明治8年(1875年)4月4日は、銀座のパン屋さん「木村屋」が明治天皇にあんぱんを献上した日です。
このため4月4日は「あんぱんの日」に定められています。
といってもさほど身分の高くない当時の木村屋主人・木村安兵衛が直接明治天皇へご覧に入れたわけではなく、その間にはさまざまな紆余曲折がありました。
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明治維新で特権を失った武士が
木村安兵衛は士族の出身。
明治維新の際に特権を失って商売の道に入りました。
最初のお店は火事で亡くなってしまい、銀座に移り心機一転、屋号もそれまでの「文英堂」から「木村屋」に改めます。
このとき既にパンの販売を開始しており、「脚気に効く」という噂や海軍兵学校の御用達になったおかげでそこそこ繁盛していたようです。
しかし、再び火事に遭ってまたもお店を失ってしまいます。
一度、遠のいてしまった客足を呼び戻すため、安兵衛は「もっと日本人の好みに合ったパンを作ろう」と思い立ちました。
そして息子の英三郎と共に試行錯誤をこらしていきます。
パンを和菓子化してみたところ
最終的に行き着いたのは、パンや日本料理ではなく和菓子でした。
パンを焼くときは酵母を使いますが、これを酒饅頭に使われる酒種に置き換えてみたのです。
いかにも酒臭くなりそうですが、焼いてみたところ問題なし。
そして和菓子といえばいわずもがな、あんこは欠かせません。
「酒饅頭で合うんだから、同じ酵母を使ってるこのパンに合わないわけはない」と考え、この新しいパン生地であんこを包みました。
今も木村屋で売られている「酒種桜あんぱん」の誕生です。
これを売り出してみたところ、それまで「パンってなんぞ?」というスタンスだった層にも大ヒット。
安兵衛と旧知の仲で、このころ明治天皇の侍従(お付きの人)を務めていた山岡鉄舟も気に入り
「これなら陛下もお気に召すだろうから、今度の花見で献上してみたらどうだ?」
と持ちかけました。
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ちなみにこの方、味付け海苔の発祥にも関わっていたりします。
食べ物と縁が深いんですかね。
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