2018年の大河ドラマ『西郷どん』。
第1回放送で、主人公の西郷が「チェエエエエエエ!」と凄まじいかけ声をあげながら、木刀を振り下ろしていました。
あの剣術は、薩摩のジゲン流と呼ばれるもの。
あまりに恐ろしい威力を持つため、新選組の近藤勇は隊士にこう言いました。
「薩摩の初太刀は避けよ」

近藤勇/Wikipediaより引用
一撃目で、脳天をかち割る恐怖の初太刀。
これは一体どのような剣術だったのか?
一般的に「薩摩の剣」としてよく知られているのは「示現流(じげんりゅう)」ですが、実際には「薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)」という流派も盛んで、郷中教育などでしばしば採用されておりました。
若き西郷たちが木刀を振り下ろしてやっていた修行は薬丸自顕流の「横木打」という基本的な修練になります。
本稿では、薩摩の剣術について見て参りましょう。
剣術=殺人術とは限らない
幕末キャラの伝記や小説を読まれた方は、若き主人公が江戸の道場で修行する――そんな場面が印象に残っておられるでしょう。
たとえば坂本龍馬。

坂本龍馬/wikipediaより引用
千葉道場の剣術娘・さな子が淡い恋心を抱く……なんて逸話はご存じですよね。
そんなふうに剣術を学んだ若き武士たちですが、劇中では案外アッサリと斬られたりします。
「免許皆伝だったのに、結構弱くない……?」そんな風に感じた方もおられるでしょう。
これには理由があります。
江戸の剣術道場で修行を積むということは、武士としてのふるまいを身につける、総合的な教育でした。戦国の世も終わり、太平の世が続いた中で、剣術の修行も変わったのです。
かつてのように本気で殺す術を学ぶわけではなく、あくまで武士としての振る舞いを学び、見聞を広める、いわば「人間修行」でした。
学ぶ側も「いつか今日習った技で、人と殺傷しあうかもしれない」とまで思っていなかったことでしょう。
そんな中にも例外がありました。
天然理心流です。
「新選組ヤバイ。マジ怖い。会ったら死ぬ」
多摩エリアに伝わった天然理心流は「本気で殺しにいくテクニック」が残った流派でした。
このガチの殺人剣を学んだのが、のちの新選組を担うことになる近藤勇、土方歳三、沖田総司らです。
さらに、そこへ江戸の道場では物足りなくなっていた永倉新八あたりも参加してきたわけです。
土方などは、チャラい行商時代に嗜んだ俳諧の癖が抜けず、武士にしてはお洒落な筆跡を残しています。
天然理心流は、江戸にある大手の総合型道場とは違って、あくまで実践型剣術に特化していたため、武士としての教養面までは身につけられなかったのでしょう。

土方歳三/wikipediaより引用
天然理心流は、勝利にこだわり、敵を効率的に殺傷する技が含まれていました。
・蹴りを入れるのもあり
・集団で襲うのもあり
・真剣を用いた訓練もあり
そんな天然理心流を学んだ新撰組隊士と、江戸の大手道場で学んだ他の武士たちの対決は【特殊部隊戦闘員vs剣道部員】くらいの差が出てもおかしくはないわけです。
「新選組ヤバイ。マジ怖い。会ったら死ぬ」
そう恐怖をもって語られるのは、当然でした。
そして、そんな新選組ですら警戒していたのが、薩摩隼人の一撃です。
示現流も実践型の剣術でした。

開祖は東郷重位 独自の修行法を磨きあげ
示現流の開祖は、東郷重位(ちゅうい・しげかた)です。
戦国末期から江戸初期の剣豪で、島津家の武士として戦場にも立ち、首級をあげたこともあります。
天正16年(1588年)、東郷は島津義久について上洛しました。そこの天寧寺の住職から、剣術がまだ完成していないと言われたのでした。

島津義久像/wikipediaより引用
当時の東郷は、タイ捨流を習得。60日ほど通い詰め、善吉に入門を頼み込みました。
善吉は断り続けたものの、ある日東郷が去り際に、
「にごりえにうつらぬ月の光かな」
と詠んだ句を見て、その真剣味に感じ入るところがありました。そうして入門を許したのです。
東郷はそれから半年ほど稽古に励み、独自の剣術である「天真正自顕流」を開眼。
薩摩に戻り、立木相手に打ち込む独自の修行法を磨きあげ、さらに名前を「示現流」とあらためたのです。
そして示現流は、薩摩の気風にあった独自の剣術として発展を遂げてゆきました。その大きな特徴は……。
「一の太刀を疑わず、二の太刀要らず」
示現流最大の特徴は、ともかく一撃目で仕留めるということです。
二の太刀、三の太刀と考えてしまうと、迷いが生じてしまう。そうならないよう、一の太刀で倒せということです。
一の太刀にあらんかぎりの気魄を乗せて、敵を叩き潰す、一撃必殺の技。
刀は攻撃のためのものであって、防御の技すらないという、極端さ。
薩摩藩士は、朝夕何千回と、絶叫しながら木刀を振り下ろす示現流の稽古に励みました。
そうした激しい稽古で、必殺の一の太刀を身につけたわけです。
※練習の様子・4:30頃から打ち込みが見られます
動画で見ているだけで、その迫力で脂汗がにじんできそうな思いがします。映像ではなくナマで見たらさらに迫力があることでしょう。
それも真剣で打ち込んでくるとなると、さすがの近藤勇でも恐怖を感じ、常人ならば耐えられないような迫力であることは、想像できるかと思います。
修行動画を見てもおわかりの通り、示現流は江戸等の都市部で洗練されていったスマートな剣術とは異なるものでした。それがゆえに、天然理心流と同じく殺人術としての威力を残したわけです。
ガード不能、ヒットすれば即死という恐ろしい威力。
薩摩藩士と戦った相手は、防御した刀すら押し切られ、そのまま自分の体にめり込むような恐ろしい死に方をした者もいたとか……どんだけ……。
このようなイメージから、一の太刀を外したら終わりというイメージもあります。
ただし実際には二の太刀以降の技もあります。
生麦事件でイギリス人を斬った薬丸自顕流
幕末期の薩摩藩士は、示現流からの技を元に生み出された「薬丸自顕流」の使い手も多くおります。
郷中教育では、示現流と共にどちらも採用されていました。
薬丸自顕流は、薩摩藩士・薬丸兼陳が野太刀の技をもとに編み出した剣術です。
例えば生麦事件では、薬丸自顕流の使い手が馬上のイギリス人を瞬時にして斬り捨てているわけで。これも薬丸自顕流の鋭い独特の太刀筋あればこそと言われております。
生麦事件の報告を聞いた外国人は「オオウッ、サムライソードの威力、怖い……」と戦慄しました。

生麦事件のイメージ/国立国会図書館蔵
飛び道具を持っていても構わず殺しに来る、そんなの聞いていませんよ、というところでしょうね。
実際に銃を構えていたのに、示現流の一の太刀が、銃ごと斬って倒した事例もあるそうです。
薬丸自顕流の特徴は「猿叫」と呼ばれる独特の声です。
フィクション等では薩摩藩士といえば「チェストオオオ!」と叫びながら襲いかかってくるというイメージがありますが、猿叫はこれとはまったく違います。
どちらにせよ、迫力満点で怖いんですけれどもね。
形容が難しい叫びは、稽古動画をご覧ください(音声注意)。
なお、当時の薩摩藩主・島津斉興(斉彬や久光の父)は、この猿叫に不快感すら覚え、剣術として採用したがらなかったそうです。
しかし調所広郷が推薦し、採用されたのです。
幕末の薩摩藩士は、西郷隆盛のように右腕を負傷した場合をのぞけば、だいたい皆、薬丸自顕流や示現流の使い手と見て間違いありません。
げに恐ろしき、必殺の一の太刀を持つ薩摩示現流
さらりと流してしまいそうな、薩摩藩士同士による粛清事件である「寺田屋事件(寺田屋騒動)」も、
「示現流の使い手である薩摩藩士同士が、狭い屋内で戦いあった」
と想像すると、一気に恐ろしさが増すと思います……。

各種の薩摩コンテンツで、藩士の若い者たちがドジっ子っぷりを繰り広げていても「しかしこの男は示現流の使い手である」と脳内補完すれば、緊迫感がアップすること間違いなし。
薩摩藩士は皆強い、一撃必殺技持ちなのです。
西郷自身は、右腕の負傷のために剣術はできませんでした。

西郷隆盛/wikipediaより引用
ただし、彼の行動様式は示現流に通じるものが見えてきます。
西郷は、敵地に単身乗り込んで解決するということを、よく提案しております。
全身全霊をこめて相手に向かって行く気魄――これぞまさしく薩摩示現流そのものではないでしょうか。
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【参考文献】
西郷隆盛公奉賛会『西郷どんと薩摩士風』(→amazon)




