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【開陽丸】
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土方(ひじかた)を乗せて函館へ向かったが
その後は信正や海舟の意思とは真逆の方向に使われることになります。
江戸城が新政府軍に引き渡された際、旧幕府側は開陽丸を始めとした船の引渡しを拒否したのです。
そして他の船を引き連れ、佐幕派が頑張っていた仙台へ脱出。
元新選組・土方歳三を始めとした「まだだ、まだ終わらんよ」と粘る人々を乗せ、箱館(函館)へ向かいます。
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それが予想外の最期を迎えます。
暴風によって座礁沈没してしまったのです。
建造元自ら「最高の船」とまで言わしめた船が無残に沈んでいく姿は、佐幕派の人々へ大きな衝撃をもたらしたことでしょう。
沈没前に乗組員が全員脱出できていたのは不幸中の幸いでした。
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「船員が隠し持っていたへそくり入れ」
開陽丸はその後引き上げが行われ、現在は北海道檜山郡江差町で復元されています。
船の中には本物の開陽丸の内部にあった遺物が展示されており、往時を偲ぶ事ができるとか。
大砲や拳銃といった武具の他に個人のものと思われる財布があるらしく、公式サイトに「船員が隠し持っていたへそくり入れ」って書いてあるんですけども、なぜへそくりと特定できたんですかね。中にメモでも入ってたんでしょうか。
お近くへお訪ねの際は立ち寄ってみるのもいいかもしれませんね。
へそくりの真偽を確かめに。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
開陽丸記念館(→link)
開陽丸/wikipedia
船名/wikipedia