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【宝塚歌劇団の歴史】
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戦火のもとで、歌劇団員たちは全国各地の慰問へ
1934年(昭和9年)、東京公演でも利益が見込めるようになり、東京宝塚劇場(→link)をオープン。
このころになると国内のみならず、海外進出も行われるようになってゆきます。
日本が戦争へ向かう中、1938年(昭和13年)にはヨーロッパ、翌年にはアメリカで公演を開催。
こうした海外公演は華やかなものでしたが、華やかな歌劇の世界にも、戦争の影が忍び寄ってきます。
1940年(昭和15年)、宝塚少女歌劇団は「宝塚歌劇団」に改称しました。
同時期になると、タイトルや題材から外来のものが消え、団員は慰問に駆り出されるようになります。
満州で公演が行われ、内容も軍国主義的なものとなってゆくのでした。
戦争が激化すると、劇場も接収され、劇団員は勤労活動や全国各地での慰問を続けることになりました。
華やかな歌劇の世界は、遠いものとなったのです。
敗戦間もない1946年に公演を再開させる
敗戦を迎えて、宝塚歌劇団はすぐさま復興を目指しました。
団員たちはすぐに自主練習を開始するも、進駐軍に建物を接収されてしまうという困難もありました。
それでも、敗戦の翌年の1946年(昭和21年)には、公演を再開します。
ただ再開するだけではありません。
ラジオ、映画、テレビ……さらなるメディアと組んだ戦略が求められました。
元からこうしたメディアミックスには強かった宝塚です。さらなる飛躍を遂げました。
同時に演目もバリエーションを増やしました。
・海外公演
・皇族による鑑賞
・様々な受賞歴等
宝塚歌劇団をめぐる様々な話題は尽きることがありません。
60年代末からはミュージカル作品を上映し、常に変化と進歩を求め、たゆまぬ努力が続きます。
1974年 日本に『ベルばら』ブーム到来!
そして1974年(昭和49年)、日本全国で大ブームとなる一大革命を起こします。
『ベルサイユのばら』の公演の大ヒットです。
観劇経験のない方も、一度ぐらいは、その名を聞いたことがおありでしょう。
見目麗しきタカラジェンヌが、舞台の上から強烈な眼力ビームを観客へと投げかける、あの印象的すぎるシーンとキャラクター。
アラフォー世代より上の方にとっては「宝塚=ベルばら」と言っても過言ではないハズです。
もちろん彼女らの活躍はそれにとどまりません。
以降、象徴的なものを取り上げますと……。
1980年(昭和55年)には、NHK連続テレビ小説(いわゆる朝ドラ)で『虹を織る』が放映されました。
本作はヒロインが宝塚歌劇団員という設定。更に知名度は高まりました。
80年代、90年代になると、海外公演もますます増加。劇場の建て替えも行われ、ハード面でも充実が図られます。
そして1996年(平成8年)には「雪組」の『エリザベート』が大ヒット演目となり、1998年(平成10年)には最も新しい組「宙組」も発足。2000年(平成12)には専科制度が発足しました。
誕生から百年を経ても、新たな歩みを止めず、常に進化し続けているのです。
今日も宝塚歌劇団は、小林一三が目指した国民劇として歩み続けていますこれからもきらびやかな舞台で、ファンたちを楽しませることでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
植木朝子/清水玲子/日向薫『宝塚歌劇団スタディーズ―舞台を100倍楽しむ知的な15講座』(→amazon)
『ベルサイユのばら特集本 (1) (宝塚ムック)』(→amazon)