勘合貿易(日明貿易)

足利義満と日明貿易船旗/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

勘合貿易(日明貿易)は利益20倍で爆儲け!日本刀を輸出して生糸や銅銭をゲット

まずは参考書っぽい質問をさせていただきますね。

Q. 室町幕府の三代将軍・足利義満が行った重要な功績を三つあげなさい

すぐにパッと思いつきました?

いささか曖昧な設問かもしれませんが、答えは

・南北朝統一

・金閣寺(鹿苑寺金閣)の建立

勘合貿易(日明貿易)の開始

あたりが正解となるでしょう。

南北朝統一(南北朝時代)については以下の記事がございますので、

南北朝時代
南北朝時代の始まりは鎌倉時代の両統迭立から~では終わりは?

続きを見る

今回は【勘合貿易】を見て参りたいと思います。

足利義満がかなりこだわって始めた「明」との交易。

応永8年(1401年)5月13日に僧侶や博多商人を派遣したことがキッカケで始まり、これが意外に面白いのです。

世界図屏風/国立国会図書館蔵

 


倭寇が跳梁跋扈して勘合が登場

勘合貿易は、一言で申し上げるとこうです。

室町時代に行われていた日明間の貿易」

しかし、時が経つに従って、いくつかの問題が出てきました。

【倭寇】と呼ばれる海賊が、荷物と乗組員の命をぶんどるだけにとどまらず、詐欺まで働くようになっていたのです。

これではいくら輸出入を頑張っても商売になりません。

海賊は現代のあっちこっちでも起きている問題であり、そのために軍が出動したりしていますね。それだけ稼ぎやすい悪さなのでしょう。

そこで当時、こんな解決方法が考え出されました。

お互いに「正規の取引相手だ」ということを証明するため「勘合」という一種の割札を作ったのです。

 


どんな取引形態だった?

取引の中身としては、以下のような三つの形態を内包していました。

◆進貢貿易

勘合貿易は建前上、「室町幕府が明王朝に朝貢する」という形になっていました。

「朝貢」とは、中国に対して他の国が貢ぎ物をする代わりに、王様として認めてもらい、傘下に入ることによって互いにメリットを得る、というものです。

中国には伝統的に「ウチの国が世界で一番豊かでエラくてスゴイ国なんだぞ!」という「中華思想」があり、外交というよりは朝貢で他国とのお付き合いをしていました。

つまり、日本から明への輸出は「明に献上する品物」、明から日本への輸入品は「明国皇帝が日本に下賜する品物」ということになっていたわけです。

ついでにいうと、明に限らず中国の歴代王朝は力と富を誇示するため、朝貢を受けた物品以上の量・価値を持つ物を輸出していました。

こんな調子で近現代までやってこれたのですから、大陸の豊かさがうかがえますよね。

「平地がたくさんあって気候も比較的温暖なところが多く、大河や海で大量輸送もしやすい」という、中国の地形的優位性も非常によく見てとれます。

品目はざっと以下のとおりです。

【室町幕府→明政府】
・太刀(日本刀)
・槍
・硫黄
・瑪瑙(めのう)
・金屏風
・扇など
※主に武器や工芸品、鉱石です

【明政府→室町幕府】
・白金
・絹織物
・銅銭など

◆公貿易

字面から誤解しやすいのですが、公的機関が行う貿易ではなく、”公”に認められた商人が行う貿易、と考えるとわかりやすくなります。

もっと簡単にいえば、遣明船の経営者や、同乗することを認可された商人たちによる取引でした。

日本からは染料に使われる蘇芳(すおう)の木や、銅・硫黄・刀剣類が輸出され、その代金として明から銅銭と絹・布が支払われたといいます。


◆私貿易

上記二つに当てはまらない、寧波(ニンポー)や北京などで行われた貿易です。

遣明船に乗っていった日本の商人が、これらの都市や沿道で生糸や絹織物をはじめ、糸・布・薬種・砂糖・工芸品・調度品を購入し、日本へ持ち帰りました。

私貿易を行う商人は、遣明船の使用料として、輸入品金額の1割を幕府に収めるという決まりがありました。

結構な金額ですが、それ以上に儲かったので、支払いを渋る商人はいなかったようです。

 


元値の4~20倍は儲かった

こんな感じで、建前や字面は固いものの、結構自由にあっちこっちで取引。

利益率の細かい数字は不明ですが、明で絹糸を買って日本で売ると、20倍もの値段がつくこともあったといいます。

ヒャー! 濡れ手に粟ですね~。

まぁ、危険性があるからの価格なんでしょうけど。

むろん物品によって倍率は変わり、だいたい元の値段の4~20倍は儲かったとか。

実際には経費が引かれますので、もっと少なくなりますが……それでもかなりの利益になります。

義満が何十年もかけて折衝を重ねるほど、貿易に執着するわけですね。

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もともと義満は博多商人から

「明と商売するとボロ儲けできますよ^^」(意訳)

と聞いて貿易をしようと考えたそうですから。

それでも、形式上・かつ幕府だけとはいえ、朝廷の中には「明の傘下になる」という点に難色を示す人も少なくありませんでした。

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