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明治・大正・昭和

心が少し軽くなる水木しげる&武良布枝の生涯「なまけ者になりなさい」

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鬼太郎誕生、漫画の世界へ、そして結婚

そんなある日、作家仲間の会話で『ハカバキタロー』というヒット作のタイトルが出てきました。

しげるは、ふと思いつきます。

兄の子をモデルにして、今風の鬼太郎を紙芝居にしてみたらどうだろう?

3歳の甥っ子の姿を基に、かくしてヒット作『鬼太郎』シリーズは生まれます。このあとも『河童の三平』がヒットを飛ばしました。

しかし、紙芝居そのものが下火に向かいつつありました。

作家の中には、見切りをつけて当時ヒットの兆しが見えてきた漫画家に転向する者も増えていたのです。

昭和32年(1957年)、七年の紙芝居作家に見切りをつけ、しげるは上京しました。

亀戸に四畳半のアパートを借り、漫画家になったのです。

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これでやっと上向きか……と思われましたが、そう単純な話でもありません。

転職後2ヶ月は収入ゼロ。持ち物を質に入れ『ロケットマン』でデビューにこぎつけたものの、苦しい生活が続きます。

凝り性であるのか、プロットを練るだけで時間がやたらとかかってしまい、ギリギリの生活だったのです。

家賃の高さにも嫌気がさし、調布に一戸建てを買ったもののそれだけ。あとは何もない。

今と違い、当時の40歳で未婚は絶望的な状態です。

両親は見合いを勧めました。

成功してから嫁をもらうとしげるは思っていたものの、それではこの先いつになるか全くわかりません。

写真で見た相手は、まあまあ。

島根県で行われた見合いの席で、しげるは猫をかぶって好青年を演じきり、見合いからわずか5日後に結婚することになったのでした。

ここでのしげるの回想が、なかなかひどい。

【顔の長い父親の横にいた花嫁候補は、相対的に顔が短く見えた。ならばよし!】

照れもあるのでしょう。

素直になれないしげるなのです。

 

背が高すぎる、縁談が来ない……布枝の悩み

さて、そのころ。
島根で暮らす布枝は、縁談を待ちわびておりました。

面倒を見ていた祖母が死去。家業も人出が足りるようになった。

そうなると、未婚の布枝がいつまでも家にとどまることは、よろしくないと思われるようになったのです。

家を出るのであれば、結婚しかありません。かといって、恋愛結婚ができるわけでもない。

姉二人はもう嫁いでいる。私の番はいつなのかしら?

そう思ううちに、もう29歳です。

平成でも、女性の29歳は適齢期ギリギリとされたりします。

ましてや当時は、30歳も見えてきたらオールドミスで行かず後家。そんな言葉すらよぎりかねない状況です。

布枝は外見上のコンプレックスもありました。165センチという身長は、当時は高すぎたのです。

『ともかく縁談、縁談、縁談……』

そう願い続けて、ついに叔父が見合い話を持ってきたのです。

しかし……。

◆左腕切断

◆10歳年上

◆貸本漫画家

◆境港出身、東京住まい

見合い相手の情報はその程度。写真を見れば、かしこまったものではなく、自転車にまたがったものです。

しかし、自然な笑みを浮かべる相手に、布枝は好感を抱きました。

貸本漫画家とは何のことなのか?

それすらはっきりとは理解していないながら、父も反対しないし、この縁談は良いのではないかと前向きに思ったのです。

左腕のことは不安がありました。

それでも仲人が、他は健康だと後押ししたこともあり、布枝はなんとかなりそうだと思ったのです。

そしてついに、迎えたお見合いの日。

しげるは、兄嫁がなかなか付けられず困っていたストーブの火を片腕でつけました。

その親切心に、布枝は好感を抱きます。

裏表がなさそうだ。

都会で暮らしているのに、素朴である。

残された右手が大きい。

包容力はありそう。

美男子というわけでもないけれど、好感は持てる。

これはいい。断る理由はない。

そう周囲と話し合い、スピード結婚になるのでした。

後に、このときしげるが来ていた背広は兄のものであり、自身は質屋に入れていたと知ることになるのですが。

結婚式でも、しげるは無理をしていました。義手をつけていたのです。

しげるは義手が大嫌いでした。そんなものをつけて、見た目だけ取り繕うことそのものが無駄だと思えたのです。

新婚旅行は仕事が多忙という理由でありませんでしたが、実際にはそんな金がなかっただけ。

ともかく、こうして「ゲゲゲの夫妻」は生まれたのです。

 

甘いのか、甘くないのか? 奇妙な新婚生活

結婚後、布枝は驚きました。

花の東京だと思っていたのに、周囲は畑だらけ。東京の一軒家というから、それなりの家かと思えば、そうでもない。

冬はともかく隙間風で寒い。一日中忙しそうなのに、金が儲からない。軍人恩給は頑として受け取らない。

しげるは母を「イカル」と呼んでおりました。この「イカル」に弱いところを見せたくないから、断っていたのです。

そんな夫は、値下げされた腐りかけのバナナを食べることが楽しみ。かなりの変人夫であったことは、確かです。

しかも照れていたのか、しげるは本音をなかなか妻にすら見せません。

二人で気分転換に、自転車で出歩く楽しみができた。

自分の仕事を見ていて、作画に合わせてまるで百面相みたいと言ってくる。ベタ塗りやコマ割りを手伝ってくれる。

結婚して、しげるが明るい変化を感じていたことは確かです。

ただそれを、はっきりとは言い出せないのでした。

布枝は、正直なところ、夫の作品が不気味だと感じていました。

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むろん、それでいいんです、妖怪がテーマですから。彼の持ち味です。

そして、必死で原稿に向かう背中を見ているうちに、布枝の胸に誇りのようなものが湧き上がってきました。

こんなに真剣に、打ち込んでいる――漫画の良し悪しはわからないけれど、この努力は本物だ。彼女はそう思ったのです。

腐ったバナナをはじめ、食べることへの執着心。安眠への強いこだわり。

そうした変人と思われそうなことも、それが夫の生きる道なのだ、経験や性格ゆえなのだと、彼女は思いました。

布枝自身も、寛大で柔軟性のある性格だったのでしょう。

なかなかとんでもない結婚生活の始まりではありましたが、彼らの間には、なにかが生まれつつあったのです。

 

絶体絶命のピンチ!から漫画連載へ

そんなこんなで始まった新婚生活。所帯を持てばいうまくいくというのが、当時のお題目でした。

しかし、現実はそんなに甘いわけもありません。

『墓場鬼太郎』と『鬼太郎夜話』は、出版社側の都合で打ち切りに。

出版社倒産により、未払いの原稿料がそのまま踏み倒されることもありました。

紙芝居の次は、貸本漫画が斜陽の時代へ突入していきます。そのことに、妻である布枝も恐怖を感じていました。

アシスタントとして出版社と原稿料交渉をする際、値切られてばかりなのです。

夫の作品を貶す相手に怒りを覚えることも多かったとか。

そして知ってしまう、貸本漫画の斜陽という現実。マイペースなしげる本人よりも、妻の方が辛かったのかもしれません。

悪いことは重なります。

調布の家を、登記ミスの発覚によって半分地主に返さなくてはならない。

布枝は妊娠で、出産後の粉ミルクすら買えない

電気料金すら払えず、ロウソクで原稿を描くことも。

新聞すら購読できず、社会の動きについていけない。

作品構想を練るため、墓地公園に行ったまま、道に迷ったしげるが帰ってこない!(翌朝帰宅しました)

絶体絶命でした。

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それが救われたのは、昭和39年(1964年)のこと。

青林堂という出版社が起動し、漫画雑誌『ガロ』が創刊されました。この月刊誌に、毎号掲載されるようになったのです。

原稿料そのものは特別多くはありません。

しかし、エッジの鋭い若者を中心に、この雑誌は大注目を集めます。

そしてガロでの活躍がきっかけとなり、昭和40年(1965年)には『少年マガジン』から依頼がありました。

要請された中身が宇宙ものであったため一度は断ったものの、半年後にテーマの指定なしで再度依頼がありました。

しかも、原稿料は『ガロ』の十倍。一桁違ったのです。

「おもしろい格闘場面を入れてください。テーマは任せます」

こうして描き上げた『テレビくん』が『別冊少年マガジン』夏休み号についに掲載されました。

 

貧乏神と縁が切れたぞ

「なんだか夢みたい……」

「貧乏神と縁が切れたかもしれんな」

そう語り合う夫妻。貸本漫画どころではない原稿料に、布枝は呆然としています。

しげるは、子供だけではなく大人も楽しめるものを描くと意気軒昂でした。

このあと『週刊少年マガジン』にて、『墓場の鬼太郎』(のちの『ゲゲゲの鬼太郎』)連載が始まります。

43歳という遅咲きのブレイクですが、それも無駄ではありませんでした。

下積み時代の苦労があればこそ、仕事をこなすことができたのです。売れっ子漫画家とパーティで顔を合わせることもあり、布枝は驚くばかり。

それだけではありません。

『墓場の鬼太郎』は、第13回講談社児童漫画賞を受賞したのです。

ついにここまで来て、大手出版社から仕事が舞い込むようになりました。

貧乏神どころか、福の神が微笑んだような状況。しげる本人も、俺には守護霊がいると言っていたそうですが、それも照れかもしれません。

彼の才能、知性、努力あればこそ、成功できたのは言うまでもないでしょう。
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