江戸から遠く離れ、今なお個性的な気風を強く残す鹿児島県――江戸時代の薩摩において、長らく青少年たちに用いられてきた郷中教育(ごじゅうきょういく)をご存知でしょうか。
・負けるな
・嘘をいうな
・弱い者いじめをするな
こうした教えを絶対の約束事として、青少年たちが自分たちで鍛え合う。
いかにも男らしい薩摩風土を感じさせる仕組みでありますが、では「郷中教育」とは具体的に何をどう学ぶのか?
誰が主導しているのか?
幕末を例に振り返ってみましょう。
隣近所の子供同士で学ぶ「郷中教育」
郷中教育とは、近所の武士の子供同士で学び合う教育制度でした。
具体的にどのようなものか。
西郷隆盛と、そのイトコ・大山巌の例で見てみましょう。

西郷隆盛(左)と従兄弟の大山巌/wikipediaより引用
6才になった大山巌は、同じ郷中で従兄にあたる西郷隆盛から、指導を受けました。
毎朝西郷の家に向かい、読書や書道を習ったのです。
大山が家に付くと、西郷は早朝の日課であった座禅を終えたところ。西郷は、あばたのある大山を「おはんはにぎやかな顔をしじぁのう」と大変可愛がっていました。
2人の年齢差は14才。
大学生2年生が小学1年生に勉強を教えるようなものです。
このように、教師と生徒という関係ではなく、郷中の仲間同士で指導しあうのが特徴でした。
郷中教育の一日
早朝の読書が終わると、家に戻り朝食を取ります。
そして午前は広場や神社で身体訓練。
郷中教育では「坂道達者」という言葉があり、高低差のある地形を上り下りをして、体力をつけました。
午後は示現流や薬丸自顕流などの剣術をはじめとする、武芸の稽古です。
最後に、郷中の仲間同士で車座になり、学んだ内容を確認しあいます。
これは学級会のようなものでもあり、ルール違反をみとがめられた少年は、罰則を受けました。
かくして夜が明けてから、日が沈むまで。少年たちは同じ郷中で鍛錬し続けたのであります。
まるで兄と弟のように濃密に接する時間の中で、そこに強い絆が生まれないワケがないでしょう。
教師はおりません。
互いに学び合うのが特徴で、現代で言うならば、幼稚園から大学院あたりまで、生徒同士で学んだわけです。
「郷中」の組織
郷中の少年は、年齢別に呼び名が変わりました。
【郷中教育の世代別呼称】
小稚児(こちご):満5~6才から9才まで(幼稚園児から小学校低学年)。小刀一本差し。前髪あり
長稚児(おさちご):10才から14才まで(小学校高学年から中学生)。大小二本差し。前髪あり
稚児頭(ちごかしら):小稚児、長稚児のリーダー格
牛頭二才(ごずにせ):14~19才
二才(にせ):「兵子二才」ともいう。15才から20代半ばで未婚。大小二本差し。前髪なし。冬でも足袋ははかず、シュロの緒を使った高下駄を履く
二才頭(にせがしら):郷中頭とも。郷中のリーダー
【郷中教育を終えた者】
長才衆(おさせんし):20代半ば以上、郷中教育を終えて、妻帯した者
長老:50才以上
勉強も自分たちで行っていた郷中教育。
いったい何を読んでいたのか?
郷中教育のテキスト
教養も重んじる薩摩では、様々なテキストが用いられておりました。
◆儒教経典
四書五経(四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』で、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』『礼記』『孝経』『近思録』)
※薩摩藩では特に朱子学を重んじました。
島津忠良が領内家臣の教育のため、覚えやすいように教えを「いろは歌」におりこんだものです。
2015年朝の連続テレビ小説『あさが来た』では、薩摩出身の五代友厚と大久保利通がこの歌を引用して懐かしんでいましたね。

五代友厚(左)と大久保利通/wikipediaより引用
◆一般読書(歴史)
『漢書』
『史記』
『資治通鑑』
『神皇正統記』
『清献遺言』
しっかりした教育という面で薩摩藩と比較される会津藩では、日本史を学ぶ機会がなかったそうで。
そこが問題であったと山川健次郎(会津藩出身の元東京大学総長)が回想しています。

山川健次郎/Wikipediaより引用
このあたりは藩の特色でしょう。
◆軍事書
『六韜三略』
『呉越軍談』
『漢楚軍談』
『三国志』
『三国志演義』
『十八史略』
『源平盛衰記』
『義経勲功記』
『太平記』
『武田三代記』
『真田三代記』
『太閤記』
『関ヶ原軍記』
◆輪輪書(みんなで読む本)
『曽我物語』
『赤穂義士伝』
がっつりと大量のテキストがありますね。儒教を学ぶだけではなく、薩摩の武士らしさを養うような本もたくさんあります。
こういうものを日々読んで、薩摩の少年たちは精神性と教養を高めいました。
いわゆる文武両道ってやつですね。
もちろん武芸もテンコ盛り
郷中教育で、最も特徴的なのが、実践さながらの武術でありましょう。
平和な江戸時代でも弛むことなく武士としての誇りを重視した、薩摩ならではの風土・気風。数多くの武芸が奨励されました。
【武術カリキュラム】
主な剣術は3つです。
・示現流
・薬丸自顕流
・天真流
さらには剣術だけでなく、槍術、弓術、馬術、柔術、居合術も習いました。
独特の叫び声(猿叫)をあげながら、木刀を振り下ろす稽古風景は、薩摩藩を描くのであれば外せません。
【日常生活のルール】
郷中には、日常生活のルールもありました。以下、現代でもわかりやすいようにまとめます。
・忠孝を重んじ、武道に励みましょう
・礼儀を重んじ、親睦団結を心がけましょう
・山や坂道を上り下りして体を鍛えましょう(坂道達者)
・何事も詮議を尽くしましょう。ただし、決まったことには異議を唱えないこと。言い訳はしないように
・嘘をつかない、弱音を吐かない、卑劣なことをしない
・弱い者いじめをしない
・目上を重んじ、親に口答えをしてはいけません
・女とは一切関わってはいけません
・金銭を持たないこと。一人で買い物をしてはいけません
・飲酒喫煙は禁止です
・歌舞音曲芝居鑑賞は禁止です
・旅頭巾襟巻、防寒具は禁止。木綿を着ること
・刀を持たずに外出しないこと。脇差し一本でうろつくようなことはしない
・どんな場合でも刀を抜いてはいけません。もしも抜いたら、ただおさめるようなことはしないように
・槍を持った役人には礼をしましょう
・他の家の果物がなった木、壁、屋根に手を掛けてはいけません
【年中行事】
さらには年間行事も用意されておりまして。
この行事は、「鹿児島三大行事」として、現在まで伝わっています。
◆曽我どんの傘焼き:曽我兄弟の故事にならい、傘を積み上げて焼く行事。郷中の子供たちが近隣から古い傘を集める習わしでした(かごんまナビ)
◆妙円寺詣り:関ヶ原における島津義弘の敵中突破「島津の引き口」の苦難をしのぶ。
鹿児島市内から義弘の菩提寺:妙円寺(現在の徳重神社)まで、鎧兜をつけて往復およそ40キロを歩く(日置市妙円寺詣り)
現在、「チェスト関ヶ原」は「ブチ殺せ」という意味の隠語であるというネタが話題となっております。
しかし、本来は「妙円寺参り」の際に気合いを入れるための言葉です。
◆赤穂義臣伝輪読会:赤穂義士討ち入りの日に『赤穂義士伝』十五巻を郷中仲間で朗読する
「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」
現在まで、薩摩の気風として、教育として、そして行事として残る「郷中教育」。
西郷はじめ、多くの偉人を育て上げた教育でもあります。
芯が通り、厳しい教育内容は、まさしく当時の藩としてもトップクラスのものであり、それも納得できる、充実した内容であることがおわかりいただけたかと思います。
鹿児島には、「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」という言葉が今も伝わっています。
「泣くか、跳ぶか、迷うんだったら跳んじまえ!」という、勇気を称えた「郷中教育」の気風を感じます。
あわせて読みたい関連記事
-

西郷隆盛~幕末維新の時代を最も動かした男~誕生から西南戦争まで49年の生涯とは
続きを見る
-

薩摩示現流&薬丸自顕流の恐ろしさ|新選組も警戒していた「一の太刀」
続きを見る
-

薩摩随一の経済人だった五代友厚(才助)49年の生涯で実際どんな功績があるのか
続きを見る
-

薩摩藩士から維新三傑へ脅威の出世 なぜ大久保利通は紀尾井坂で死を迎えたか
続きを見る
-

山川浩&山川健次郎&捨松たちの覚悟を見よ!賊軍会津が文武でリベンジ
続きを見る

まんが『薩摩義士伝』(→amazon)【参考文献】
西郷隆盛公奉賛会『西郷どんと薩摩士風』





