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橿原神宮(奈良)には誰が祀られている?神武天皇が日向から旅立ち

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幕府制作の陵がイケてない

脚光を浴びたのは、幕末頃になってから。

「そういえばこの辺は神武天皇ゆかりの地じゃないか!」と再認識されました。

江戸時代中も、幕府によって

「神武天皇の陵(みささぎ・お墓のこと)が所在不明? ウチらが見つければ幕府の権威が高められる! 頑張って探そう!」(※イメージです)

という試みはされていたそうです。

が、結局、これだというものが見つからず、伝承や記録から「この辺にこのくらいの大きさの陵があっただろう」ということでそれっぽいものを作っています。

神武天皇の存在を信じるのであれば、橿原の地で暮らして亡くなったことも事実なわけで、どこにお墓があるかということは細かい話でしょうね。

 

明治時代にできた神武天皇陵

再び動き出すのは明治時代になってから。

「幕府が作った陵、ショッボ! これじゃお上(明治天皇)の名にも傷がついてしまう! もっと立派に作り直そう!」

ということで、改めて神武天皇陵が作られました。

これが現在「神武天皇陵」と呼ばれているものです。

古い絵葉書に映された神武天皇畝傍山東北御陵/wikipediaより引用

それまでの間も周辺地域では神武天皇への信仰が篤く、政権が天皇に移ったというタイミングもあって、「ここに神武天皇をお祀りしたい」という声が上がりました。

これを明治天皇が容れ、橿原神宮が作られて今日に至ります。

ちなみに橿原市の市章も、神武天皇の弓に止まって敵を追い払った鳶を意匠化しており、神話由来のものです。

橿原市章/wikipediaより引用

日本の自治体のマークとしてはかなりカッコイイ部類じゃないかと思うのですが、いかがでしょう。

神話や信仰に意味があるか?

というのは悪魔の証明に近い話ですが、文化的に良い面があるのなら、残していったほうがいいのではという気がします。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
橿原神宮(公式サイト
橿原神宮/wikipedia

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