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【龍馬の妻・おりょう(楢崎龍)】
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人斬り半次郎に迫られて
おりょうは、寺田屋の女将・お登勢のもとで、「お春」と変名を使って働き始めました。
そんなあるとき、中村半次郎(のちの桐野利秋・このときの変名は村上伴左衛門)が大山実次郎とともに、寺田屋に泊まりに来ます。
しかし、中村があまりに粗暴なので、
「嫌やわあ、薩摩隼人は気が荒うてかないまへん」
と給仕の女性たちが嫌がったのです。
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これにイラ立った中村は、食器をブン投げて暴れます。うーん、そんなことをすればますます嫌われ……。
「うちに任せておくれやす」
気の強いおりょうは、二階の中村のところに行くと、手酌で酒を5~6杯飲み干しました。
流石の中村も、若い女がいきなりこんなことをしてきたので、唖然としてしまいます。
「暴れても仕方ありまへん。器量が下がるだけやおまへんか。うちがつきあうたるさかい、十分召し上がっとくれやす」
おりょうはそう言うと、【人斬り半次郎】を恐れることもなく、二人で差し向かいになって飲み続けたのでした。
さんざん飲んだ後片付けて、おりょうが自室で寝ておりますと、人の気配がします。
「わいはよかおなごだ。今夜はおいと寝てくれ」
そう凄んできたのです。
おりょうは笑い飛ばしました。
「うちを誰やと思うとりますのん? 寺田屋のお春どす。うちは宿場女郎とちゃいます。人を見て口説いてくどいとくれやす」
そう言って手を払うと、肌身離さず持つ短刀がポロリと落ちます。
「わいは何者や。ないごて短刀を持っちょっど。あやしかおなごだ!」
中村は慌てておりょうを引っ張って、大山の部屋まで連れて行きました。
「おなごに短刀なんて必要なか。奉行ん回し者じゃな、行動もあやしか。おとなしゅう白状せえ!」
ギラリと人斬り半次郎に睨まれても、おりょうは退きません。
「おなごにも短刀は必要どす。今夜のように、暴れ者が夜這うてきたとき、この短刀で刺してやろうと持っていたもの、あやしいと思うなら好きにすればよろし」
「うぬぬ……」
中村は反論できず、顔を真っ赤にしております。
ここで大山が「ちょっと短刀を見せてみやんせ」と言い出しました。
それから半次郎の袖を引きます。
「わいも冗談はほどほどにしやんせ。こんしは坂本龍馬先生ん奥様じゃ。こん短刀は坂本先生ん差し料ん【越前国広】じゃっで間違いあいもはん。坂本先生に隠し妻がおっとは聞いちょったが、まさかこんしとは。とんだことをしてしもうたね」
中村はたちまち慌てました。
「ごめんなせ、許したもんせ! これは失礼した!」
そう謝り、翌日には中の島でおりょうに食事を奢ったそうです。
「どうか昨晩んこっは、坂本先生には内緒にしたもんせ」
そう口止めしながら、大慌てで薩摩に戻ったそうです。
龍馬は、薩摩藩の多くの人々、西郷隆盛や小松帯刀とも親しい仲です。
この事件が発覚したら、そりゃ大変だったでしょう。
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密書を仲介し、隊士を世話し
おりょうは勇敢な女性でした。
新選組が目を光らせている京都で、活動家の妻や恋人であることは、生半可な覚悟ではできません。
おりょうは、夫のために様々なことをしました。
・密書を仲介する
・海援隊の隊士の世話をする
龍馬の活躍は、こうしたサポートあってこそなんですね。
そしておりょう最大のファインプレーは、慶応2年(1866年)の寺田屋における龍馬襲撃(寺田屋事件)において、危難を知らせたことでしょう。
入浴中のおりょうが咄嗟に湯船から飛び出し、袷一枚だけを着て龍馬に聞きを知らせる場面は、幕末ファンならおなじみです。
このあと薩摩藩邸に逃げ込み、そのまま薩摩で「ハネムーン」を満喫したことも、よく知られています。
坂本32才、おりょう26才。
若い二人は名峰・高千穂峰にのぼって「天の逆鉾」を引き抜こうとしてみたり、「塩浸温泉」に入ってみたりしています。
10日ほど滞在し、西郷の妻・西郷糸子(岩山糸)にも歓待を受けています。
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夫の死
フィクションを中心としたおりょうの姿は、このあたりまで。
龍馬の物語が終わるとともに、彼女の役目も終わり、幕末という舞台から消えてしまったかのようです。
しかし、もちろんそんなハズはありません。
龍馬を失ってからの人生のほうが、おりょうにとっては長いのです。それは……。
慶応3年(1867年)11月、龍馬が凶刃に斃れた日と前後して、おりょうは不吉な夢を見ました。
血塗れの刀を持った龍馬が、しょんぼりとした様子で、枕元に立っていたのです。
夫の身の上に何かあったのかと不安に思っていると、訃報が届きました。
龍馬の仏前で、おりょうは洗い整えた黒髪を切り落とし、備えました。
それまで気丈にふるまっていたおりょうは、このとき、夫の死後に初めて号泣するのでした。
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