最近あまり聞かなくなってきた「クール・ジャパン」って違和感ありません?
日本の文化を大事にするなら、そもそも標語も日本語にしたほうがソレっぽい気がします。
ローマ字表記と英語のキャプションをつければ、海外の方にも通じるでしょう。
今回は海外の方にも「純和製」として推せそうな、日本独自の技法で作られた、とあるモノに注目。
元禄8年(1695年)7月15日は、僧侶・円空が亡くなった日です。
もしかしたらご本人の名前より、作ったモノ(一刀彫)のほうが有名かもしれませんね。

円空(作:大森旭亭)/wikipediaより引用
一本の刃物で削ったり刻んだりする一刀彫!
円空は、寛永九年(1632年)に美濃で生まれたといわれています。
身分ある家の生まれではなかったようで、幼いうちに出家したと思われますが、詳しい時期は不明。
一説には、地元を流れる長良川の水害で母を亡くしたのがきっかけだ……とも。
長良川は地理でもお馴染みの「木曽三川」のひとつですが、その中でも歴史に残る人物の逸話が多いような気がしますね。
斎藤道三vs斎藤義龍の【長良川の戦い】とか。

斎藤道三(左)とその息子・斎藤義龍/wikipediaより引用
話を戻しましょう。
円空の名がはっきり残ったのは、独特な作風による仏像の作者だから、という点が大きいと思われます。
いわゆる「一刀彫」と呼ばれるスタイルで、他の仏像にはない作風。
文字通り、一本の刃物で削ったり刻んだりする彫刻をこう呼びます。
しかし、円空の手がけた仏像は、そうとは思えないほど精緻な細工がされていることが珍しくありません。
それがいつしか評判となり、あちこちで造像を行うようになり、寛文六年(1666年)には弘前藩を追われて蝦夷に行ったといわれていますので、この頃は東北諸国を巡りながら仏像を作り、対価を得て暮らしていたのでしょうか。
作品に刻まれた銘からすると、寛文九年(1669年)頃には尾張・美濃に戻っていたようですけれども。

如来立像(東京国立博物館蔵)/wikipediaより引用
切れ端のような木材からも刻み続けて12万体
その後は大和や近江にも足跡を残しつつ、関東で読経したという記録もあるため、どこかのお寺に腰を落ち着けるのではなく、生涯「旅の僧侶」としての生活を選んだようです。
残されている仏像には四国のお寺に献じられたものもあり、活動範囲の広さがうかがえます。
亡くなったのは64歳の頃。
生涯で12万体の仏像を彫ると祈願していたそうですが、それだと仮に30年間の活動期間でも年間4,000体になりますから、一日で10体以上で、さすがに無理がありますね。
ただ、現存するだけでも5000体以上あり、円空が凄まじい集中力の持ち主だったことは間違いないでしょう。
円空は綺麗に整えられた木材だけでなく、木の切れ端のようなものでも仏様の姿を刻んだので、材料にこだわらなければ旅の途中でも作りやすかったはずですし、
現在残っているのは全国で5800体弱で、そのうち岐阜県に1000体ほどあります。
さらに、名古屋市中川区の荒子観音寺には1255体残っており、岐阜県・愛知県だけで円空作の仏像の半分が存在していることになります。
この辺からも、円空の故郷が美濃であった可能性は高いと直感できることでしょう。
荒子観音寺の円空仏は、毎月第2土曜日の午後1時から4時まで公開だそうで。
ここは前田利家の生地にも近く、ゆかりある場所ですので、利家ファンの方は併せて訪れるのもいいかもしれません。
その一方で、最近では円空の仏像も盗難の被害に遭い、何年も行方不明になっているものが多数あるといいます。
罰当たりな話ですね。
こちらの『円空連合ホームページ(→link)』さんの「重要なお知らせ」というページに写真が載っているので、もし心当たりのある方は連絡してみてはいかがでしょうか。
さて、円空の作ったような「一刀彫」という種類の彫り細工は他にもあります。
ついでに有名どころを一部だけ紹介させていただきましょう。
一位(いちい)一刀彫
岐阜県飛騨地方の木工品で、主な生産地は高山市・飛騨市・下呂市です。
材料の「イチイ」という木の木目を活かすことからこの名がついたといわれています。
その昔、聖武天皇にこの木で作った笏(しゃく・公家が手に持っている巨大なアイスの棒みたいなやつ)を献上した際、質の高さを認められ、官位の「正一位」からこの木の名がついたのだとか。
イチイの木は内側の赤みがかった部分と、外側の白みがかった部分があり、用途によって使い分けるそうです。
一位一刀彫は色を塗らずに仕上げますが、空気に触れさせておくと、作ってから年数が経つごとに表面が飴色に変化していくのも楽しみの一つだとか。
19世紀の初め頃、松田亮長という職人がイチイの木で根付(江戸時代のキーホルダーのようなもの)を作り始めたことがはじまりとされています。
その後職人も増え、明治までの間に茶道具や置物なども作られるようになり、昭和五十年(1975年)に当時の通産省によって伝統的工芸品に指定されました。
平成十八年(2006年)には「飛騨一位一刀彫」の名で地域ブランド(地域団体商標)に指定されています。

高山市にある一位一刀彫の店/wikipediaより引用
最近では動物や花などをモチーフにしたかんざしを作る「一位一刀彫 かんざしプロジェクト」を立ち上げ、さらに身近な場にも使ってもらおうという試みがされているようです。
文房具など、もう少し日常の場で老若男女使えるものも作ったらいいんじゃないですかね。日用品こそ、ちょっとした細工や工夫がしてあると気分良く使えるものですし、女性の場合テンションが上がる人も多いでしょう。
多分かんざしプロジェクトを発足する際、文房具なども候補に上がったと思われますが、ぜひ再考をお願いしたいところです。日常で使えるものなら、買いやすくて応援もしやすいですしね。
笹野一刀彫
こちらは山形県米沢市の木彫工芸品です。
笹野観音堂(大同元年=806年開基)に伝わる火伏せのお守り・縁起物が発祥で、1000年以上の伝統を持つともいわれています。
さすがにその辺の信憑性は……ですが、上杉鷹山が農民に冬期の副業として奨励したことがきっかけで、江戸時代から盛んになったことは確かです。
コシアブラという木を「サルキリ」という刃物で削り、素朴に色付けをするという作風です。代表的な作品は「お鷹ポッポ」や「餅つきうさぎ」「恵比寿(大黒)」など、置物が多いようです。
米沢条の近くにある上杉伯爵邸にも立派な「お鷹ポッポ」が置かれています。
ワタクシ以前たまたま行ったことがありまして、写真が残っておりました。
これだけだと大きさがよくわかりませんが、床の間ごと撮るとこんな感じです。
鷹の部分だけでだいたい40~60cmはあったかと思います。立派なものです。
舶来品や最近のデザイナーのものも良いですが、やはり和室には日本の伝統工芸品が似合いますね。
和モダンな家や部屋を作る人も増えていますし、こうした工芸品を選ぶ人が増えたらいいなあと思います。
あわせて読みたい関連記事
-

東大寺金剛力士像を作成した運慶快慶~他にどんな作品が残っているのか
続きを見る
-

東大寺を再建したスーパー敏腕P重源!東大教授・本郷和人の歴史ニュース読み
続きを見る
-

空也上人像の口から出ている「六つの物体」の正体は呪物ではなく阿弥陀仏
続きを見る
-

11月22日は広隆寺で「聖徳太子御火焚祭」が開催|両者にどんな関係が?
続きを見る
-

明治政府の失策から日本文化を救ったフェノロサ~法隆寺夢殿 数百年の封印も解く
続きを見る
【参考】
国史大辞典
円空/Wikipedia
一位一刀彫/Wikipedia
笹野一刀彫/Wikipedia
荒子観音/Wikipedia
山城工芸(→link)
一位一刀彫かんざしプロジェクト(→link)









