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『ゴールデンカムイ』尾形百之助と花沢勇作を徹底考察~悲劇的で耽美な兄弟よ

2025/01/22

『ゴールデンカムイ』著者・野田サトル氏による新連載『ドッグスレッド』が2023年7月に始まりました。

その初回で、金カムファンはざわめきました。

背番号39番のアイスホッケー選手が尾形とそっくりの顔だったのです。

尾形は明治に生まれ、道を踏み外してしまったけれども、平成令和ならばそうはならなかったかもしれません。

独特のセンス。皮肉っぽいユーモア。不思議な魅力が揃ったスポーツ選手として、飄々と人生を謳歌した可能性もあるでしょう。

思えば『ゴールデンカムイ』の最終巻で、尾形は悲劇的な最期を迎えました。

最期のとき、側にいたのは異母弟・勇作の幻。それまで見えなかった美しい勇作の瞳と共に尾形はこの世界から消え去ったのです。

もしも来世があるならば、弟と共に平穏無事に生きて欲しい――そう願いたくなる最期でした。

尾形は結果的に化け物になってしまったけれど、私たちとそこまで距離は遠くないかもしれない。

今さらだけど、実は愛されるべき青年だったのでは?

勇作ならば、綺麗な瞳と笑顔で「もちろん、私の兄様ですから」と答えてくれそうな……尾形の軌跡をあらためて辿ってみたいと思います。

※以下は尾形百之助のルーツと因縁にスポット当てた考察記事となります

尾形百之助
ゴールデンカムイ尾形百之助のルーツと因縁を徹底考察~薩摩と水戸の関係とは?

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尾形百之助は「信頼できる語り手」なのか?

『ゴールデンカムイ』は、作者がミステリ好きであることが活かされている作品です。

切り裂きジャックをモデルとした事件など、古典的ミステリ好きの心を惹きつける仕掛けがいくつもあり、尾形という人物にもその手法が用いられていると思える。

それは彼が「信頼できない語り手」ではないか?ということです。

「信頼できない語り手」とは、物語を説明する人物が意図的か、あるいは無意識的に嘘をついているため、読者が困惑してしまうテクニックのこと。

作品が進んでいくと、どこか噛み合わない違和感や矛盾点が生じ、ラストにどんでん返しを繰り広げ、読者を驚かせるわけです。

尾形も、最終巻になるまで読者がすっかり騙されてしまうキャラクターでした。

宇佐美や鯉登のように情緒不安定であったり、いかにも信頼できない人物とは異なり、尾形は沈着冷静。

狂信的に鶴見についていく第七師団の他の者とは異なります。

尾形は鶴見に心服しておらず、だからこそ造反したように描かれます。

作中の人物も騙されていました。

月島は中央に鶴見を売ることで出世したいのかと尾形を問い詰めたことがあります。尾形は、それにハッキリとは答えないし、中央からの誰かと接触している描写も出てきません。

この【中央の意向で裏切る第七師団内の人物】とは、物語後半になって登場する菊田特務曹長が該当します。

尾形はキロランケと共に行動し、杉元を殺そうとしました。とはいえ、その目的が杉元にもわからない。尾形がキロランケの掲げるアイヌの権利を考えているとも思えません。

物語が進むにつれ、尾形の行動はわかりにくくなる――それが最終巻で、鶴見に思いをぶちまけます。

第七師団長にするという計画のために、俺だけを見ているんじゃなかったのか。他の連中によそ見ばかりしてどういうことかと。

尾形のミステリアスな仮面は剥がれてゆきます。

幼い頃の彼は、母親に見つめて欲しいと願っていた。ずっと自分のことを誰かに見て欲しい――そう全てを明かした尾形は、まるで幼い子どものように見えてきます。

鶴見に洗脳されていないように思えた。クールで皮肉っぽい態度をとっていた。しかも、アニメの声は津田健次郎さん。

そうした彼の要素全てが騙すためのもので、本当は弱々しい子どもだったのでは? 今まで語ってきたことも、子どもの目線で見た歪んだ認識だったのでは?

こいつに騙されてしまった!――そう認識して、読み返していくと、別の姿が見えてきます。

尾形の証言を信じて考えていたことを、一度洗い直してみましょう。

 


浅草芸者のもとへ通う陸軍士官

尾形百之助の悲しい生い立ちは、読者に衝撃を与えました。

第七師団師団長・花沢幸次郎中将の子。祖父の代まで優秀な軍人で、年代からして軍人というより武士にも思えます。

しかし母親は、浅草芸者のトメです。彼女はどうにも、そこまでお高い芸者とも思えない。

明治時代、最高級の芸者は新橋と柳橋が双璧でした。ここの芸者となれば政府の上層部が遊び、高い花代を払います。

薩摩閥の名門とはいえ、若き陸軍士官がそんなお高い遊びはできません。

背伸びして、せめてそれより落ちる浅草で遊んだ。尾形トメは茨城出身ということも、彼女の芸者としてのランクをどうしたって考えてしまいます。

明治時代は女性にとって残酷な時代です。

旗本の娘で、ちょっとしたお姫様のような娘たちが、没落して芸者になる事態に陥っていました。

幕末の水戸藩は、内乱で壊滅的な打撃を受けています。そんな水戸藩が茨城県となった時代に、家族を養うためにやむなく芸者となったのが、トメという女性に思えます。

しかも、花沢幸次郎の子を産んだばかりに「山猫」、つまりは身を売る下劣な芸者と思われてしまったと。

尾形の生まれた場所は東京府です。

芸者をしている土地で産み、トメは茨城の実家に戻りました。

そして花沢はその数年後には、華族のお姫様であるヒロという女性と結婚し、勇作という子を授かったわけです。

こうしてざっと見てみると、花沢幸次郎は最悪の男だと思えても無理ありません。

ただし、よく考えてみたい。

遊ぶことでステータスシンボルになるわけでもない。芸を幼い頃から仕込まれたわけではない。日陰に咲く花のように可憐な芸者に惚れて、彼女とアンコウ鍋を食べることを楽しみにしていた。

その芸者であるトメは、幸次郎を立派な将校だと語る。思い出のアンコウ鍋を作る。そこに愛はありませんか?

花沢の立場も踏まえてみたい。

浅草芸者と結婚すると彼が語ったとして、親なり、周囲は許せたか?

ヒロとの結婚において、花沢の意思がどこまで挟めたのか、知ることはできません。

そのヒロとの結婚についていえば、花沢は妻を愛していたとも思えます。

尾形に冷たく思えたとすれば、今の妻であるヒロへの気遣いがあってこそ、そうなってしまったのかもしれません。

少なくとも、花沢幸次郎とトメには、祝福された日々があったのでは?

こう考えてくると嫌な気分にはなりませんか?

うそだ、嘘だ、ウソだ!

花沢幸次郎はクズだ、尾形とその母を苦しめたんだ!

そう思いたくなるかもしれませんが、なまじ満洲鉄道がらみのことも含めて、まっとうな人物だから鶴見が始末した可能性もあるわけでして。

浅草芸者のもとに足繁く通い、アンコウ鍋を食べる陸軍士官。なかなか悪い男じゃないように思えます。

 

母は、父は、百之助を愛していたのだろうか?

父母の愛が欠落していたから、ああも歪んでしまった――そう尾形が語ったようで、冷静に考えてみましょう。

母を殺害した際、尾形はまだ子どもの頃のこと。父母の本心を極めて単純化して考えていた可能性はあります。

父が母の葬儀に来られなかったのは、再婚相手である現在の妻を尊重してのことかもしれない。

もしかしたら、そっと遠くから葬儀を見守っていたのかもしれない。

金一封くらい送っていたのかもしれない。

母にせよ、生きてもっと歳をとっていたら、しみじみと浅草芸者として愛されたころの思い出話を語ったかもしれない。

母がそこまで父を憎んでいなかったと思わせる場面が、最終巻の回想でやっと明らかになります。彼女は我が子を寝かしつけながら、父のような立派な将校さんになるよう、語りかけていたのです。

何より尾形は、父と同じ陸軍将校になりたかった。

欠けていた自分がそうなることで、復讐を果たしたいと語りますが、果たして本当にそうなのか?

幼い頃、母に語りかけられた、父のような立派な人物になれという願いに沿っていただけでは?

そう考えてくると、尾形百之助はむしろ素直で善良な、明治の青年に見えてきます。

軍人さんになって国に尽くすことは、当時の立派な青年の望みです。

道を踏み外した明治の青年たち――その例として上エ地圭二(うえじけいじ)がいます。

彼の父は、箱館戦争でも勲功のある立派な軍人であり、勝ち組に入る優秀な家に生まれました。

それがひねくれて殺人犯になる。嘘をつき、周囲を失望させることが行動原理になる。

本当に父を疎んじていて、憎み、嫌っていたら、そういう道もあったかもしれない。

そこまで堕落せずとも、明治人にはリセットする手段があります。それこそ大陸でも台湾でも樺太でも、自分の生まれなんて誰も気にしない場所に行く道はあった。

そうせずに、むしろずっと父母の影がちらつく場所にいた尾形は、実は両親が好きだったのでは?と思えます。

そんな敬愛する花沢幸次郎と尾形の対面は、父側が腹を刺されて死にかけています。そんな状態で、あたたかい言葉を聞けるわけもなく……。

尾形は、大事な誰かから愛される可能性を自ら先んじて潰してゆきます。

 

アシㇼパの瞳に照らされ、勇作の亡霊があらわれる

鶴見に造反し、杉元たちと行動を共にしていた物語前半の尾形――それが一変するのが、網走監獄襲撃の夜です。

このとき尾形は、杉元の頭部を射抜き、ウイルクを殺しました。

キロランケと合流した尾形は、アシㇼパを連れて樺太へ向かいます。

尾形に頭部を撃たれた杉元は回復し、キロランケたちを追いかけて樺太へ。

この樺太編の筋書きそのものにダマシがあったとも言えます。

アシㇼパと行動を共にするようにあってから、尾形の前には異母弟である勇作の“幽霊”が彷徨うようになりました。

そして尾形は、勇作と共に遊郭へ向かった日のことを思い出します。

兄弟はともに悪さをする。童貞を捨てるようにと促すものの、勇作は断固として断って去ってゆきます。

この回想場面にも、尾形の潔癖性が見られます。

勇作が去って偽装が終わると、絡みつく遊女の手をそっけなく払いのけました。

もしも尾形が父への当てつけのような人生を歩みたいのであれば、ちゃっかりと遊女と戯れても良さそうなところ。作中で好色さを描かれている牛山や白石ならば、確実にそうしていたでしょう。

実は尾形は生真面目では?

堅物なのは弟だけでなく、兄もそうなのでは?

樺太編では、尾形とその周囲の反応を示唆する場面が、杉元一行でも起こります。

尾形が嫌いな鯉登は、尾形は「山猫の子は山猫」と蔑む。客と寝る芸者を山猫と呼ぶスラングから、そう罵ったのです。

このとき注目したいのは、鯉登ではなく、それを聞いている他の者たちの反応です。

杉元はくだらないと一蹴し、谷垣や月島ですら、むしろそんなふうに蔑む鯉登に反発しているように思えます。

果たして軍隊内において、尾形の出生を蔑む者だけだったのでしょうか?

尾形を決定的に変えるのは、樺太編のラストです。

アシㇼパから刺青人皮を解く暗号を聞き出そうとし、彼女を騙すことに失敗。

このとき尾形は嘘をつこうとしてできず、杉元の好物として自身が好む「アンコウ鍋」と答え、咄嗟に思いついた女性名として母の名である「トメ」をあげています。

実は不器用でした。

尾形は、アシㇼパに自分を殺すように挑発するものの、彼女は殺そうとしません。

これを見た尾形は、お前のような奴らは存在してはならないと激昂。

アシㇼパは咄嗟に矢を放ってしまい、右目にこの矢が当たってしまいます。

狙撃手として隻眼になることは、かなりの戦力低下を意味します。

しかし、問題はそれだけではありませんでした。

 


右目を失い、崩れゆく自我

隻眼になり、瀕死となった尾形。

杉元たちは彼を連れて行くことにします。

この過程で、一行はニヴフに伝わる「ばけもの川」という話を聞きます。

目玉を描くと、化物は恐れて去ってゆくというもの。この話の教訓は何か?と杉元に問われ、アシㇼパはこう答えます。

「悪いことをするやつは……自分を見られるのが怖い」

そして尾形は治療を受けた病院から脱走。その際、鯉登が鶴見に対して不信感を抱くようなヒントを投げかけてゆくのでした。

もっとも、鯉登を小馬鹿にしている尾形が、相手がどう読み解くかまではあまり考えていなかったのかもしれませんが。

単身、北海道へ戻ると土方と合流し、狙撃手としてリハビリを積み、戦力として回復したように見えます。

北海道へ戻った時系列から、尾形の別の面が見えてきます。

上等兵の宇佐美と行動する菊田特務曹長は、宇佐美から衝撃的な話を聞かされます。尾形が花沢勇作を殺害したというのです。菊田は驚き、仲が良さそうだったと語ります。

ここで、尾形が勇作を殺す前の状況が描かれます。

尾形は弟を殺すことを一人で計画し、殺したわけではない。

宇佐美に勇作殺害計画について語り、くどいほど確認を取ってから殺害に至っています。

もしもこのときの相談相手が別人ならば、殺さなかった可能性があるとわかる。菊田なら諭して止めたでしょう。谷垣や有古でも、止まらせようとしたのではないでしょうか。

つまり、尾形は周囲の「目線」を確認します。空気を読むといってもいい。

このすぐあとに場面転換すると、尾形は狙撃兵は人を撃ってこそ復活だと語ります。

果たしてそれは宇佐美を射殺することにより実現に至り、尾形は右目を覆っていた布を取る。

と、飛び出す義眼。

両目が蘇ったように見えているけれども、所詮は偽りの目しかない。

そう示すようにも思え、尾形の偽りの姿は、菊田の回想でまたもあらわになります。

勇作の母・ヒロは、我が子がいっそ童貞を捨て、連隊旗手を外されて欲しいと願っていました。

そのためにお見合いをセッティングするのですが、ひょんなことから杉元が身代わりを務める。

「ノラ坊」こと杉元は、こうして第7師団と接点があったのです。

このとき、異母弟を目にした尾形は無邪気に笑っていました。

結局は本物の勇作ではなく、偽物であったものの、尾形が弟を見て笑ったことは確かなのです。

 

よそ見せず俺を見てくれ、いや、見るな!

樺太で樺太を失い、徐々に仮面が剥がれつつあった尾形。

その分厚い仮面は、最終巻によりあらわになります。

最終決戦の場となった列車は、それぞれの決着がつく舞台であり、尾形は鶴見に問いかけます。

第7師団長にすると約束したのに、よそ見をして他の連中を見ていた、と。

つまり、尾形は鶴見から造反したわけでもない。構って欲しいから、敢えてそうしていた。

尾形百之助はずっとそうでした。

母が自分を見るように、祖父の銃を持ち出して鳥を撃った。

父が葬儀に来て、自分を見て欲しいから、母を毒殺した。

世間が花沢幸次郎の息子である自分を見てくれるという鶴見の計画に従い、父を殺した。

尾形は戦友である第7師団の兵士すら殺し、月島に怒りの目を向けさせた。

そうやって自分だけに目線を引きつけるために、人を殺してゆく。怪物となった尾形は、鶴見と向き合うことで、目的達成への道すじを確認します。

自分を陸軍士官学校入学、卒業をさせ、陸軍少将にまで出世させる。結局、尾形は父と同じ道を歩みたかった。

ここで鶴見が念押しします。

庶出、山猫の子だろうと、第7師団長になれると証明したいのだろうと。尾形は大笑いし、その通りだと言います。

しかし、再度考えてみましょう。

尾形は勇作殺しの前でも、宇佐美の賛意を得てから実行しています。彼は自分だけの道を歩むようで、実はそうでもない。周囲の意見に影響されている。

そして尾形は激闘の最中に向かうものの、杉元に腹を刺されます。しかし、この傷を負った後でも動き回ることはできる。

致命傷は、アシㇼパの放った毒矢でした。

このとき、勇作の“悪霊”が立ち塞がります。目元がずっと隠れていた勇作は、澄み切った美しい双眸を尾形に向けるのです。

そして怒涛の展開へ。

亡霊などではなく“罪悪感”――尾形は自分自身と対話し、そう気づく。

自分は何かに欠けた存在として生まれてきたのではなく、欠けた存在にふさわしい道をわざわざ歩んできた。

そのことに気づいた尾形は、残された左目を自ら撃ち抜き、列車から落ちてゆくのでした。

背中には勇作がしがみついていました。

地獄へ落ちていくようで、まるで天へ昇るような――神々しい姿で彼は消えてゆくのでした。

 


世界一美しい瞳を遠ざけた報いを

尾形を語る上で考えたいものは、瞳です。

母にも、父にも、鶴見にも、自分を見つめて欲しいと願っていた彼は、よそ見を許せない。

そんな彼は右目をアシㇼパに射抜かれ、左目を自ら射抜き、最期を迎えました。それはある報いゆえの破滅に思えます。

尾形は見つめられたかった。そんな尾形の願いを叶える存在はいた。

勇作です。

彼は愛のこもったまっすぐな瞳で、兄を見つめてきた。望んでいた美しい目だった。

それなのに、鶴見や宇佐美に惑わされ、尾形はその瞳を永遠に失いました。だからこそ、勇作の瞳はずっと隠れていた。

太陽の光を望んだ吸血鬼が、日光のもとでは消え去るように。

あるいは見られることを恐れる化け物のように。

望んでいたものを手にして、尾形は消えてゆきました。

尾形がこの作品で人気者となるのも無理からぬことで、プロットの出来栄えとしては鶴見と並ぶ完成度だと思えます。

読者を騙し、己を騙し、騙しきれぬとなったら死を選ぶ――消えて灰になるような、人ではないような破滅は、毒を含んだ美しさがあります。

そんな尾形の遺骸を、同じく狙撃手であるヴァシリはみたようです。

画家となったヴァシリ・パヴリチェンコは『山猫の死』という絵を描き、亡くなるまでそばに置き続けました。

その絵に描かれた山猫は、どこか愛らしく、眠りに落ちたように見える。

すべてから解き放たれた尾形は、子どものような無邪気さすらある、一人の青年に過ぎなかったのかもしれません。

尾形百之助と花沢勇作――この兄弟は悲劇的であるとともに、明治を舞台とした作品らしい耽美がただよっています。

地獄に堕ちながら、天国に昇るような二人のラストシーンは、これからも多くの読者の記憶に止まり続けることでしょう。

👉️『ゴールデンカムイ』の登場人物・アイヌ文化・時代背景を史実からまとめた総合ガイド


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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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