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【モルガンお雪】
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ニューヨークから2人で渡仏 しかし平穏な生活は続かない
雪とジョージは、アメリカでも日本でもなく、フランスで暮らすことを選びました。
ジョージは一向に雪を受け入れてくれないニューヨークの社交界や自分の一族より、雪と静かに暮らす方を選んだことになりますね。ここまでされれば、女冥利に尽きるというものでしょう。
雪は当初、外国人に身請けされるのを嫌がっていたという説もありますが、これほど誠意を尽くされれば、愛情が生まれていってもおかしくありません。
しかし、平穏な生活は長くは続きませんでした。
雪が34歳のとき、ジョージが急に心臓麻痺を起こして亡くなってしまったのです。
遺産相続に関する裁判には勝ちましたが、やはりアメリカも日本も居心地が悪いと感じたものか、雪はフランスに住み続けました。
翌年、フランスの陸軍士官で言語学者でもあったサンデュルフ・タンダールと恋人になっています。
雪はジョージの遺産をサンデュルフの学業に使ったらしいのですが、これは現在でも賛否両論を呼びそうですね。
とはいえ、15年ほどでサンデュルフもまた心臓麻痺で亡くなってしまい、愛する人に二回も先立たれるとは、気の毒でなりません。
日本に帰国して洗礼を受ける その名はテレジア
雪は、その後もフランスで暮らし、第二次世界大戦前に日本へ帰国すると、京都で暮らすようになりました。
しかし、かつて国籍を剥奪されたままだった上に、莫大な資産を持つお雪は当局に怪しまれ、財産を差し押さえられてしまいます。
終戦後に遺産相続権を回復しましたが、それまでにお雪は俗世がすっかり嫌になってしまっていたらしく、71歳でキリスト教の洗礼を受けています。
洗礼名は、敬愛する聖女”リジューのテレーズ”にちなみ、”テレジア”としました。
その後は81歳で亡くなるまで、京都市北区紫野で養女のナミエとともに静かに暮らしていたそうです。
「外国人に身請けされた」というだけで母国の人々からとやかくいわれ、「クリスチャンでない東洋人だから」という理由でアメリカでも冷遇され、愛した人に二回も先立たれ……と、波乱万丈の生涯。
せめて養女と暮らしていた晩年だけでも、心安らかな日々であればよいのですが。
長月 七紀・記
【参考】
『モルガンお雪 (集英社文庫)』(→amazon)
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モルガンお雪/wikipedia