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【源範頼】
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範頼「ねえさん、俺がいるから大丈夫だよ」
決定的となったのは、頼朝が鎌倉を離れたときのことです。
【曽我兄弟の仇討ち】という事件に絡み、「頼朝が暗殺された」という一報が鎌倉に届きました。
後に誤報だと判明しますが、このときは尼将軍と呼ばれるほどの北条政子も大慌て。
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心配で気が気でない政子に、鎌倉の留守役だった源範頼は励まそうと声をかけます。
「鎌倉には私がいますから、源氏は大丈夫です」
兄嫁を気遣ったこの言葉が、範頼の運命を変えてしまいます。
範頼としては、「兄上がそんな簡単に死ぬわけもないし、私が鎌倉をがっちり守りますから大丈夫です!」と言いたかったのかもしれません。
しかし政子の受け取り方は違いました。
『コイツ、頼朝様が死んだから自分が将軍になれると思ってるんじゃないの?』と……。
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しかし頼朝は激怒
無事に帰還した頼朝は、政子から事の次第を聞きます。
当然、頼朝は激怒。
「アイツ、大人しいと思ってたら腹に一物持ってやがったのか!」
そうブチ切れて、8月17日、源範頼を伊豆へ流刑とする処分を下します。
「流刑」とは名ばかりで、それは途中か流刑先で処刑されるというセット付きでした。
公式の歴史書『吾妻鏡』に載っている情報はここまでです。
しかし、こんな逸話もあります。
範頼は伊豆の修善寺に幽閉されました。
そこで「神仏に誓って兄上に逆らおうなんて思っていません、お許しください」と起請文を出しますが、頼朝は許しません。
その後、幽閉先を頼朝の刺客に囲まれ、覚悟を決めた範頼は自害して果てます。しかも自ら火を放って。
意図したものかどうかはわかりませんが、弟・義経とほぼ同じ死に方でした。
蒼き狼になった義経、埼玉の桜となった範頼
彼の死に関しては、正式な記録が残っておらず、生存説すらあります。
義経は大陸に渡ってチンギス=ハンになったんだよ!
なんて壮大ですが、源範頼は地味なキャラクターゆえか、かなり穏やかな設定です。
「武蔵国足立郡石戸宿(現在の埼玉県北本市石戸宿)に逃げてきたよ!」
なんだか郊外へお引越し……ぐらいの感覚ですよね。
あるいは日本五大桜のひとつ・石戸蒲ザクラは範頼が植えた、武蔵ではなく越前(福井県)へ落ち延びたなど、他にも説があったりします。
冷静な政治家・頼朝。
忠実な腹心・範頼。
庶民のヒーロー・義経。
みなさんは3兄弟の誰に魅力を感じますか?
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
慈円/大隅和雄『愚管抄 全現代語訳 (講談社学術文庫)』(→amazon)
ぶらり金沢散歩道