1931年(昭和六年)5月15日は、獣医師のエドウィン・ダンが亡くなった日です。
明治政府に雇用された「お雇い外国人」の一人で、北海道にとても深いゆかりを持っています。
札幌市に彼にちなんだ場所がいくつかありますので、市民の方はご存じかもしれませんね。
その生涯を振り返ってみましょう。
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食べるために家畜を育てるなんて!?
エドウィンは、アメリカのオハイオ州に生まれました。
幼少期から父や叔父の農場で牛や馬の扱いを覚え、マイアミ大学を卒業してから日本へやってきました。
幼い頃から培ってきた畜産の知識を買われたのです。
当時の日本は「西洋に追いつけ追い越せ」というモットーを掲げていました。
その中には「肉食を取り入れ、国民の体格を良くすること」も含まれています。
明治天皇が牛肉を食されたのをきっかけに、牛鍋などの肉食が庶民に広まったのは有名な話ですよね。
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それまで日本では「食べるために家畜を育て、増やす」という概念がほとんどありませんでした。
やらないことのノウハウはもちろんないわけで、そこも欧米から学ぶ必要があったのです。
また、この時代はまだ自動車が普及していませんから、移動や輸送手段でよく働いてくれる良い馬を育てることも急務でした。
そんなわけで、日米のお偉いさんの間で「うまく教えてくれる人を派遣しよう」という話になり、選ばれたのがエドウィンだったのです。
当初は1873年からの一年契約の予定でしたが、実際には10年近く北海道で畜産や獣医学の指導に当たっています。
初めて日本にやってくるとき、彼はアメリカから100頭前後の牛と羊、そして農耕具を持ち込んでいるので、元々かなりやる気はあったようです。
また、函館で出会った日本人女性・つると結婚したことで、日本に長く逗留することを決めたといいます。愛の力って凄いですね。
荒い馬は乗りこなすでなく去勢する
エドウィンは、それまで日本人が持っていた家畜との付き合い方を、少しずつ変えていきました。
例えば、馬の気性についてです。
「じゃじゃ馬」という言葉がある通り、日本では「荒い馬を乗りこなしてこそ一人前」という価値観が長く続いていました。
しかしエドウィンは、「気性の悪い馬を去勢し慣らしやすくするとともに、荒っぽい馬の子孫は残さないほうが良い」という考えをもたらしたのです。
当初は反発もあったようですが、当時の日本で馬術の第一人者だった函館大経(はこだて だいけい)が賛同したことで、徐々に広まっていきました。
畜産の他、彼は北海道で育ちやすい農作物の実験もしています。
これは、牛や羊の飼料を確保するためでもありました。
北海道の中で飼料の供給ができれば、安定して食肉や乳製品を作ることができるからです。
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田畑に安定して水を入れるため、真駒内用水も作っています。
現在、農業用水としての役割は終えたものの、札幌市に残っており、かつての面影がうかがえます。
かくしてバター・チーズ・練乳などの乳製品や、ハム・ソーセージといった肉加工品の生産が可能になり、北海道は畜産王国としての第一歩を踏み出したのでした。
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