俺たちのカムイが 違うものにすり替わっていく
いずれ自分たちも文句を言わない敬虔な信者にされてしまう
だからウイルクと俺はソフィアたち革命家に加担した
キロランケ(『ゴールデンカムイ』第179話より)
14巻末から、杉元たち先遣隊が上陸した樺太。
彼らの追いかけるキロランケは、アシㇼパに父・ウイルクの軌跡を見せようとしていました。
衝撃的な核心へと迫るストーリー。
それを追いかけるためにも、彼らの背景を見ていきましょう。
【TOP画像】ゴールデンカムイ19巻(→amazon)
ロシアの革命戦士と、その爆弾
強く美しき、ロシアの革命戦士・ソフィア。
そして彼女に導かれたウイルクとキロランケ。
ソフィアには複数のモデルがいます。
革命を目指したテロリスト・ソフィアと、義賊ゴールデンハンドです。
◆ソフィア・ペロフスカヤ(1853〜1881)
彼女はナロードニキ運動に参加しており、名家の出身でした。
貴族であるソフィアの経歴と一致しております。
◆ソーニャ・ゴールデンハンド(1846〜1902)
ロシアの伝説的な存在。
「ゴールデンハンド」という通称は、彼女から取られています。
経歴はあまり一致点がないように思えます。彼女の生い立ちは、彼女自身がさして語らなかったため、謎に包まれているのです。
数回結婚しており、魅力的な女性であったことは確か。
不敵な顔は、どこかソフィアに似ています。
樺太に収監された彼女は犯罪者でした。
そうでありながら愛されたのは、金持ちから盗み、貧乏人に配っていたため。伝説的な女性「義賊」なのです。
史実におけるソフィアの仲間には、ウイルクとキロランケに似た経歴を持つ者もおります。
◆イグナツィ・フリニェヴィエツキ(1856〜1881)
ポーランド人であり、アレクサンドル2世に爆弾を投げつけた人物です。
◆ニコライ・キバリチチ(1853〜1881)
ツァーリ暗殺爆弾の開発者です。
キロランケが得意とする爆弾は、簡単であればあるほど役立つものでもあります。
こうした爆弾や砲弾は、原始的な構造であり、爆薬まで到達する前に防ぐことが可能。
会津戦争では、「焼き玉抑え」という任務を籠城する女性や子供が行いました。着地し、爆発する前の砲弾に布をかぶせ、爆発を防ぐことをこう呼んだのです。
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明治時代には、日本でも爆弾テロが増えております。
大隈重信も、その一人です。
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幕末に猛威を振るった自顕流拾得者の鯉登と、明治以降猛威を振るいはじめた爆弾のキロランケ。
この二人の対峙は、鯉登が爆弾を切りつけてかわすことにより、決着がついています。
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ロシアのヒグマに気をつけな
さて、ここで考えたいこと。ちょっとBBCを助っ人に呼んできましょう。
BBC制作の「第一次世界大戦をラップバトルで説明するYO!」をどうぞ。ふざけているようで、かなりレベルが高く、勉強になるYO!
1:40あたりから登場! ニコライ2世の歌詞でもどうぞ。
セルビアの同胞、フランツ・ヨーゼフを応援するYO!
同じ血、同じ宗教、同じスラブの顔
サラミよりも多くの軍隊を派遣できるZE!
煽りや釣りはやめるんだYO!
コサック騎兵に引き裂かれてのたうちまわりたいか?
このあいだにやらかしちまったとき(※ニュアンス的に、たぶん日露戦争ですね)、朕も革命に焦ったYO!
今回はてめえをぶちのめして解決するZE!
ロシアのクマに気をつけなYO!
なんかラップで意味がわかんねえ。しかも英語かよ。
そうなるかと思いますが、我慢してくださいね。
ロシアでは、伝統的にヒグマをシンボルとしてきました。
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プーチンがヒグマに乗っているクソコラは、ある意味伝統なのです。
◆プーチン氏、熊に乗っている写真にコメント【写真】(→link)
「ヒグマと喧嘩したいの?」と、ロシア人に言われたら? 大変危険です。気をつけましょう!
本作の命知らずどもは「日露戦争延長戦だ」といきり立つのがお約束ですが、あれは彼らが強いから。
アジア太平洋戦争の延長戦になったら危険です……やめておきましょう。ウクライナ侵攻が実現した今となっては、プーチンを揶揄していたころの世界は能天気なものであったと思います。
はい、ラップバトルへ戻りまして。
ここでツァーリはノリノリでセルビア仲間意識を見せていますが。見せられる方からすれば、シャレになっていないところでもある。
なまじ東欧であるセルビアやポーランドは、ロシアのせいで苦しめられています。その最大の被害国がウクライナであることが今や証明されています。
ロシアはここを突かれると、放置できないけれども。助けられる側としても、ありがた迷惑ではあると。
ここで思い出してみましょう。
ウイルクの父であり、史実におけるアレクサンドル2世の暗殺犯も、ポーランド系です。彼らはロシアから圧迫を受けた人たちであるのです。
そして、この物語の舞台とラップバトル舞台の20世紀前半に至るまでに、もうすこし遡りたいところでもあります。
それはナポレオン戦争です。
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フランスから始まった革命の息吹は、ポーランドにとっては希望でした。
フランスの味方をして、ロシアを叩く。そうすれば、祖国独立への希望が見いだせるかもしれない――。
ならば、フランスのために戦おう!
そう考えたのです。
その代表例が、ポニャトフスキです。
池田理代子氏漫画『天の涯まで ポーランド秘史』主人公でもあります。
彼は、第一帝政の26元帥の一人にまでのぼりつめました。
ただし、軍事的功績や能力というよりも、ポーランドへのポーズという意識が見え隠れしているところではあります。
ポーランドの苦しみは、大国に挟まれたゆえのもの。
フランス、オーストリア、ロシア――。フランスとしては自国民でもなく、ロシアに近い、緩衝材になるのです。
ナポレオン戦争の中で、フランスの成人男性人口は激減しております。
他国民を利用することが理にかなっていたのです。フランス外人部隊も、この戦争の影響から採用されたシステムでした。
その最悪の結果が、ロシア遠征です。
ナポレオン退場の契機であり、『戦争と平和』で知られるこの戦い。
犠牲となった将兵は、フランス人以上にポーランド人が多かったのです。
それでも、ポーランド人は戦わねばならない。
少数派が多数派の中で目立つためには、倍努力せねばならない――。ポニャトフスキも、戦争の最中溺死するという、悲劇的な最期を迎えました。
ポニャトフスキが男性の代表ならば、女性はマリア・ヴァレフスカでしょう。
ポーランド貴族夫人であった彼女は、政治的駆け引きも背後にある中で、ナポレオンの愛人となりました。
彼女の夫は政略結婚のうえ高齢であるとか。
玉の輿であるとか。
彼女は純粋であったことから、美化されがちな関係ではありますが。
ナポレオンが死の際に叫んだ名前は、ジョゼフィーヌ。
ナポレオン2世の母は、マリー・ルイーズ。
ナポレオン物語のヒロインとはジョゼフィーヌであり、その次がマリー・ルイーズであり、マリアはあくまで脇役なのです。
ナポレオン戦争終結後、ポーランドはロシアのくびきからいかにして抜け出せるのか。そのことに直面するようになりました。
しかし、ロシアは巨大なヒグマ。
猛獣に楯突いておいて、その相手を許すことは到底できません。
だからこそ、ウイルクの父のようなポーランド人政治犯は厳しく弾圧を受ける。そして、地の果てとされた樺太の監獄へと送られていきます。
そして樺太のアイヌ女性との間に、青い目を持つ男児が生まれる。
ウイルクと呼ばれるその男児は成長し、やがてロシア皇帝・アレクサンドル2世を暗殺するのです。
暗殺後、ウイルクは北海道へと逃れます。
彼はそこでアイヌの女性と愛し合い、父譲りの青い目のアシㇼパが生まれました。
アシㇼパの青い目――。
美しい宝石のような輝きだけではなく、悲しい歴史が宿った色でもあるのです。
ウイルクとアシㇼパという父と娘は、何なのか?
彼らはロシアというヒグマの巨体に、抗う存在でもあるのではないでしょうか。
ヴィクトリアおばあちゃんの孫たち
はい、ここであのラップバトルをもう一度ご覧ください。
ここでおっさん……もとい君主どもが、3:45あたりで写真を見ながら「おばあちゃ〜ん!」と言い出します。
そのおばあちゃんとは? ヴィクトリア女王です。
即位時の可憐な姿。
NHKでも放映されたドラマのイメージがあるかもしれませんが、あちらのイメージは、むしろおばあちゃんですね。
存在そのものが巨大であるがゆえに、世界史でも屈指の影響力を持っています。
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・厳しいしつけに反発したエドワード7世が、はっちゃけ野郎になる。ただ彼は寛大で社交的でありました。真面目ゆえに融通のきかなかった息子のジョージ5世(※ラップバトルにもおりますね)が、父親のような性格であれば、第一次世界大戦とはいかずソフトランディングできたのではないか? という見方も
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そんな彼女の、ロシアにとって最大の影響とは?
血友病でした。
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近親婚の危険性は、王室につきまとうもの。
スペイン・ハプスブルク家の弊害は有名です。
もうひとつの恐るべき例が、このヴィクトリア女王から始まります。
彼女の血を引く王女たちがヨーロッパ王室に嫁いだ結果、いくつもの悲劇が生まれたのです。
偉大なるヴィクトリアの血がヨーロッパにいきわたった結果、王室全体が危機を迎えるという、壮大な恐怖。
その結果、皮肉にも「えー、平民出身王、しかもフランス移民でしょ? あんなもん即座に終わるわ」とされてきた。
そんなスウェーデンのベルナドット王朝が、現在に至るまでピンピン元気! ノーベル賞授章式に出てくると。
ロシアに話を戻しますと……。
やっと生まれた皇太子。
そんな我が子に血友病が出てしまった!
皇帝夫妻はパニックに陥り、藁にもすがる思いである人物の祈祷を信じます。
ラスプーチンです。
はい、ここでラップバトル、「ラスプーチンvsスターリン」。
この二人以外も、いろいろと出てきますが。BBC版ほどできはよろしくありませんが、楽しいことは確かですよ!
ここでスターリンは「何が母なるロシアだ、ビッ*じゃねえか!」と悪態をついています。
ソフィアの気持ちも、そんなところでしょう。
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老いゆくヒグマを喰らうもの
そうしたシステムが老いてゆくヨーロッパに対する、新興国大日本帝国という立ち位置。
これもまた、頭の隅にでも入れておかれるとスムーズになります。
「脱亜入欧? 所詮おたくの君主、ヴィクトリアおばあちゃんの孫じゃないし……?」
こう言われてしまうと不愉快極まりない話。
とはいえ、鹿鳴館だ、文明開化だ! そう日本が主張しても、どうしたって一段下に見られている。そういう史実から、目をそらすことはできないのです。
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さらに突っ込んでいくと、どうしたって不快感があるのですが。
倒幕において薩長を支援したイギリス。彼らの狙いは何か?
ロシア牽制――。ロシアの立ち位置を、先程のラップバトルから思い出しましょう。
彼らはスラブ系であり、宗教もロシア正教である。
西欧からすれば、半分ヨーロッパ人、半分アジア人という、中途半端な立ち位置なのです。
ロシアの誇りであるピョートル大帝すら、フランスでは「何あの田舎者〜ダッサ〜!」と、思われていたという悲しいお話も。確かに言動がいちいちワイルドだけどさぁ。
ナポレオン戦争にせよ、第二次世界大戦にせよ。
味方として団結する一方で、一段下に見られる。ロシアとは、そんな位置にあります。
ご自慢のコサック騎兵にせよ、ルーツはヨーロッパ以外であり、野蛮だとみなされていたほどでして。
ここで、ソフィアのことを思い出しましょう。
農民の娘に偽装していた彼女は、言動の端々にフランス語が出てしまい、貴族だと察知されておりました。
彼女は貴族であるがゆえに、フランス語を話せたのです。
ロシア語は野蛮だからこそ、皇族や貴族はフランス語を話し、フランス人家庭教師から教育を受けるべきだ。そんな美学が彼らの間にはあったのです。
アレクサンドル1世は、コルシカ訛りのあるナポレオンよりも美しいフランス語を話すことができたほどでした。
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『戦争と平和』のピエールのように、時にフランス語名すら名乗りました。
自らの名前すら否定する。西洋への憧れがありました。
野蛮人とみなされたくない。そんなロシア人の背伸びがあるのです。
いつまでも、西洋諸国の秩序にいたら?
ロシアは、仲間のようでそうじゃない、半端な存在のままになってしまう。
ならばいっそ、世界初の共産主義革命を成し遂げてこそ、その因習を打ち破れるのではないか――。
ロシア革命では皇族が虐殺され、多数のロシア貴族が亡命し、災難に直面しています。
そのことを踏まえますと、貴族のソフィアはなぜ革命家になったのか? そう思えてきませんか?
そこには、彼女なりの打破願望があってもおかしくはありません。
ソフィアは、ユニークな個性を持っている。
義賊であり、貧しいものを救いたい気持ちはあった。彼女の言動の端々からは、そのことを感じさせるのです。
それと同時に、支配されたくはない。
男性であるウイルクやキロランケにも引かず、立ち向かう強気があります。
誇り高き貴族にして義賊――ゆえに、ソフィアは革命戦士になったのでしょう。
革命を目指すならば、やっぱり強盗くらいはやらないと!
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そんなロシアは、西欧諸国から見ても厄介ではあります。
文明では一段下とはいえ、軍事力はある。どうにかして牽制したい。
ナポレオン戦争がひと段落したあと、西欧諸国の思惑が交差します。
そこで彼らが目をつけたのは、極東の島国・日本でした。
日本よ、ロシアを牽制せよ
フランスは幕府。
イギリスは倒幕勢力。
そんな勢力争いを繰り広げた仏英。
サムライがスゴイと感嘆する、親日家だったから日本に目をつけた?
いや、そんな幼稚なロマンで介入するほど、彼らは暇ではありません。イギリスの脳裏には、ある思考があったと歴史をみていけばわかります。
この新興国に、ロシアを引きつけさせればよい!
明治政府の外交政策には、そんなイギリスの影響がなかったとは、到底言えません。
幕末の「江戸城無血開城」といえば、西郷隆盛と勝海舟の功績、山岡鉄舟が頑張ったとされておりますが。
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「江戸で戦争して市場を破壊した挙句、私たちの大好きなショーグン・徳川慶喜を始末したら。絶対許さないからね」
英仏ともどもそこは一致団結して、プレッシャーをかけておりました。
元幕臣の福沢諭吉は、勝海舟シンパの徳富蘇峰にこう煽られまして、バトルになりました。
「勝さんは政治干渉を避けたかったんですよ!」
「ハァ〜〜? その言い草、超うけるんですけど」
幕臣として倒幕過程を見ていた福沢には、その言い草は笑えて仕方なかったようです。
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そんな外交政策に翻弄された島が樺太です。
樺太領有権は、イギリスの干渉を受けます。幕府は、樺太は日本領だと認識しており、それは明治新政府にも引き継がれたはずでした。
江戸後期には、会津藩はじめ東北諸藩が蝦夷地や樺太に上陸し、警備にあたっておりました。
会津藩家老・山川大蔵(山川浩)は、幕末混乱のさなか、幕府のロシア使節に参加しています。
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しかし明治になりますと、パークスを窓口としたイギリスの干渉で、この島はロシアのものとされてしまうのです。
樺太という島は、日本人にすれば不本意な状況で引き渡されたものとなりました。
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日露戦争は辛勝であったにも関わらず、国内は日清戦争級の賠償金と領土を得る声が高まっておりました。
そんなガス抜きとされたのが、南半分のみが日本領とされた樺太であったのです。
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単行本1巻の時点で、杉元と銭湯の客のセリフには樺太が出てきています。
思えば、これも伏線であったのかもしれません。
樺太の運命
けれど、そんな日本とロシア、背後にあるイギリスの思惑の中に、含まれない人々がいました。
ウイルクとキロランケたちです。
キロランケの顔には、時折焦燥と怒りが滲みます。
その理由は、引き裂かれ翻弄される樺太という土地そのものに由来するのでしょう。
キロランケは、高潔であり、愛すべき人物ではあります。
その一方で、人を利用することを何とも思わない冷酷さもにじませています。
ソフィアら革命家の存在を利用すると、はっきりと言い切る。
彼には北海道アイヌの妻子もいます。しかし、彼がその家庭を気にかけることはほとんどありませんでした。
キロランケは、ウイルクは変わってしまったと言い射殺しました。そのことに怒り、糾弾するインカラマッともみ合いになり、彼女を殺害しかけてすらいるのです。
そして父ウイルクを殺したことを伏せて、アシㇼパを攫ったからこそ、杉元たちはキロランケを追いかけることになるのです。
裏切り続けるキロランケ。
彼をそこまで追い詰めたのは何でしょうか?
大自然の中で生きるはずであった、馬を愛する彼を、こうしてしまったものは何なのか?
それこそが、この作品の根底にあるのでしょう。
西欧の最東端であるロシア、そして日本のはざまにあった樺太――。
それまでは自然とともに生きてきた樺太アイヌは、かなり特別かつ複雑な状況に置かれます。
明治時代以降のアイヌは、日本国民とされました。
それは、彼らにとって過酷なことでした。
◆パンデミック
結核、梅毒、天然痘、コレラ……和人の持ち込んだ病原菌に対してアイヌは抵抗力が低く、対策の施しようがありません。
チカパシは家族を病気で失い孤児になっておりますが、彼のようなアイヌは多く存在したのです。人口は激減し、コタンごと消える例すらありました。
◆飢餓
伝統的な鹿猟の禁止。そして漁場も奪われてしまいます。
和人にとって北海道や樺太の漁業は大きなビジネスチャンスでした。
その影で、アイヌは飢えに苦しみ、座して死ぬしかない者もおりました。栄養不足のため、病気の感染も広がりやすくなっていたのです。
しかし、当時の支配者はその仕組みがわからない。より安定した穀物栽培による生活は、救いになると考えている。世界でいくつもの先住民が直面した悲劇が、アイヌにも降りかかってきます。
先住民が直面した困難とは、食生活の変化でした。人類が狩猟最終から農耕へと変わるということは、大変な困難を伴っていました。穀物を消化できるだけの腸内環境構築には時間がかかるのです。
しかし、穀物に慣れ切った人類はそのことを忘れてしまっている。先祖が何世代もかけて変えていった食生活の変化を、先住民は「よいこと」として強制されます。穀物を食べても消化できない先住民は、飢餓に陥ってしまうのです。
その結果、栄養失調や病気感染によりアイヌの人口は激減する。このことを、アイヌは滅ぶべき運命だったのだと勝手に結論づけてしまう。そんな恐るべき悲劇が起きていたのです。
◆労働搾取
コタンが蝗害に襲われてから、キラウシは「やん衆」として働いています。
北海道とアイヌの労働者のことです。
アイヌのやん衆はどうして存在するのか?
それだけ貧しく、土地や暮らしの糧を失い、そうする他なかったのです。
賃金労働していると推測できる。そんなキラウシの境遇はまだマシな方でして。劣悪な労働条件の元で酷使され、家庭を持つこともないまま亡くなるアイヌも、数多く存在していました。
キラウシは北海道ですが、これは樺太でも同じことです。
雇ったエノノカとヘンケを値切らないで衣食住を整備する鯉登は、その点とても親切で良心的です。
役に立たないボンボン呼ばわりもほどほどにしましょう。
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女性は性的搾取にさらされました。
松前藩の支配時代から、アイヌ女性はしばしば強引な性交渉の犠牲とされたのです。梅毒感染や妊娠も伴うものでした。
アシㇼパが女衒らしき男に捕まり、シヌイェ(刺青)を入れていないことが好都合だと評される場面もありました。
アシㇼパのように逃れることができなかったアイヌ女性もいたのです。
◆創氏と改名
アシㇼパには、小蝶辺明日子という「和名」があります。
アイヌには、父方の男系継承の祖印、母方の女系継承の守り紐といった伝統がありました。
和人の創氏と改名は、こうしたアイヌの伝統とアイデンティティの否定であり、破壊であったのです。
彼ら自身の名前――それが本作における重要な要素であること。
それは歴史的な要素が背後にあっても、不思議なことではありません。
近年、アイヌは名乗れば誰でもなれるという誤解がインターネットを中心にして流布されています。これは大きな誤解です。
アイヌには和民族にはないつながりがあり、互いにどこのルーツなのか、把握しています。
突如「アイヌです!」と名乗ったところで、嘘はすぐにバレます。いい加減なことを言わないようにしましょう。
◆伝統文化の否定
キロランケのニンカリ(耳環)。
インカㇻマッのシヌイェ(刺青)。
アシㇼパの毒矢。
その他にも狩猟。言語。儀式。食生活……。
アイヌとは「化外の民」、「旧土人」であり、その伝統は「陋習(野蛮でいやしく劣った風習)」と決めつけ、一律に否定されてしまったのです。
アシㇼパは弓矢を愛用しています。
彼女の使い方はきわめて合理的であり、納得のできるものです。
キラウシはそんな彼女を時代遅れだと驚いていますが、弓矢こそ最高の道具だと信じているアイヌは昭和初期まで実在しました。
網走監獄潜入作戦の際、キロランケは鮭漁を装いました。アイヌにとって生きる権利そのものであったあの鮭漁も、日本政府によって禁じられました。
先住民族の権利を求め、あえて鮭漁を行う方は現在でもおります。先住民の伝統的な狩猟は国ごとによって対処が異なるものです。
日本の対応が遅れているという批判にも、理由はあるのです。
◆アシㇼパから学ぶ! アイヌの弓矢は強いぞ
弓よりも、弩の方が高威力であると古来より認識されていました。
しかし、弓にはメリットがある。
それゆえ、なかなか廃れなかったのです。
・無音である
→発砲音で敵が逃げない
・軽量
→アシㇼパのような小柄な射手にとっては重要
・弾丸の補充
→いちいち購入せずとも、作成可能だ
・複数の矢を一気に放てる
→使い方次第では、攻撃範囲を広げられる
・発射速度
→弓は高速かつ連射も可能。
・毒
→急所以外を狙っても確実に倒せる。
尾形の射撃と比較してみよう! 尾形は優れた狙撃手ですが、実はそこまで殺害率が高くありません
戦国大名の蠣崎家でも、アイヌから学んだ毒矢を自慢の種としておりました。
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◆土地の押収
法律を整備し、アイヌの伝統的なコタンを和人のものとしてゆく。
和人からすれば開拓でも、アイヌからすれば搾取であり強奪。そうした事実から、目をそらすことはできません。
アイヌが失っていく、彼らの文化、言葉、名前、宗教、風習。
先住民がそうしたものを失うことは世界中で問題視されていますが、アイヌは世界的にみても最悪の部類に入るとすらされています。
悪意から差別をすること。
それができるほど、実のところ大半の人類は邪悪でもありません。
彼らは善意や宗教の教え、法律、そして科学的根拠を基にして、差別の理由を生み出します。
私たちの神を信じた方が、あなたたちは救われる。
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先天的に劣る少数民族を、私たちが救い、文明化しなければならない。
改宗、植民地化、奴隷制、人種差別は、善意の元でも横行してきました。
差別するつもりはないと言われようとも、そのことをそのまま受けとめるわけにはいかない。
それが現在の認識なのです。
松浦武四郎は、当時の日本では最もアイヌのことを知り尽くし、気にかけてきた、稀有な人物ではある。
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それでも、彼の意識の端々には、こんな認識が見え隠れしていた。
江戸期の儒教道徳にアイヌが染まっていくこと。
和名を名乗り、和服を着ること。そのことこそ、よいことだ。
そういう善意での同一視の目線はあります。
そのことを、必要以上に責めるつもりはありません。それが当時の限界でしょう。
彼の戦いは終わらない
樺太の場合、国境のはざまであるため、過酷な運命にさらされた特殊な事情が存在します。
日本とロシアの国境決定の中、彼らは翻弄されたのです。
国境が移動すれば、移住を強制されます。北海道アイヌよりも、厳しい環境にさらされました。
栄養不足、疫病の蔓延、疲労、生活基盤の再構築……何度も何度も生活を築き上げる必要があり、そのたびに人口は激減していきました。
樺太の先住民はアイヌだけではありません。
そしてこれが、実に複雑なことになっております。
・樺太アイヌ→日本人
・ニヴフ(旧称ギリヤーク)→ロシア人
・ウイルタ→ロシア人
樺太というひとつの島でずっと暮らしてきたのに、国籍が別れてしまう。
両方の血を引いていたらどうなるのか?
何人とみなされるのか?
キロランケはウイルタがロシア正教に染まりつつあることに、懸念を表明しているのはそういうことでもあるのです。
当時の樺太の人々が、どれほど焦り、苦しめられてきたことか。
それこそが、キロランケの立ち向かうべき敵であったのでしょう。
国境に引き裂かれる苦しみ――それがキロランケの直面した戦いなのです。
アシㇼパと杉元。
インカㇻマッと谷垣。
そういったアイヌと和人の交流は、ロマンチックで美しい物語に思えます。
キロランケは、その間に立ちふさがる存在ともみなせる。
彼はアシㇼパを騙し、連れ去る。
インカㇻマッを、永遠に谷垣の元から連れ去ろうとすらした。
そんな彼が、アシㇼパに樺太アイヌの伝統を教える姿は、偽善的で洗脳のようにすら思えるかもしれません。
けれども、彼には彼なりの焦燥と信念がありました。
悪人と呼ばれようとも、守るべきものが彼にはあるのです。
それが彼の存在意義かもしれません。
よい話だけを見たいのか?
ロマンスだけを楽しんでいる場合なのか?
俺を見ろ。俺の戦いを見ろ。美談だけで、済まされるのか?
彼は鋭い目で、そう突きつけてくるのです。
彼の戦いは、終わったように思えても、決して終わることはありません。
現在も、まだまだ続いているのです。
◆遺骨返還問題
江戸時代のイギリス人による盗掘、大学や政府による研究目的での盗骨。
人骨を研究材料として盗んだ問題は、まだ未解決です。
返還はまだ半ばであり、多くの問題が残されています。
◆大学が保管するアイヌ遺骨の返還について/文部科学省(→link)
◆近文アイヌ給与地問題
第七師団の本拠地である旭川は、本来アイヌ居住地とされるはずの場所でした。
それを地価高騰に伴い、破棄して軍都として整備された問題があります。
◆伝統的な狩猟、文化の否定
この問題も、現在に至るまで解決したわけではありません。
◆アイヌ男性宅を家宅捜索 許可得ずサケ漁で北海道警(→link)
アイヌが伝統的な葬儀や遺産分配をすることも、理解されず不法とされることもあります。
和人の法体系ではアイヌの伝統を理解できない、そして理解が望まれています。
◆ヘイトスピーチ
「アイヌは存在しない!」
そういった類のヘイトスピーチは、現在においてこそ考えるべき問題です。
◆法整備と権利の問題
2019年4月19日、アイヌを「先住民族」と初めて明記した「アイヌ新法」が成立しました。
ただし、これはあくまでスタートであり、ゴールではありません。
2007年「先住民族の権利に関する国際連合宣言」をふまえているか。
アメリカやオーストラリア等の先住民に関する法体系とどこが違うのか。
いつまで揉めるのだ、と言ってはいけません。
歴史が進むたびに、法律や権利も進歩してきたことはまぎれもない事実。この一歩は画期的でも、決して終わりではないのです。
◆アイヌの意匠を守ること
アイヌの意匠は意味があるもの。
和人にとっての家紋、武士にとっての兜の前立てのようなものです。
それを無許可で商業利用することがしばしば問題視されております。
あの模様は素晴らしい!
けれど、買う前にそこを確認してみませんか。
『ゴールデンカムイ』はそこをクリアしております。野田先生はじめ、作り手に敬意を!
そのためにアニメスタッフも大奮闘しておられるとか。
アイヌの衣服が出てくることこそそのものが、作画スタッフの挑戦なのです。
◆消えるアイヌの物語、文化の簒奪
2019年上半期朝ドラ『なつぞら』に登場した『神をつかんだ少年クリフ』。
このモデルとなった『太陽の王子 ホルス』は、アイヌの伝承をモチーフとした長編アニメ映画でした。
ところが、この作品からアイヌのルーツは消され、無国籍ものとされてしまいました。
和人の生み出したものの中には、このようにアイヌルーツを消されてしまったものがいくつもあるのです。
アイヌをルーツとする作品に、日本人は長いこと接してきました。
消えていたアイヌの文化や物語が、日本の作品の中において経年とともに取り戻されていく過程が、おわかりいただけるかと思います。
ちなみに『もののけ姫』のアシタカは、当時まだ本州にいたアイヌがルーツであると判別できます。
彼らは歴史の中で本州から追われるか、和人と同化していったのです。
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谷垣はマタギです。
マタギの文化や風習は独特であり、アイヌと共通する部分もあります。谷垣がアイヌに馴染んでいることは、ルーツを考えれば妥当なことなのです。
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あのヒグマ事件を解決へと導いたのも、マタギでした。
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ある情報将校の復讐
だからといって、アイヌに、私の大切な人を殺すことが許されていたのか?
そう主張できる人物も、本作にはいます。
ウイルク、キロランケ、ソフィアの三人組のせいで、妻子を失った長谷川幸一です。
彼の本名は、鶴見篤四郎。
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鶴見には不可解な点があります。
新潟県出身であり、彼は士官学校を卒業したものの、人脈はなかったと推察できるのです。
あの年齢、実力、語学。
そこまで揃い、日露戦争を戦い中尉どまりというのは、冷や飯を食わされているといってよい状態。
士官学校卒仕立ての花沢勇作、鯉登が少尉であることをふまえれば、よくわかるかと思います。
鯉登は順調に出世を遂げれば、三十代になる前には鶴見の階級を追い越すことでしょう。
大した後ろ盾もないまま、苦労して士官学校を卒業する。
そしてロシアスパイという危険極まりない任務の最中、妻子を惨殺される。
日露戦争では、脳みそまで吹っ飛ばされかける。
これでまっすぐに歩けと言われても、どこかで善意が破裂しても、それは無理のないところかもしれません。
このロシアスパイ任務にしたって、妻子のことを抜きにしても、極めて損な役回り。
明治の日本は「恐露病」に罹っていました。
伊藤博文のような国のトップから、民衆に至るまで、ロシアへのヒステリーで理性が吹っ飛びかねない状況であったのです。
ここから先は、20巻以降のお話となります。
ネタバレにもなりかねません。
お前が傷つけられたことはわかった。
だからといって、こちらを傷つけて、騙して、踏みつけにしてそのままでよいと思っているのか?
そう言い合う人物の物語、それが『ゴールデンカムイ』でしょう。
本編完結後も、アニメ、映画、そして実写ドラマは続いてゆきます。実写版はさらにブラッシュアップをかけていくようです。
そして作品が終わっても、現実世界は続いてゆきます。2024年4月、画期的なニュースが発表されました。
この世界が続いていく限り、失ったものを取り戻す戦いは終わりません。
キロランケのように戦い続ける人はいるのです。
◆過去のアイヌの研究 真摯に反省 日本文化人類学会が謝罪声明(→link)
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【参考文献】
『アイヌ民族の歴史』(→amazon)
『アイヌの法的地位と国の不正義』(→amazon)
『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(→amazon)
『大学による盗骨: 研究利用され続ける琉球人・アイヌ遺骨』(→amazon)
『アイヌ民族否定論に抗する』(→amazon)
『いま学ぶ アイヌ民族の歴史』(→amazon)
『アイヌの歴史――日本の先住民族を理解するための160話』(→amazon)
『ロシア史 (新版 世界各国史) 』(→amazon)
『世界の教科書シリーズ ロシアの歴史 下』(→amazon)
『図説 帝政ロシア』(→amazon)
『図説 ロシアの歴史』(→amazon)
『図説 ソ連の歴史』(→amazon)
『露探: 日露戦争期のメディアと国民意識』(→amazon)
『ロシア人の見た幕末日本』伊藤一哉(→amazon)






































