歴史上の有名な僧侶というと、一般的には質素倹約で生真面目な人を想像します。
もちろん中には「おいおいおい」とツッコミたくなるような方もいて。
例えば百人一首には恋の歌がたくさん納められており、その中に僧侶が詠んだものも含まれたりする。
実際に僧侶が恋愛をしていたわけではなく、歌だけのお話なのでそういうことも認められていました。
中には、結構生々しくエ□スを漂わせている歌もあったりして……。
お坊さんといえど人間ですから人情もありますし、恋心の予測くらいはついたんでしょう。
一方で、世の中には慈悲の真逆を行った名僧もいます。
2月15日に西行忌のある西行法師です。
釈迦入滅の日が2月15日で西行は16日だと!?
西行の生まれは1118年。
家系は、藤原北家でも武闘派である藤原秀郷(平将門の乱を鎮圧した人)の子孫にあたります。
出家前の俗名は藤原義清(佐藤義清・名は「のりきよ」と読む)でした。
彼自身、若い頃には検非違使や、鳥羽院で北面の武士をしていたこともあったのです。貴族ではなく武家と言えますね。
現代では僧侶や歌人として知られますよね。
そんな西行の中で最も著名な歌がコレ。
「願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」
釈迦入滅の日である2月15日に死ぬことを望み、そしてその通りになった。
ゆえに本日2月15日は『西行忌』というワケなんですが、実は微妙なズレがありまして。
西行が実際に亡くなったのは文治六年(1190年)2月16日なのです。
もっとも釈迦入滅の日も15日だか16日だかよくわからず、曖昧なところがあります。
もしかしたらこんな微調整をしなくても、両者の命日が合致していた可能性もありましょう。
ここは、西行の意を汲んだ人々が
「この日にお弔いをしてあげよう」
と決めた深イイ日といった方が良さそうです。
吉野山のヤマザクラ
あらためて歌を見ますと……。
「願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」
この場合の「花」てゃ「桜」のことです。
旧暦の2月ですので、新暦に置き換えるとほぼ3月半ばになり、ちょうど桜の咲く頃合だったというわけですね。
現代では「桜」というとソメイヨシノですが、これは江戸時代に出てきたものです。
西行が指したのは、おそらくヤマザクラでしょう。
こちらは古くから奈良の吉野山に植えられていましたので、都出身の西行は間違いなく知っていたでしょうから。
現に、東北の平泉を訪れた時に束稲山の桜をみて、こんな歌を残しています。
「聞きもせず たわしね山の 桜ばな 吉野の外に かかるべしとは」(山家集)
【意訳】吉野の桜のほかにこんなにすごい桜あるなんて、聞いてないよ!
訳がダチョウ倶楽部状態ですが、まぁ、吉野の桜に対する驚きがわかりやすく迫ってきますよね。
出家に際して4歳の娘を蹴り落とす、だと!?
生前の西行をもう少し見ておきましょう。
彼ははどんな人だったのか?
というと、意外にも人間くさい逸話がいろいろ残っています。
前述の通り西行の俗名は佐藤義清(のりきよ)といい、藤原の流れを汲む武家の出身でした。
しかも代々御所の警備を任されていた、いわば生まれつきエリートになることが約束されていたようなお家です。
なぜそんな人が仏の道を進んだのか?
ハッキリしたことはわかっていません。
しかし、出家の時には4歳の娘を蹴り落として出て行ったといいますから、よほどのことがあったのでしょう。
でも、虐待ダメ絶対。
原因は諸説あります
「友人の死にショックを受けた」
「失恋した」
といったようなもので、妻子のいる身だったとすると、どちらもちょっと無理があるような……。
日本各地にある「西行戻しの○○」とは?
出家後は気の向くままの旅暮らし。
これと思った場所に腰を落ち着け、ときが来ると再び旅に出るという暮らしをしていたそうです。
日本各地に「西行戻しの○○」と名のつく所がありますが、どこも概ね
【地元の子供に言い負かされて引き下がった】
なんて情けない出来事があった場所だそうです。
まぁ、実際にそうだったとしてもわざとなんでしょうね。
あれだけ綺麗な歌を読める人にしてはあまりに意外というか。
要は、それだけ色々と達観していたのではないか、って勘繰りしてしまうんですが、あながち間違っていないような気もします。
西行の名が今に知られているのは、歌の美しさわかりやすさに加えて、こうした人間くさい話がいろいろ伝えられているからなのでしょう。
ただし、崇徳上皇が無念のうちに亡くなった後は慰霊に行ったり、弘法大師の足跡を辿ったり、僧侶らしいこともしています。
ちなみに西行の命日が本当に旧暦2月15日だった場合、ちょっと興味深いことになります。
熊谷直実(平家の美男子殺して出家)や一遍上人(お坊さん)の誕生日でもあるのです。
もちろん年は違いますし、ただの偶然といえばそれまでですが、なんやかんやで2月15日は仏教と縁のある日かもしれませんね(強引すぎる〆?)。
長月 七紀・記