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【明治時代の衣食住】
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「食」について
この時代の食の話題といえば、やはり肉食の普及でしょう。
政府が肉食を勧めた理由としては、「文明人になる」という他に、体格向上の目的もありました。
「西洋人は立派な体格をしている」=「彼らは肉をよく食べる」=「日本人も、もっと肉を食べれば体格が良くなれるかも?」→「(ピコーン!)そうすれば、もっと強い国になれるよね!」という連想があったわけです。
お雇い外国人からもそういった助言がありました。
残念ながら、平均身長が西洋並みに近づいたのは戦後のことでしたが、まあ……そんなに急に平均は上がりませんよね。
もっとも、これは西洋にアジア系が増えて、あちらの平均が下がったからでもありますが。
肉食の普及は体格向上に繋がりました。
が、現代では「食の欧米化がさまざまな病気の原因になる」という説も出てきていますし、バランス感覚がより大切になってきましたね。
日本食も、エネルギーが低い代わりに塩分が高くなりがちですし。
軍では、陸より海のほうが洋食化が進んだといわれています。
これは海軍大臣だった西郷従道が「海軍は上野の精養軒に通って洋食に慣れるべし」と言い聞かせていたことによるものです。
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どちらかというと海軍のほうが外交儀礼での出番も多いですし、そういったことを見越していたのでしょうか。
陸軍では軍医だった森鴎外が「日本人には和食のほうが向いているし、洋食の害を危ぶむべき」と主張していたため、普及が遅れたとか。
これはこれで結果的には間違っていませんので、なんとも難しいものです。
お肉を食べたらダメだ!と皇居へ突撃する者も
一般人ではやはり、千年以上に渡る「家畜を食べるべからず」の禁を犯すことに対する抵抗が強くありました。
中には、皇室が肉食を始めたとき「お上が汚れた肉を食べるなんてとんでもない! 神のご加護がなくなってしまう!」と、皇居に突撃(物理)した人までいたといいます。
現代だったら「フェイクニュースかよ!」とツッコんで終わりでしょうが、当時は珍しくない考え方でした。
それがどうして広まったのか?
だいたいこんな感じが多かったようです。
↓
Aさんが勇気を出して牛肉を食べる
↓
「うまい!」(テーレッテレー!)
↓
「うまいからうちの奥さんにも勧めよう!」
↓
Aさんの妻B「牛の肉を食べるなんてとんでもない! 私はイヤです!!」
↓
Aさん「本当にうまいのに(´・ω・`) 健康にいいって言えば食べてくれるかな?」
↓
Aさん「おいお前、このところ調子が悪いって言ってただろう。牛肉は薬になるっていうから、食べてみないか」
↓
Bさん「そうなの? じゃあ少しだけ……あらおいしい!」(テーレッテレー!)
↓
Bさん「こんなにおいしいもの、なんで今まで食べなかったのかしら? もっと食べましょう」
↓
Aさん「計 画 通 り」
実は江戸時代までにも、彦根藩などで薬用として牛肉の味噌漬けが作られていました。
戦国時代にも「薬喰い」として鶏肉を食べたという記録がありますので、肉が滋養強壮に良いということは知られていたわけです。
鳥なども割と食されていて、野犬や野良猫なんかを食べた記録も残されています。現代日本人にはショックかもしれませんが、戦国時代の僧侶やフロイスがそう記しています。
それでも日本人が家畜の肉を食べたがらなかったのは「千年来の禁である」ということの他にも理由がありそうです。
「日本の国土には平地が少なく、簡単には牧畜ができなかった」
「自然環境的にも人間が食べるものを栽培するのが精一杯で、飼料用の穀物を大量生産することなど、思いもよらなかった」
この辺が関係していそうですね。
明治時代の日本は、こうした技術的・歴史的・文化的な理由のいくつかを解決できたことにより、肉食が進んだわけです。
また、服装の和洋折衷と同じように、食にも日本独自のアレンジが加えられました。
文明開化の一例として有名な牛鍋は、狩猟肉によく用いられていた味噌などの味付けを、牛肉に応用したのが始まりだったそうです。
その後、醤油と砂糖を中心とした味付けに変わり、さらにすき焼きへと変化して現代に続きます。
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