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【漫画『風太郎不戦日記』】
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自暴自棄になること
高騰する食費。
窮乏する生活。
「勝たねばならんのだ!」という重圧。
ひょうひょうとした山田青年も、時折本気で悩み始めます。
しかし、どれほど考えても、勝てるわけもないという結論に達する。彼の学友も議論するものの、なかなかその内容が生々しいのです。
海軍はどうせ海の底だ。
戦場で会おうと言って卒業した先輩だって、何人も戦死している。
当時の日本人が洗脳をされていて、密告が恐ろしくて「勝てねえ」とはおいそれとは言えない。それはそうなのですが、腹のそこから信じていなかったことが伝わってきます。
青年たちは「特攻隊になって国や母のために死ぬんだ!」とも言い出す。
でも、それが意味があるとはわかっているわけでもなく、現実逃避か追い詰められてのことではないかと、作画から伝わってくるのが怖いところでもあるのです。
この漫画の絵は、劇画からはほど遠く、味があって、淡々としている。それでいて当時の素朴で丸坊主、学生服姿の青年像をうまくとらえています。
だからこそ、青年の熱気がただの自暴自棄に見えて、おそろしい。
特攻隊の遺書に、本音なんて検閲で書けなかったというのは確かなことです。それ以前に何もかもが絶望的で、自暴自棄になってああなってしまう生々しさがあるのです。
安易な特攻隊賛美を吹き飛ばすものが、あのひょうひょうとした絵にはあると思えるのです。
そういう学友の言葉を淡々と聞いていた山田青年が、空襲で逃げ惑うところもきっちりと描かれます。
この作品のB29は、山田青年の目から見た不気味な巨体です。
そこにはロマンチックなところも、格好よさもない。人々を圧倒するおぞましさが伝わってきます。
おぞましいといえば、銭湯で多発する窃盗、罵倒し合う日本人の姿もそうかもしれません。
戦争中の日本人は美しい、素晴らしいというフィクションが増えてきたと思えますが、それは所詮思い込みだと本作は否定しています。
戦争末期から起きた【小平事件】(連続性暴行殺人)は、戦時中という非常事態を悪用した凄惨な事件です。皆が綺麗な心で一致団結して国難に立ち向かったわけではありません。
憎悪と希望をどこへ向けるのか?
「日本男児でありながら役に立たない者への怒りとはどういうものか」
それも本作を通してわかってきます。
食糧を買い出しするとき、割り込む人。自分の家は困っているから増やして欲しいと訴える人と、それを罵る人。闇で食糧を仕入れながら、闇で儲ける人を罵る心理。
米軍への怒りは当然あるはずなのですが、どう向ければいいかわからない。
ルーズヴェルトの死を受けて興奮する山田青年は、彼に同意しないでシンとしている学友に驚くような、気が抜けるような反応を示します。
政府や軍部へ、怒りは向かわない。
自分より楽に見える隣人へ怒りが向かってゆく。
そういう構図が見えてくるのです。
根本的なことを解決するのであれば、戦争に勝たねばならぬ。でも、どうしたらいいのかワカラナイ。
人々も淡々と、庶民に至るまで「もうこの戦争には勝てない」と悟っていることも伝わってきます。
国のいうとおりに防空頭巾を被っているとむしろ危険。防空壕だって危険だ。結局は運なのだ。
新兵器ができて勝てるって?
そんな希望を信じるなんて、希望の怪物だ――。
山田青年は諦念に浸りつつい、無惨な焼け跡を見て、彼らしからぬ感慨を抱きます。
日本人全員が、いかにしてアメリカ人を殺すか考える陰鬼にならなければ、勝利は得られない――。
原作でも衝撃的な記述を、実にうまく漫画にしてゆきます。
山田青年は、周囲とは違った個性を持っているようには思えます。
進級試験に空襲があると無試験合格になる――そうとわかれば、今日こそ空襲が来ないか?と待ち望んでしまう。
今日は名古屋あたりの番だから東京じゃないサと、語り合って笑ってしまう。
そしてたしなめられるような存在であると描かれながらも、こうも陰鬱な決意を固めてしまう。
そんな彼に対しては、当時はそんな者だという切り離し方もできないのです。
山田風太郎は、忍法帖はじめ、隣人が殺し合う作品を描いてきたものです。
忍者にせよ、柳生一族にせよ、自分たちを殺し合わせる力ではなく、隣人殺しへと突き動かされてゆきます。
自分より恵まれていて、自分とさして変わらぬ位置にいる相手を憎み、殺し合うことに喜びすら感じてしまう。
そういう姿を、戦時中に見てしまったがゆえのことなのかと気づくと、ゾッとするようなものを感じてしまうのです。
ただし、希望もないわけじゃない。
東京大空襲のあと、美しくもない、薄汚れていて疲れ切った二人の女性が座り込みこう言い合っているのです。
「ねえ……また……きっといいこともあるよ……」
英雄でもない。歴史に名を残す人物でもない。平凡な女たち。
彼女らの声を聞き、山田青年がどれほど人間の本質を得たか。
それは原作でも印象的なのですが、漫画でもきっちりと再現しています。よくぞこれを描いたと思えた場面です。
終わりが見えず、楽しみすら薄れる時代を生きる
こんな時代です。
すべての人が先を見通せず暗いと思える中ではありますが、深刻なのは学生でしょう。
苦難の時代、若い人たちはいかにして生きるべきか?
そのヒントも本作にはあります。
東京医科大学出身という経歴から、理数系だと思われがちな山田風太郎ですが、数学はまったくダメで、高等数学はぶん投げていて一点も取れないという記述がきっちりと反映されています。
文才に富んでいますから、そういうことなのでしょう。受験にも一度失敗しているわけです。
そういう学生でも、空襲無試験合格があったため、むしろ通ったと思えるところが興味深くはあります。
こうした時代ゆえに破天荒な人物が進学してしまった。そういう背景がこの年代にはあります。
山田風太郎よりやや下である設定の人物として、『動物のお医者さん』に出てくる漆原教授がいます。
彼も無茶苦茶な学生でしたが、戦後のドサクサに紛れ、獣医学の道へと進んだ設定です。
大変な時代は、埋もれかねない人間にも道は拓けるという先例にはなるのでしょう。
これが励ましになるかどうかはさておき。
辛い日々でも何かを見出す山田青年の姿が、こんな時代だからこそ印象的ではあります。
冬景色を照らす月。
散る桜。
都々逸。
古川ロッパ。
六代目尾上菊五郎。
読書。
言い合う冗談。
エイプリルフールに高須さんを騙すこと。
空襲警報が響く中噛み締める飯。
ナオシ(腐りかけたもの、下等な酒を加工したもの)。
死の虫の知らせを感じながら、こんなふうに生きていたということ。
回想ではなく、日記だからこそ残せた生々しさ。
原作も素晴らしい。
その原作からここぞというところを抜きだし、絵でまた命を吹き込んだ。
こんな時代だからこそ、共鳴したい。そんな23歳の青年の青春がそこにはあります。
現在1巻発売中で、以下、続刊が予定されています。
山田青年が見る敗戦、そして戦後の混乱がどう描かれるのでしょうか。見届けたいと思います。
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文:武者震之助
【参考】
漫画→山田風太郎/勝田文『風太郎不戦日記』(→amazon)
原作→山田風太郎『戦中派不戦日記』(→amazon)