2004年大河ドラマ『義経』では小池栄子さんが演じ、2022年『鎌倉殿の13人』では秋元才加さんが演じて大いに話題となった――。
巴御前とは一体どんな女性なのか?
劇中では、なぜ一本眉だったのか?
和田義盛の側室になったのは史実なのか?
伝説の女武者とも言える彼女に対し、世間の注目度は一気に高まりました。
本稿では、ドラマと比較しながら、巴御前の事績を追ってみましょう。
なお、史実での巴御前は生没年不詳ですが、軍記物『源平盛衰記』で終焉の地とされる南砺市福光では、10月22日と伝わる巴御前の命日に合わせ、巴塚公園で【巴忌】が開催されています。
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一家ぐるみで義仲を支えた巴御前
木曽義仲と言えば巴御前――そんな風に知名度が突出している彼女は、もともと一家総出で義仲を支えていました。
ラインナップは以下の通りです。
義仲の隣にいる女性といえば、巴御前が定番です。
しかし、彼女には妹がいて、姉妹そろって義仲の「妾」とされます。
義仲の息子・木曽義高を産んだとされる妹は、武芸に秀でていたとは伝わらず、ほとんど目立っていません。
兄である今井兼平も巴御前と共に義仲と行動していました。
このように彼女ら一族は、いわば義仲グループと言える状態ですが、巴御前の武勇が女性で突出していたため、後世において知名度と人気が突出しているんですね。
首をねじ切り 永遠の別れ
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、第1回放送から早くも巴御前が登場していました。
しかし、古い物語ですと、彼女が登場するのは義仲の討死直前。
散り散りとなった木曽勢の中にいた美しい女性武者として登場します(『平家物語』では、山吹という女性武者も共に登場)。
その足跡を追ってみましょう。
寿永3年(1184年)、鎌倉から源範頼と源義経が率いる軍勢が京都へ迫りました。
この源氏軍の襲撃を受け、壊滅的な打撃を受けた義仲たち。
味方は僅か五騎のみという状態です。
・木曽義仲
・今井兼平
・巴御前
・手塚光盛
・手塚別当
追い込まれた義仲軍は、残った手塚の二人も討たれ、付き従うものは、兼平と巴御前の兄妹だけになります。
「最期まで女連れであったと言われたくない」
義仲に、そう説き伏せられた巴御前は最後の奉公を決心。
敵将・恩田八郎の首をねじ切ると、そのまま落ち延びてゆきます。
こうした断片的な姿から、巴御前の人物像が肉付けされていきました。
最期まで付き従ったからには、きっと寵愛を受けていたのだろう。武芸に長けているからこそ、愛されていたのだろう……そんな風に話が盛られてゆきます。
しかし巴のその後は不明です。
それも無理ないことで、あくまで義仲を彩る脇役なのですから、ハッキリしていません。
没年や墓にしても、真偽の程は不明です。
ただし、軍記物の『源平盛衰記』では、巴御前の話がかなり肉づけされています。それは次のように……。
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