巴御前

多くの絵師に描かれるなど、歴史的に人気だった女戦士・巴御前/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

史実の巴御前は義仲の死後 義盛の妻になった?鎌倉殿の13人秋元才加

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和田義盛の妻になった?

吾妻鏡』では、そもそも木曽義仲関連の記述が少なく、巴御前については何も書かれていません。

にもかかわらず『源平盛衰記』では巴御前が大奮戦。

坂東武者と戦い、【倶利伽羅峠の戦い】や【横田河原の戦い】でも活躍します。

さらに【宇治川の戦い】では畠山重忠と戦っていることになっている。

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しかも、です。

鎌倉では、その武勇を見込んだ和田義盛が妻に望み、二人の間に生まれたのが朝比奈義秀とされますが、生年からしてこれは明らかに創作。

だからといって何もかも史実に縛れないのがフィクションの特長であり、『鎌倉殿の13人』で和田義盛の妻として登場しても問題はありません。

実際、お似合いの二人になっていますよね。

 

“都合のよい”戦うヒロインでもあった

では、これまでの巴御前はどう描かれてきたか?

実は、彼女の描き方、人物像には、面白い現象が見られます。

それは「時代の価値観を反映している」という点です。

政治的に活躍を果たしながら過小評価され、悪女と貶められてきた北条政子阿波局、さらには牧の方丹後局

悲恋に殉じたという幻想が反映され、入水伝説がまことしやかに語られてきた八重。

こうした女性たちと異なり、巴御前というヒロイン像は静御前と並んで受け入れられてきました。

それはなぜか?

言い方は悪いかもしれませんが「都合がよい」のです。

美貌と伝わる点だけではありません。

貞女は二夫に見(まみ)えず――。

平安末期にはまだまだ薄かったそんな規範が、後世、定着してゆく中で、彼女のように再婚しなかった女性は都合がよかった。

巴御前の場合、和田義盛の妻となったという記述は確かにありますが、創作の可能性があることから「誇張」として処理できます。

要は、忠誠心と戦闘力を兼ね備えていた。

一方、北条政子たちのように政治力や知謀がある女性は「けしからん存在だ」としてマイナス評価されてしまう。

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もう一つの好例が【板額御前】でしょう。

板額御前もまた武勇を誇り、父や兄よりも「強い」とされる女武者でした。

本サイトでは以下の記事で紹介されていますが、一般的にはほとんど無名の存在ではないでしょうか?

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男顔負けの武勇を誇るならば後世で話題になってもいいのに、ほとんど目立たないのは、彼女が再婚しており、さらには、時代が降るにつれ「醜女」であるとのイメージが定着したからと考えられます。

それに対し巴御前はヒロインとしての好条件が重なっていた。

『鎌倉殿の13人』では、そんな彼女に対し、新たなアプローチに挑戦する演出が見られました。

眉毛です。

秋元才加さん演じるこの巴は、見事なまでに眉毛が繋がっていた。

ドラマをご覧になられたとき『美しいけど、何も眉をつなげなくても……』と戸惑いませんでしたか?

当時の女性は眉毛を剃り落としています。

その反対に『堤中納言物語』「虫めづる姫君」のヒロインは眉毛をそのままにしており、「まるで毛虫のようだ」と嘲笑われているほどです。

もちろん大河ドラマで、ヒロイン女優の眉を落とすわけにはいきません。

それでも彼女の個性を引き出すため、ああもワイルドな特徴をつけたのではないでしょうか?

ただでさえ生気溢れる女性キャラが多い劇中で、巴御前の底力をひしひしと感じさせる。

あの繋がり眉毛には、そんなパワーがありました。

 

世界で注目を浴びる新たなる女戦士

今、世界の歴史で注目を浴びている存在がいます。

女性戦士や女性狩人です。

古代中国では、伝説的な女性将軍・婦好(ふこう)の実在が証明されました。

バイキングでは、女性頭領の墓が発掘されています。

ペルーでは古代の女性狩人の墓も発見。

さらには【トラファルガーの海戦】に参加していた女性の再発見など……なぜこうした発見が最近になって相次いでいるのか?

考古学や歴史学の発展と同時に「偏見が矯正された証」とも言えます。

歴史学の研究者が男性ですと、何か発見があったときに、どうしてもバイアスが働いてしまいがち。

「この墓は、被葬者が優れた指揮官であったことを示している。きっと優秀な男性だったのだろう」

一度そう思い込んでしまうと、実は女性では?という跡が見られても、なかなか修正できません。

そこには、戦場における名誉が男性のものであり、女性を排除したいという心理がある。

例えば『青天を衝け』の主人公である渋沢栄一は、男女の別を考えるときに

「女性は戦場に立つことができないから、男性に劣ることは仕方ない」

と述べています。

渋沢の発言からは、幕末明治期にける女性への視点がわかります。

幕末には、会津戦争の山本八重をはじめ、戦いに参加した女性も大勢いましたが、彼女らにスポットが当てられることはなかった。

そうした同年代の女性より、文学的なヒロインでもある巴御前がクローズアップされるほうが都合がよかったのでしょう。

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しかし、それはもう過去のこと。

歴史の陰に追いやられていた女戦士や女狩人たちが墓や偏見の中から蘇る――それが現代です。

アニメ・映画『ムーラン』もあってか、中国の女戦士である「巾摑英雄」は世界的にも有名になりました。

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実は、他ならぬ巴御前も海外から注目を浴びています。

アメリカ人作家であるジェシカ・アマンダ・サーモンソン氏が、ファンタジー小説の三部作を執筆するほどで、熱い目線を注がれているジャパニーズ女戦士の代表的存在なのです。

そんな彼女が大河ドラマで活躍!

巴御前に対する期待の目線は、世界からも注がれていて、日本にとっては絶好のアピール機会となったでしょう。

和田義盛が散った後、

「我こそは忠臣和田義盛の妻、巴なるぞ!」

という言葉を放ち、颯爽と消えていったあの後ろ姿。

何もかもが美しい人でした。

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※『源平盛衰記』で終焉の地とされる南砺市福光では、10月22日と伝わる巴御前の命日に合わせ、巴塚公園で【巴忌】が開催されています

木曽義仲と共に平家と戦った巴御前をしのぶ巴忌が十七日、終焉(しゅうえん)の地・南砺市福光の巴塚公園であった。

巴御前の命日は十月二十二日。公園内に巴御前の歌碑がある。

主催する地域おこし団体「福光ネイティブ・トラスト」の得能康生代表がホラガイを吹いた後、法要が営まれ、巴御前史学会の織田明男会長が巴御前の歌を披露した。

◆北陸中日新聞WEB(→link

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
福田豊彦/関幸彦『源平合戦事典』(→amazon

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