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【西行法師】
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出家に際して4歳の娘を蹴り落とす、だと!?
生前の西行をもう少し見ておきましょう。
彼ははどんな人だったのか?
というと、意外にも人間くさい逸話がいろいろ残っています。
前述の通り西行の俗名は佐藤義清(のりきよ)といい、藤原の流れを汲む武家の出身でした。
しかも代々御所の警備を任されていた、いわば生まれつきエリートになることが約束されていたようなお家です。
なぜそんな人が仏の道を進んだのか?
ハッキリしたことはわかっていません。
しかし、出家の時には4歳の娘を蹴り落として出て行ったといいますから、よほどのことがあったのでしょう。でも、虐待ダメ絶対。
原因は諸説あり
「友人の死にショックを受けた」
「失恋した」
といったようなもので、妻子のいる身だったとすると、どちらもちょっと無理があるような……。
日本各地にある「西行戻しの○○」とは?
出家後は気の向くままの旅暮らし。
これと思った場所に腰を落ち着け、ときが来ると再び旅に出るという暮らしをしていたそうです。
日本各地に「西行戻しの○○」と名のつく所がありますが、どこも概ね
【地元の子供に言い負かされて引き下がった】
なんて情けない出来事があった場所だそうです。
まぁ、実際にそうだったとしても、わざとそうしたんでしょうね。あれだけ綺麗な歌を読める人にしてはあまりに意外というか。
要は、それだけ色々と達観していたのではないか、って勘繰りしてしまうんですが、あながち間違っていないような気もします。
西行の名が今に知られているのは、歌の美しさわかりやすさに加えて、こうした人間くさい話がいろいろ伝えられているからなのでしょう。
ただし、崇徳上皇が無念のうちに亡くなった後は慰霊に行ったり、弘法大師の足跡を辿ったり、僧侶らしいこともしています。
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ちなみに西行の命日が本当に旧暦2月15日だった場合、ちょっと興味深いことになります。
熊谷直実(平家の美男子殺して出家)や一遍上人の誕生日でもあるのです。
もちろん年は違いますし、ただの偶然といえばそれまでですが、なんやかんやで2月15日は仏教と縁のある日かもしれませんね(強引すぎる〆?)。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
西行/wikipedia