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【嘴平伊之助】
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『キメツ学園』と嘴平青葉
『キメツ学園‼︎』では、猪に育てられた野生児として青葉が登場。
その姿は裸足であり、一年中半袖でちゃんと制服を着ることができず、弁当しか持ってこない問題児とされています。
本編より弱くなったとはいえ、獣らしさがありました。
本編の最終回には、伊之助とアオイの子孫として、青葉が登場します。
こちらはマトモになっていて、一見、伊之助と似ていないようではあります。しかし実際は、「伊之助が現代に生きていたらこうだろう」と納得できる秀逸な人物像になっています。
・植物学者
「アオイに似たから研究者なんだね」となりそうですが、果たしてそれだけか。
伊之助は、いろいろあって文字が読めなかったりしますが、決して愚かではありません。
それに自然観察に秀でています。
野生動物は植物を観察してこそ生き延びることができる。専攻が数学や文学なら意外ですが、植物学ならば当然とも思えます。
・うっかりミスで全部枯らす
やることなすこと極端なのでしょう。アシスタントの雇用が必要かもしれませんね。そうでなければ、スマートフォンやスマートウォッチを活用して、ログをとってTodoリストを作るとか。
・「馘になりそう」「山奥に独りで暮らしたい……」
相変わらず人間関係スキルが苦手のようだ――そう思ってしまうほど、職場でやらかしていると思えますよね。
実力ありきで雇用されていたものの、馘にされそうなヘマをよくしているのでしょう。
備品破壊とか、無断欠勤とか、予算や締め切り超過とか、会議を聞いていないとか。
・竈門炭彦とバドミントンを楽しむ
28歳で出会ったばかりの少年と楽しんでしまう。偏見がないフラットな性格です。
・臆病なのか、大胆なのか?
落ち込む性格はネガティブなようで、そんな状況で出会ったばかりの少年と遊んでいる。相変わらず極端です。
・マスコミに怯えている
対人関係が苦手なのに、ましてや見知らぬ相手に囲まれたら、恐ろしくてたまりません。そりゃネガティブにもなります。
そっとしておいてあげた方が良いタイプですね。
こうしたことから、現代を生きる青葉は、実は伊之助とそんなに大差ないような気がしてきます。
獣は純粋なのか? ヒトとはどこが違う?
色々と思考を巡らせるにつれ、伊之助とは、なかなか最先端の研究成果が反映された奥深いキャラクターではないか?という結論に達しています。
人類は長いこと、自分たちと動物の違いについて考えてきました。
神話では、ヒトと獣の境界線が曖昧なこともままあります。ギリシャ神話では、神々が動物に変化することがあり、ヒトを動物にして星座にした伝説も多い。
日本武尊(やまとたけるのみこと)と白鳥伝説。
様々な動物をカムイとするアイヌ。
中国大陸由来の狐、蛇、虎と結婚する異類婚姻譚。
朝鮮半島の檀君神話における熊女。
東アジアだけでもこれだけあり、世界を見渡せばごろごろ転がっています。
一方、明確にヒトは特別だとする考え方もあります。
代表例がキリスト教です。
人は神を模して作り出されたと見なす――故に、人は他の生物とは異なる――という考え方ですね。
たしかに東洋でも、動物を異常な残酷性と結びつける考え方はあります。
豺狼(さいろう・山犬と狼・残酷な人間のこと)
梟雄(きょうゆう・フクロウのように親の肉でも喰らう残酷な雄)
このような言葉は、人と獣は違うという前提のもとで成立しています。
ただ、こうした考え方も、ダーウィンの進化論はじめ、人の科学が進み始めると否定されてゆきます。
それどころか、かえって動物社会が理想化されたりもしました。
「動物をみてごらん。殺し合いはしない、騙しあったりはしない。みんな仲良く平和に暮らしているんだ。人間も見習おう!」
こういう考え方ですが……こうした極端な美化も問題はあります。
例えば猫はかわいい。それでも鳥をいたぶってから食べる。
動物も環境を破壊するし、獣害で命を落とすヒトもいる。
動物だって知恵はあるからには、相手を騙して自己の利益を追求することはある。人間の工夫をかいくぐって害をもたらすことだってある。
要するに
【獣=ヒトと違って汚れない存在】
という論も誤りなんですね。
古典的なようで斬新な野生児
ヒトと獣を分けるものは何か?
その疑問や空想、そして理想の反映はフィクションを通して描かれてきました。
狼男や人虎といった獣に変貌する人間は、おぞましく理性を捨てるものとして捉えられた。
一方で、獣の勇敢さや強さは賞賛すべきものとなる。
ローマの建設者とされるロームルスとレムスの兄弟は、狼に育てられた伝説があります。
『三国志演義』に登場する馬超は「虎の体に猿の腕、豹の腹に狼の腰」だとされます。色々と盛り込みすぎてワケがわからなくなりますが、さほどに人間離れした勇敢さだったということでしょう。
神話や伝説の類のみならず、時代がくだると科学的なアプローチもなさされてゆきます。
18世紀末にフランスで発見された「アヴェロンの野生児」。
20世紀初頭、インドで発見された狼少女「アマラとカマラ」。
野生児である彼らを通して、ヒトをヒトたらしめるものは何か――その探求が進められてきましたが、今日では、そうした研究に疑念も呈されたりします。
なぜなら
【ヒト=正常・あるべき姿】
【動物=異常】
こうしたバイアス前提で研究がされていて、創作もあるとみなされるからです。
フィクションでは、作者の理想や読者のニーズに応じて、ヒトと獣の中間的ないいとこ取りの存在が生み出されてゆきます。
20世紀はじめのエドガー・ライス・バローズ『ターザン』シリーズが典型例でしょう。
野生児として育つものの、生まれはイギリス貴族の血統。
野生的でありながら紳士的でもあり、発表当時理想とされた社会性を身につけていることは、ご都合主義かつ人種差別にもつながりかねない。
密林で動物に育てられようが、白人貴族らしい理想的な行動を取れる……やはり非現実的かつ引っかかるところではあります。
ターザンとは反対に、動物をヒトの社会における理想像に近づける作品もあります。
手塚治虫の『ジャングル大帝』、そして『ライオンキング』が代表例です。
いくらなんでもヒトの理想をあてはめていて、獣としてはどうなのか?
そういう疑念が湧いてきます。
そうした先行作品には、発表当時の知識や理想が反映されています。
一方で『鬼滅の刃』は21世紀の知見が反映されているとみなせるのです。
確かに、伊之助がヒトと獣の境界線上にいるという点では、こうした先行作品と共通しています。
けれども、社会性が極めて低く、殺すと平然と口にし、暴力的で、リアリティのある野生味があります。清々しいまでに空気を読まないのです。
それでも人気があるキャラクターなのですから、まったくもって驚異的ではないでしょうか。
そんな伊之助を含めた三人組は、なかなか興味深い。
・人間社会の規範や空気を読みすぎ、かえって極度に順応しようとしてバランスがおかしい善逸
・ヒトの規範や倫理を一切合切無視し、猛然と動き回る伊之助
・彼らに偏見を持たず、真摯に接するものの、どこかずれている炭治郎
彼らは個性的で多様性があります。
かつバランスが取れていて、チームワーク抜群。
普通とはちょっと違う。けれども個性があるからこそ、長所もある人々。
彼らは現実世界にも存在する。
我々は、そんな人たちと共に認め合って生きていくのが理想でしょう。
人類はこうしてヒトになった
何がヒトをヒトたらしめているのか?
その要素は伊之助ができないこと、やらかしてしまうことにヒントがあります。
そしてそのことこそ、ヒトの認識が進化してきたということでもある。
20世紀から21世紀にかけて、研究は進化してゆきました。
ヒトも動物も生物であり、生き延びるために働かせる本能や心理には共通点があるという着地点に至りつつあります。
動物の心理をふまえると、ヒトの歴史や発展、社会の形成も理解できる。
そういう研究が日進月歩で進んでいるのです。
伊之助というキャラクターは、動物とヒトの境界線上にいます。
人類史を早送りするような進化を遂げており、彼を観察するだけで歴史の勉強になるのだから興味深い。
埋葬するようになるかならないか?
その意義を理解するか?
人類の進歩はそこにある!
そういう着眼点から、歴史のお勉強に進むのもアリ。
そこでオススメしたい一冊の本が『こうしてヒトになった 人類のおどろくべき進化の旅(マイケル・ブライト)』です。
絵本なので、子どもから大人まで幅広く楽しめて、ためになる。
『鬼滅の刃』をキッカケに知識を広げられたら、最高ではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
『鬼滅の刃』7巻(→amazon)
『鬼滅の刃』アニメ(→amazonプライム・ビデオ)