは答えないし、中央からの誰かと接触している描写も出てきません。

この【中央の意向で裏切る第七師団内の人物】とは、物語後半になって登場する菊田特務曹長が該当します。

尾形はキロランケと共に行動し、杉元を殺そうとしました。とはいえ、その目的が杉元にもわからない。尾形がキロランケの掲げるアイヌの権利を考えているとも思えません。

物語が進むにつれ、尾形の行動はわかりにくくなる――それが最終巻で、鶴見に思いをぶちまけます。

第七師団長にするという計画のために、俺だけを見ているんじゃなかったのか。他の連中によそ見ばかりしてどういうことかと。

尾形のミステリアスな仮面は剥がれてゆきます。

幼い頃の彼は、母親に見つめて欲しいと願っていた。ずっと自分のことを誰かに見て欲しい――そう全てを明かした尾形は、まるで幼い子どものように見えてきます。

鶴見に洗脳されていないように思えた。クールで皮肉っぽい態度をとっていた。しかも、アニメの声は津田健次郎さん。

そうした彼の要素全てが騙すためのもので、本当は弱々しい子どもだったのでは? 今まで語ってきたことも、子どもの目線で見た歪んだ認識だったのでは?

こいつに騙されてしまった!――そう認識して、読み返していくと、別の姿が見えてきます。

尾形の証言を信じて考えていたことを、一度洗い直してみましょう。

 

浅草芸者のもとへ通う陸軍士官

尾形百之助の悲しい生い立ちは、読者に衝撃を与えました。

第七師団師団長・花沢幸次郎中将の子。祖父の代まで優秀な軍人で、年代からして軍人というより武士にも思えます。

しかし母親は、浅草芸者のトメです。彼女はどうにも、そこまでお高い芸者とも思えない。

明治時代、最高級の芸者は新橋と柳橋が双璧でした。ここの芸者となれば政府の上層部が遊び、高い花代を払います。

薩摩閥の名門とはいえ、若き陸軍士官がそんなお高い遊びはできません。

背伸びして、せめてそれより落ちる浅草で遊んだ。尾形トメは茨城出身ということも、彼女の芸者としてのランクをどうしたって考えてしまいます。

明治時代は女性にとって残酷な時代です。

旗本の娘で、ちょっとしたお姫様のような娘たちが、没落して芸者になる事態に陥っていました。

幕末の水戸藩は、内乱で壊滅的な打撃を受けています。そんな水戸藩が茨城県となった時代に、家族を養うためにやむなく芸者となったのが、トメという女性に思えます。

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しかも、花沢幸次郎の子を産んだばかりに「山猫」、つまりは身を売る下劣な芸者と思われてしまったと。

尾形の生まれた場所は東京府です。

芸者をしている土地で産み、トメは茨城の実家に戻りました。

そして花沢はその数年後には、華族のお姫様であるヒロという女性と結婚し、勇作という子を授かったわけです。

こうしてざっと見てみると、花沢幸次郎は最悪の男だと思えても無理ありません。

ただし、よく考えてみたい。

遊ぶことでステータスシンボルになるわけでもない。芸を幼い頃から仕込まれたわけではない。日陰に咲く花のように可憐な芸者に惚れて、彼女とアンコウ鍋を食べることを楽しみにしていた。

その芸者であるトメは、幸次郎を立派な将校だと語る。思い出のアンコウ鍋を作る。そこに愛はありませんか?

花沢の立場も踏まえてみたい。

浅草芸者と結婚すると彼が語ったとして、親なり、周囲は許せたか?

ヒロとの結婚において、花沢の意思がどこまで挟めたのか、知ることはできません。

そのヒロとの結婚についていえば、花沢は妻を愛していたとも思えます。

尾形に冷たく思えたとすれば、今の妻であるヒロへの気遣いがあってこそ、そうなってしまったのかもしれません。

少なくとも、花沢幸次郎とトメには、祝福された日々があったのでは?

こう考えてくると嫌な気分にはなりませんか?

うそだ、嘘だ、ウソだ!

花沢幸次郎はクズだ、尾形とその母を苦しめたんだ!

そう思いたくなるかもしれませんが、なまじ満洲鉄道がらみのことも含めて、まっとうな人物だから鶴見が始末した可能性もあるわけでして。

浅草芸者のもとに足繁く通い、アンコウ鍋を食べる陸軍士官。なかなか悪い男じゃないように思えます。

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