コロナ禍で幕を開けた2020年代。
人類史にとって新たな時代の始まりとも言えそうですが、そんなタイミングで大ヒットを記録した『鬼滅の刃』には、ニューノーマルな生き方のお手本となりそうなキャラクターが登場します。
嘴平伊之助(はしびらいのすけ)――。
主人公の炭治郎や、人気キャラの善逸と並ぶトリオであり、各種のコラボ商品やサービスで彼は絶対に欠かせない存在です。
しかし、その一方で彼は非常に癖が強い。
「獣」という特殊な性質が組み込まれているからには、それも当然だろ――なんて言われそうですが、だからこそ色々と引っかかる一面があり、目が離せなくなる。
4月22日は、そんな伊之助の誕生日。
もちろん物語上の話ですが、本稿で彼を深堀り考察してみたいと思います。

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嘴平伊之助と友達になれるかな?
『鬼滅の刃』には、おもしろい特徴があります。
主人公の炭治郎以下、スンナリとは友達にはなれそうもない人物が揃っていることです。
炭治郎は妹思いではあり、よい子過ぎるとすら言われますが、どこかズレている。
善逸もテンションの上下が激しすぎる。
そんなトリオの中でも、最大の問題児かもしれないのが伊之助です。
伊之助が同じクラスや職場にいたとしましょう。このときどんな風に表現されるか?というと「アイツって、なんか変わり者で、困った奴で、トラブルメーカーだよな」となりがちではありませんか?
『鬼滅の刃』は、問題行動を起こす者が多く出演し、特に主人公の同期は目立ちます。
善逸はあの歳で借金持ちで、セクハラを嗜められるし、いろいろうるさい。
カナヲは判断を人に委ねてしまう。
胡蝶姉妹が辛抱強くなければ、そして炭治郎が心を開かなければ、どうなっていたことか。
玄弥は最終選抜で暴力的な行動を取り、炭治郎に注意を受けています。
炭治郎だって、いい子で生真面目なようで「ズレてる」とはよく指摘されます。

『鬼滅の刃』23巻(→amazon)
今なら、問題児だらけで学級崩壊してしまうかもしれませんね。
その中でも伊之助ですが……彼はそもそも人間社会の常識が通じなかったりします。
しかも、そこになんだかリアリティがある。以下のような要因が、信憑性を演出しているのでしょう。
・暴力的
・割と酷いことを平然という
・「殺すぞ」「死んでる」等、生命的倫理観がないことを平気で言う
・人の名前を間違える
・煽って挑発してニヤニヤしている
・落ち着いて食べられない。勝手に食べ出す
・服をちゃんと着られない
・猪をかぶっているため、表情がわかりにくい
・作った人の心も踏まえずに、いきなり日輪刀をぶち壊し始める
・「(鬼に味方した人に対し)死んでいいと思う!」「髪の毛全部毟っといてやる」等、なかなか過激な発言をする
むろん彼レベルでの野生児は現実的ではありません。
それでも「実際のクラスに一人ぐらいは居そう」だと思わせるリアリティがあり、もしも実際に存在したら除け者にされそうではあります。
個性として片付けられないズレがあるのです。
獣のように生きるその行動
どうして伊之助がおかしいのか?
それは彼が【獣の呼吸】の使い手であることをふまえれば、理解に近づけそうです。
各人の呼吸は、その個性とマッチしています。
伊之助が獣であることは、以下の特質からも肯定できることでしょう。
埋葬の意味がわかっていなかった
響凱の屋敷ででた犠牲者を、炭治郎と善逸は埋葬しようとします。
けれどもそんな中で、伊之助はそもそも埋葬の意味すら理解できず、無駄なことだと片付けようとしていました。
これに対して周囲はギョッとしますが、実は人間の根幹に迫ることだったりします。
【人類の始まりはどこか?】
その分岐点として重要視されるのは「埋葬」です。
仲間だと思った相手の遺骸を埋め、花を供える――そこには獣ではなくヒトの証があるとされます。
つまり、あの時点での伊之助は
【獣とヒトの境界線上にいる】
んですね。
猪の被り物をしていて美貌に無頓着
獣に近いからこそ、そのまんま毛皮を着ているといえばそう。
しかしその下は紅顔の美少年……と、この点で重要なのは、ワニ先生とそれ以外のイラストレーターのタッチの違いです。
アニメ等の公式よりも二次創作では特に顕著になるのですが、表情が違います。
ワニ先生の絵は【自分の美貌にそもそも無頓着】な表情です。
無愛想だったり、煽るためにニヤニヤしていて、美形だということをまったく意識できない顔をしている。
それ以外の方が描くとなると「美少年にはこういうニュアンスのある顔やポーズをして欲しいよね……」という手癖や欲求が出ていると思えます。
「黙っていればあいつは結構美形だ……」
「普通にしていればかっこいいのに……」
「すごく綺麗な顔をしているのに、なんか気持ち悪い……」
現実社会ではそういう失礼な感想を相手に抱かれる、それが野生児です。
表情を読み取りにくいようで、極端で……
伊之助はそもそもが被り物をしているからそうなのですが、取っていても無愛想というか無表情なことが多い。
ヒトと動物を比べてみましょう。
ヒトは表情筋が豊かであり、かつコミュニケーションのためにその動きを細かくするように進化してきました。
伊之助はそれが未発達ともいえます。
ただ、そのぶん動物は威嚇します。
伊之助は感情がたかぶると極端な行動を見せます。そこも獣なのです。
この特性は魘夢戦で役立っています。
人間の心理操作のエキスパートである魘夢は、細やかな表情の変化や目線の動きで相手に対抗する。だからこそ伊之助には通じにくい。
表情が読み取りにくく、周囲を困惑させる人物といえば、冨岡義勇も該当します。彼もクールなようで、感情が昂るとかなり激しい。

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負傷の程度がわからない
周囲からすればどう見ても重傷なのに、伊之助は猪突猛進する。
そんなに血が出ているのなら、とにかくおとなしく止血してくれ……そんな状況下でも暴れます。
獣は自分で獣医にはかかりません。治らなければ野生の掟で命を終えるまで。ひとまず対戦相手を倒すか!
そういう人間に捕まらない限り暴走して、自らは獣医師などへは行かない。そんな思考回路をしています。
そして、それでは役に立たないと冨岡義勇に断言拘束されたこともありました。
善逸と比較すると面白いかもしれません。
善逸は人としての生存本能があります。彼はメンバーの中で比較的軽傷でも大仰に「痛い!」と叫ぶ。危険を察知すると大袈裟に怖がる。
ヘタレだのなんだの言われますが、生存率が高いヒトとはこういう個体です。
喧嘩したい、強さを認め合いたい!
伊之助はやたらと喧嘩をふっかける。お前より強いと言いたがる。
これも獣の縄張り争いや群れでの順位をあげるための行為だと思えば理解できなくもありません。
再び善逸と対比するとわかりやすいでしょう。
善逸はヒトとしての承認欲求ありきで動いています。社会がよいとみなす美女を求め、皆に役立って感謝されることを求める。
一方で伊之助は、ひたすら獣として群れのボスになりたいと考えているのです。
両者ともに変わっていることは確かです。
チームプレイでも独特で、足手まといになるくらいなら加勢すらしない冷静さもある。生き延びるために獣の習性に従っています。
二刀流、ギザギザの刃、高い柔軟性と敏捷性、低い重心
伊之助は、すべて【獣】ということで説明がつきます。
他の隊士が用いる日輪刀の長い刃。鈍器。湾曲する武器。合成した毒物……こうしたものは当然のことながら、野生動物は利用しません。
人類の進歩を辿る上で重要な要素として、石斧のような武器の発見は重要です。
「おおっ、かれらは武器を作って使用している! ヒトとして進化し始めているぞ!」
こう判定できますよね。
両手で持つ武器を振るう動きはヒト特有の動作。伊之助の二刀流は獣に近い動きの再現です。
刃がギザギザになっていて、攻撃された相手に複数の傷が同時につく。爪で相手を攻撃する獣に近いですね。
高い柔軟性と敏捷性、低い重心。こうした特性も獣らしい戦い方です。
ちなみに『鬼滅の刃』は、フィクションのお約束としての動きよりも、武術由来の構えや重心移動をしているキャラクターが登場しています。
デフォルメされているとはいえ、かなり説得力のある構えや切り方をしているのです。
そうした「ヒトが洗練した武術」と「伊之助の動き」はかなり異なります。
実在の流派と比較すると……
そんな伊之助ですが、敢えて実在の流派で近いものをあげるとすればジゲン流です。
薩摩藩士が習得していたこの剣術は、横木打ちという練習法が特徴。
「猿叫」という人間離れした絶叫をあげながら、ひたすら敵を何度も何度も何度も上段から殴る。
そんな動きを身につけるのです。
実は、これが理にかなっています。
叫ぶことで相手を威嚇し、上から敵の急所である頭部を狙う。何度も殴ることで攻撃への耐性をつける。
薩摩藩が幕末期に最強の流派として猛威を奮ったのも、こうした修行を欠かさなかったからですね。
ただし、あまりに野蛮であるとされてはいました。
藩主である島津斉興ですら、稽古を見ていられず途中退席したとか。江戸時代の泰平に慣れたヒトからすれば野生的過ぎたのです。

島津斉興/Wikipediaより引用
けれども、そういう猛獣になるような動きこそ強い――というのは歴史が証明済です。
伊之助の獣のような戦闘術が猛威を振るうことは当然だったりします。
入隊によって生存率がむしろ上がっている!
なぜ鬼殺隊のメンバーは鬼と戦うのか?
他の隊士が仇討ちや世界をよく変えるため――そんな理由であるのに対し、伊之助は縄張りに侵入した鬼殺隊士から装備品を奪ったうえで、無理矢理、選別に乱入しました。
結果、生活環境の向上が得られました。他の隊士とは逆転している点もご注目ください。
炭治郎のように、ヒトとして安住できる環境を奪われ、厳しい隊士としての生涯へ……生活環境は厳しくなっていますよね?
一方、伊之助の場合。
入隊により、定期的な食事、雨風をしのぐ住居、そして仲間という生存率UPのための環境の向上を得ています。
親の仇討ちであったことが判明するのは最終盤になってから。
彼はヒトとしての道義ではなく、獣としての安全性と生存率向上のために入隊したともみなせます。
時間やルールに無頓着
最終選別でもいきなり来て、帰って行く。
鬼殺隊員であってもルールを平然と破る。
日輪刀を砕くわ、隊服を破くわ、喧嘩はふっかけるわ、無茶苦茶です。
食べるタイミングを理解しない
伊之助は食事のマナーが悪い。のみならず、食べるタイミングを破り、盗み食いをしてしまいます。
行儀が悪い子だ!と、なりそうですが、これも獣の本能ですよね。
野生動物は、常にカロリーを摂取できるとは限らない。だからこそ獲物はその場で食べてしまいたい!
貯蔵する知恵がある動物もいるとはいえ、行儀だのなんだの気にしていれば生命の危機に直面します。
伊之助は獣として、行儀作法を考える前に食べに行ってしまうのでしょう。
ただ、そういう場合は叱り飛ばすだけではなく、指導でどうにかなります。
いつでも食べ物はある、これがあなたの分。そうアオイのようにきっちりルールと法則性を教え込めばよいのです。
動物も、自動給餌器のルールを理解すれば焦らなくなる。
伊之助もそうでしょう。気持ち悪がったり、叱り飛ばすだけでなく、ルールを教え込むアオイは伊之助にとって大事で特別な相手です。
人見知りする
大勢のヒトを見ると圧倒されてしまい、怯えてしまうようです。
ホワホワ
伊之助はホワホワします。
何か心が動かされるとホワホワします。
普段から被り物で表情が隠されているため、「ホワホワ」と描かれなければよくわからないという面もありますよね。
これも善逸と比較するとおもしろい。
善逸の反応はヒトとして大仰なものであり、かつ漫画のルールに沿ったリアクションだと思います。
一方、伊之助のホワホワは、動物が甘える特殊な鳴き方をするとか、犬が尻尾を振るとか、あるいは猫が喉を鳴らすとか、ヒトというより動物的な反応ですね。
野生動物や保護動物と接した方はご理解いただけるかと思いますが、はじめのうち動物はヒトを警戒します。
そして
『このヒトというものはこちらに敵意がないぞ!』
と確認できたとき、ホワホワとした行動を取り始めますが、そこに至るまでには葛藤や確認があります。
伊之助も周囲に対してそうしていました。
伊之助は、獣としての特性が強いキャラクター像です。
彼ほど極端ではありませんが、同じ特質を持ったキャラクターはフィクションで増えています。
出会い頭に怒鳴り散らす。突如、怒り始める。言語によるコミュニケーションが時々通じにくくなる。空気を読むことがない。
怯えると顔面蒼白になったり、震え出して動きが止まる。
仲間そっちのけで買い食いだのつまみ食いだの、グルメを求めている。おとなしくしていれば美形なのに、表情がつくと挙動不審。友達がいないか、極端に少ない……。
冨岡義勇も、特別な個性が出ていますよね。彼は極端に無表情です。
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彼らのようなキャラクターをマンガで認知するのは重要かもしれません。
なぜなら、現実世界にも存在するからです。みなさんも心当たりないでしょうか? 伊之助や義勇のような、ちょっと何考えているんだかよくわからないタイプ。
敬遠してしまうかもしれませんが、もちろん彼らを怖がる必要はありません。
『鬼滅の刃』にはもう一人、人としてのコミュニケーションが取れない重要キャラクターがいます。
禰豆子です。
鬼となった禰豆子は言語による交流ができません。
彼女は人間としての規範全てに従うわけではない。
着物で裾や襟をはだけながら戦う。髪の毛を結うこともなくザンバラにしている。何よりもヒトに噛み付かぬように口枷をされている。
要は、ヒトの形をした獣のように扱われている。
それでも大事な存在であり、かつヒトを守るべきものであるという考えがあり、誰かを傷つけることはない。
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だからこそ鬼滅隊でも仲間として認識していて、そこに高度な問いかけがあるのです。
社会のルールとは何か?
何がヒトをヒトたらしめているのか?
読者は自然とそのテーマを考えさせられている。
『キメツ学園』と嘴平青葉
『キメツ学園‼︎』では、猪に育てられた野生児として青葉が登場。
その姿は裸足であり、一年中半袖でちゃんと制服を着ることができず、弁当しか持ってこない問題児とされています。
本編より弱くなったとはいえ、獣らしさがありました。
本編の最終回には、伊之助とアオイの子孫として、青葉が登場します。
こちらはマトモになっていて、一見、伊之助と似ていないようではあります。しかし実際は、「伊之助が現代に生きていたらこうだろう」と納得できる秀逸な人物像になっています。
・植物学者
「アオイに似たから研究者なんだね」となりそうですが、果たしてそれだけか。
伊之助は、いろいろあって文字が読めなかったりしますが、決して愚かではありません。
それに自然観察に秀でています。
野生動物は植物を観察してこそ生き延びることができる。専攻が数学や文学なら意外ですが、植物学ならば当然とも思えます。
・うっかりミスで全部枯らす
やることなすこと極端なのでしょう。アシスタントの雇用が必要かもしれませんね。そうでなければ、スマートフォンやスマートウォッチを活用して、ログをとってTodoリストを作るとか。
・「馘になりそう」「山奥に独りで暮らしたい……」
相変わらず人間関係スキルが苦手のようだ――そう思ってしまうほど、職場でやらかしていると思えますよね。
実力ありきで雇用されていたものの、馘にされそうなヘマをよくしているのでしょう。
備品破壊とか、無断欠勤とか、予算や締め切り超過とか、会議を聞いていないとか。
・竈門炭彦とバドミントンを楽しむ
28歳で出会ったばかりの少年と楽しんでしまう。偏見がないフラットな性格です。
・臆病なのか、大胆なのか?
落ち込む性格はネガティブなようで、そんな状況で出会ったばかりの少年と遊んでいる。相変わらず極端です。
・マスコミに怯えている
対人関係が苦手なのに、ましてや見知らぬ相手に囲まれたら、恐ろしくてたまりません。そりゃネガティブにもなります。
そっとしておいてあげた方が良いタイプですね。
こうしたことから、現代を生きる青葉は、実は伊之助とそんなに大差ないような気がしてきます。
獣は純粋なのか? ヒトとはどこが違う?
色々と思考を巡らせるにつれ、伊之助とは、なかなか最先端の研究成果が反映された奥深いキャラクターではないか?という結論に達しています。
人類は長いこと、自分たちと動物の違いについて考えてきました。
神話では、ヒトと獣の境界線が曖昧なこともままあります。ギリシャ神話では、神々が動物に変化することがあり、ヒトを動物にして星座にした伝説も多い。
日本武尊(やまとたけるのみこと)と白鳥伝説。
様々な動物をカムイとするアイヌ。
中国大陸由来の狐、蛇、虎と結婚する異類婚姻譚。
朝鮮半島の檀君神話における熊女。
東アジアだけでもこれだけあり、世界を見渡せばごろごろ転がっています。
一方、明確にヒトは特別だとする考え方もあります。
代表例がキリスト教です。
人は神を模して作り出されたと見なす――故に、人は他の生物とは異なる――という考え方ですね。
たしかに東洋でも、動物を異常な残酷性と結びつける考え方はあります。
豺狼(さいろう・山犬と狼・残酷な人間のこと)
梟雄(きょうゆう・フクロウのように親の肉でも喰らう残酷な雄)
このような言葉は、人と獣は違うという前提のもとで成立しています。
ただ、こうした考え方も、ダーウィンの進化論はじめ、人の科学が進み始めると否定されてゆきます。
それどころか、かえって動物社会が理想化されたりもしました。
「動物をみてごらん。殺し合いはしない、騙しあったりはしない。みんな仲良く平和に暮らしているんだ。人間も見習おう!」
こういう考え方ですが……こうした極端な美化も問題はあります。
例えば猫はかわいい。それでも鳥をいたぶってから食べる。
動物も環境を破壊するし、獣害で命を落とすヒトもいる。
動物だって知恵はあるからには、相手を騙して自己の利益を追求することはある。人間の工夫をかいくぐって害をもたらすことだってある。
要するに
【獣=ヒトと違って汚れない存在】
という論も誤りなんですね。
古典的なようで斬新な野生児
ヒトと獣を分けるものは何か?
その疑問や空想、そして理想の反映はフィクションを通して描かれてきました。
狼男や人虎といった獣に変貌する人間は、おぞましく理性を捨てるものとして捉えられた。
一方で、獣の勇敢さや強さは賞賛すべきものとなる。
ローマの建設者とされるロームルスとレムスの兄弟は、狼に育てられた伝説があります。
『三国志演義』に登場する馬超は「虎の体に猿の腕、豹の腹に狼の腰」だとされます。色々と盛り込みすぎてワケがわからなくなりますが、さほどに人間離れした勇敢さだったということでしょう。
神話や伝説の類のみならず、時代がくだると科学的なアプローチもなさされてゆきます。
18世紀末にフランスで発見された「アヴェロンの野生児」。
20世紀初頭、インドで発見された狼少女「アマラとカマラ」。
野生児である彼らを通して、ヒトをヒトたらしめるものは何か――その探求が進められてきましたが、今日では、そうした研究に疑念も呈されたりします。
なぜなら
【ヒト=正常・あるべき姿】
【動物=異常】
こうしたバイアス前提で研究がされていて、創作もあるとみなされるからです。
フィクションでは、作者の理想や読者のニーズに応じて、ヒトと獣の中間的ないいとこ取りの存在が生み出されてゆきます。
20世紀はじめのエドガー・ライス・バローズ『ターザン』シリーズが典型例でしょう。
野生児として育つものの、生まれはイギリス貴族の血統。
野生的でありながら紳士的でもあり、発表当時理想とされた社会性を身につけていることは、ご都合主義かつ人種差別にもつながりかねない。
密林で動物に育てられようが、白人貴族らしい理想的な行動を取れる……やはり非現実的かつ引っかかるところではあります。
ターザンとは反対に、動物をヒトの社会における理想像に近づける作品もあります。
手塚治虫の『ジャングル大帝』、そして『ライオンキング』が代表例です。
いくらなんでもヒトの理想をあてはめていて、獣としてはどうなのか?
そういう疑念が湧いてきます。
そうした先行作品には、発表当時の知識や理想が反映されています。
一方で『鬼滅の刃』は21世紀の知見が反映されているとみなせるのです。
確かに、伊之助がヒトと獣の境界線上にいるという点では、こうした先行作品と共通しています。
けれども、社会性が極めて低く、殺すと平然と口にし、暴力的で、リアリティのある野生味があります。清々しいまでに空気を読まないのです。
それでも人気があるキャラクターなのですから、まったくもって驚異的ではないでしょうか。
そんな伊之助を含めた三人組は、なかなか興味深い。
・人間社会の規範や空気を読みすぎ、かえって極度に順応しようとしてバランスがおかしい善逸
・ヒトの規範や倫理を一切合切無視し、猛然と動き回る伊之助
・彼らに偏見を持たず、真摯に接するものの、どこかずれている炭治郎
彼らは個性的で多様性があります。
かつバランスが取れていて、チームワーク抜群。
普通とはちょっと違う。けれども個性があるからこそ、長所もある人々。
彼らは現実世界にも存在する。
我々は、そんな人たちと共に認め合って生きていくのが理想でしょう。
人類はこうしてヒトになった
何がヒトをヒトたらしめているのか?
その要素は伊之助ができないこと、やらかしてしまうことにヒントがあります。
そしてそのことこそ、ヒトの認識が進化してきたということでもある。
20世紀から21世紀にかけて、研究は進化してゆきました。
ヒトも動物も生物であり、生き延びるために働かせる本能や心理には共通点があるという着地点に至りつつあります。
動物の心理をふまえると、ヒトの歴史や発展、社会の形成も理解できる。
そういう研究が日進月歩で進んでいるのです。
伊之助というキャラクターは、動物とヒトの境界線上にいます。
人類史を早送りするような進化を遂げており、彼を観察するだけで歴史の勉強になるのだから興味深い。
埋葬するようになるかならないか?
その意義を理解するか?
人類の進歩はそこにある!
そういう着眼点から、歴史のお勉強に進むのもアリ。
そこでオススメしたい一冊の本が『こうしてヒトになった 人類のおどろくべき進化の旅(マイケル・ブライト)』です。
絵本なので、子どもから大人まで幅広く楽しめて、ためになる。
『鬼滅の刃』をキッカケに知識を広げられたら、最高ではないでしょうか。

『こうしてヒトになった 人類のおどろくべき進化の旅』(→amazon)
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【参考】
『鬼滅の刃』7巻(→amazon)
『鬼滅の刃』アニメ(→amazonプライム・ビデオ)







