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【あんぱんの歴史】
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最初は花見の肴だった
花見をするにしても明治天皇という貴い身分のお方ですから、下々のように公園で一杯というわけにはいきません。
そこで、現在の東京都墨田区向島にあった、旧水戸藩の下屋敷へ行幸。
鉄舟が木村屋から預かったあんぱんをお持ちしました。
このとき「お花見だし、献上するなら華が欲しい」ということで桜の花の塩漬けが乗せられたのだとか。
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結果、明治天皇も昭憲皇太后(当時は皇后)もいたく気に入り、晴れて木村屋のあんぱんは皇室御用達の味となりました。
特に皇后のお口にはよほど合ったそうで、毎年献上することが決まります。
高貴な女性というといかにもお好みが激しそうですが、やはりあんこが良かったんでしょうか。
この一件で、あんぱんの評判はさらに高まり、多いときは一日10万個以上売れたそうです。この時代によく生産が追いついたものです。
ちなみに「酒種桜あんぱん」はこしあんなのですが、当時はつぶあん派vsこしあん派の対立はなかったんですかね。
今は木村屋でも小倉あんのものがありますので、論争になることはおそらくないと思われますが。
そして他のパン屋さんもあんぱんを作るようになり、今ではスーパーやコンビニのお馴染み商品になったのでした。
今では木村屋のあんぱんもバリエーションが増え、5種類(→link)になっています。
先日たまたま5種類食べる機会があったのですが、どれも甲乙つけがたく美味しかったです。さすが、皇室御用達の名は伊達ではありません。
「あんバターホイップ」など変り種もときどき出しており、今も初代の熱心さが引き継がれていることが窺えます。
さっきから木村屋さんをアゲまくってますが、袖の下をいただいているわけではありませんので悪しからず。
ここまで日本におけるパンの地位を向上させたのは、やはりあんこの力も大きいでしょう。
国内最古の例では、なんと紀元前4000年前の遺跡からあずきを栽培していた痕跡が見つかっています。
もっとも砂糖がなかったので、甘いあんこが作られるようになったのは、ずっと後の戦国時代あたりですけども。
新しいものにドンドン挑戦する
江戸時代に入ってからは身分の高い人の間で甘いお菓子が広まったため、庶民からすればあんこ=憧れの味だったことは想像に難くありません。
あんぱんを買いに来た人の中には「パンって何だかよくわからないけど、中にあんこが入ってるんだろ? ならば買う!」という人も多かったんじゃないでしょうか。
これまたどうでもいい話ですが、断髪といいヒゲといいあんぱんといい、新しいものを次々にやらされたり持ってこられて明治天皇も大変だったでしょうね。
ご本人は「良いものは新旧問わず受け入れる」という主義だったようですので、あまりストレスにはならなかったのかもしれませんが。
その順応性、プライスレス(古い)
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【参考】
あんパン/wikipedia
木村屋(→link)
大山真人『銀座木村屋あんパン物語 (平凡社新書)』(→amazon)