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【お雑煮の歴史】
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そしてローカルルールが始まった
雑煮の伝播当初は、「丸餅」に「垂れ味噌」でした。
ただの味噌ではなく垂れ味噌(味噌に水をくわえて煮詰め、布袋でこしたもの)にしていたのは「味噌をつける」という縁起の悪さを回避するためです。
ここでもやはり縁起ですね。
しかし、時代がくだると味付けが醤油になります。
技術革新によって、味噌よりも造りにくかった醤油が、全国各地で生産可能となったためです。
それまで上方から輸入していた醤油が、元禄年間(17世紀末~18世紀前半)になると江戸での生産が盛んになります。
江戸っ子好みの濃い口醤油が作られ始めたのです。
そこでトレンドに敏感な人が、
「味噌より醤油の方がイマドキの味で江戸好みだね! 雑煮は最高の料理なんだから、今ドキの流行を取り入れないと」
と考えたわけです。
こうして江戸の雑煮は醤油味のすまし汁となっていったのです。
大名がおらず、参勤交代もしない京都・大阪では、こうした変化はなく、味噌味のままでした。
また、江戸でも貧しくて醤油が手に入らない庶民は、味噌で味を付けていました。
餅の形は武家と公家の差
アナタのお雑煮は丸餅ですか、それとも角餅ですか?
皆さんそれぞれのお雑煮が普通であって、他のお餅のカタチまで考えなかったかもしれません。
しかし、歴史を振り返ってみると、当初は丸餅であったことがわかります。
ではいつから角餅になったのか。
というと、17世紀頃には登場していたようです。
角餅を取り入れたのは、武家らしさの発露のようです。
のして切ることで、敵を征圧して切る……そんなイメージを持たせ、公家と差別化をはかったわけです。
元祖は?と言えば京都風ということでしょう
毎年年末年始になると
「ウチの雑煮が一番おいしい!」
「関西出身の夫と関東出身の妻の間で大激論!」
なんて話題が沸騰するものです。
前述のとおり歴史的には「味噌味+丸餅」が元祖になりますが、古ければ勝利というものでもありませんよね。
時代のニーズにこたえて、新たな味や様式を追求した雑煮も価値あるものです。
全国には、小豆汁、小豆入り餅を用いる地方もあります。
餅を焼くか、煮るかという違いもあります。
もちろん具材も異なります。
海のそばなら海の幸、山の中なら山の幸。
地方によって異なるのは、私たちの祖先が自分たちにとって身近かつめでたくおいしい食材を探求した結果といえましょう。
雑煮ひとつとっても、武家や公家の違い、参勤交代制度の影響が出てくるのですから、歴史とはおもしろいものです。
私たちは今も歴史の中に生きているのだと痛感しつつ、今年のお雑煮を味わってみてはいかがでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考サイト】
全日本雑煮大図鑑(→link)
日本のお正月 雑煮をめぐる物語(→link)
ほか