20年に一度、式年遷宮が行われる伊勢神宮(三重県伊勢市)。
天照大神(アマテラス)とはどんな神様で、なぜ伊勢神宮に祀られているのか?
そんな基本の「基」について、歴史作家の恵美嘉樹さんが御著書の一部に加筆して、寄稿してくれました。
黄泉の国で死のけがれを浴びたイザナギが川でみそぎをすると、海の神ワタツミなどたくさんの神が生まれました。
最後に顔を洗ったときに、左目から太陽の神アマテラス、右目からは月の神ツクヨミ、そして鼻からはスサノオの三姉弟が誕生しました。
イザナギは命じます。
アマテラスは神たちの世界「高天の原(たかまのはら)」。
ツクヨミは夜の世界。
スサノオは海。
それぞれ支配するようにと。
女王「卑弥呼」の名は「日御子」が正しい!?
アマテラスは天皇家の祖先神です。
支配者がすべての命の源である太陽を祖先神として「占有」するのは、なにも日本に限ったことではありません。
世界中で古代国家の支配層が太陽神を独占しています。
古代の天皇は対外的にみずからを「太陽の子」と称し、次期天皇候補の皇太子を「日継ぎの皇子(みこ)」と呼んでいました。
太陽神アマテラスの子孫であることを内外にアピールしてきたわけです。
男性の名前によく付けられる「~彦」の元来の意味は、この「日の子」であって、本来は男女による使い分けはありません。
中国の歴史書『魏志倭人伝』に出てくる、3世紀、倭(日本)の女王・卑弥呼は、中国人が聞いた日本語「ひみこ」に当て字をしたもので、使節がいった本当の意味は「日御子(ひみこ)」であったことはまず間違いないでしょう。
時代が下って飛鳥時代の600年。
遣隋使が日本の天皇について中国の皇帝に説明したときに、「名前はアマタリシヒコ」と紹介しています。
しかし、このときの天皇は女帝の推古天皇でした。
「ヒコ」というのは男性の名前だからおかしいと、様々な説が生まれました。
「本当は聖徳太子が天皇だったのだ」
「女帝だとバカにされるから男のふりをした」
しかし、遣隋使が言いたかったのは「~彦」という個人名ではなく「日子」という称号だったのです。
駄々をこねるスサノオ 厳父イザナギを怒らせて追放
さて、太陽のアマテラスと月のツクヨミの姉弟は、「天を照らす」と「月を読む」という名前からも属性がはっきりしており、適材適所の配置と言えるでしょう。
一方、「強い男」という意味ではあるが、神としての「属性」がはっきりしないスサノオは海の神になることがイヤだったようです。
「お母さんのいる根の堅洲(かたす)国へ行きたい」と駄々をこねて厳父イザナギを怒らせ、ついには追放されてしまうのです。
不思議なのはスサノオがすでに死んでいる母(イザナミ)のいる場所を黄泉の国と認識していないことです。
『古事記』研究者の神野志隆光・明治大教授は、根の国は地下ではないとの説を展開しています。
入り口が黄泉の国と同じだったため、どちらも同じ地下世界と考えられていますが、後にスサノオが住み着いた根の国の描写を見ると確かに地下世界とは考えにくいところが多いのです。
黄泉、根の堅洲は、神話世界を構成する四つの異界のうちの2界です。
日本神話では、天上、地上以外に、黄泉、根の堅洲、常世、綿津見(ワタツミ)の四つの世界が存在していました。
おおざっぱに言って、死の世界が黄泉と常世、生きて戻ることが可能なのが根の堅洲とワタツミです。
スサノオは、なぜ母の居場所を間違えてしまったのでしょうか。
そもそも3姉弟は父のみそぎの過程で生まれているので、産んだ母は存在しません。
それでも、アマテラスが自分の母はイザナミと明言していることから、父は「お前たちの母は今は亡きイザナミだ」とは教えていたようです。
しかし、黄泉の国で起きたイザナギの裏切りとイザナミとのえげつない言葉の応酬を子供達に伝えることはなかったのか、幼いスサノオは不確かな情報で母を訪ねる決心をしたのでしょう。
現代の我々にも理解できる母を慕う子供心は、手に負えない荒ぶるスサノオだけに、この後に大変な惨事を引き起こすことになるのです。
世界を滅ぼす姉弟けんか
亡き妻のことをあまり触れられたくなかったイザナギは「母はどこにいる。そこへ行きたい」と言い続けるスサノオを追放してしまいました。
そうして、傷心のスサノオは、アマテラスが支配する高天の原に「姉さんに別れのあいさつをする」とやってきます。
ところがスサノオは大地や海原を嵐にするほどの荒々しさだった。
アマテラスは「高天の原を奪いにきたに違いない」と警戒し、腰には太刀を、手には弓で武装して弟を待ち受けました。
『日本書紀』は異説の一つとして、スサノオを朝鮮半島から渡来した神と解釈できる逸話も載せています。
アマテラスが警戒した理由には、この弟に自分やツクヨミとは違う外来の属性を感じ取ったこともあったのでしょう。
スサノオは悪意がないことを証明するために、神意を問う占い(うけい)を交わすことを持ちかけます。
うけいの内容は、それぞれが男の神と女の神を産みわけること。
ところが、ややこしいことに、男と女のどちらを産めば勝ちなのかというルールを事前に決めなかったのです。
さらに複雑なことには、アマテラスはスサノオの剣を、スサノオはアマテラスの玉(宝石)を交換して、それをかみ砕いて神を産むことになりました。
結果、アマテラスの珠をかみ砕いたスサノオの口からは、のちに天皇家の先祖となるオシホミミをはじめとする五柱の男神が飛び出してきました。
一方、アマテラスが吹き出した剣のかけらから誕生したのは、宗像大社(福岡県)や厳島神社(広島県)にまつられるタギリヒメ、イチキシマヒメ、タギツヒメの宗像三女神でした。
占いのルールが非常に複雑で、論理的に勝敗を説明できないのですが、スサノオが一方的に勝利を宣言しました。
こうして「悪意はない」ことを証明したスサノオは、今度は調子に乗り出します。
姉の神殿に糞をまいたり、姉に仕える機織り女を死なせたり、大暴れしだしたのです。
この行状にショックを受けたアマテラスは「天の岩屋」の戸を開けると、奥に引きこもってしまいました。
こうして姉弟げんかによって、太陽神は隠れ、天も地上も闇に覆われてしまいました。
疑心暗鬼から始まった姉弟のけんかは、世界を滅ぼしかねない大事件へと発展していくのです。
天の岩屋戸事件は皆既日食か
太陽が隠れる天文現象といえば、2009年、2012年に日本上空で観測された皆既日食(12年は金環日食)があります。
古天文学を創設した斉藤国治氏による研究では、卑弥呼(?~248年頃)の死の前後、247年と248年に2年連続で皆既日食が起きたことが明らかにされています。
卑弥呼の死と日食が相まって、太陽神アマテラスの天の岩屋戸への引きこもりの話が作られたという魅力的な説です。
しかも、247年に九州で観測された皆既日食は、なんと日没の太陽がだんだんと日食となり、そのまま水平線に消えていくという奇跡に奇跡を重ねたドラマチックな天体現象であったことが、コンピューターのシミュレーションで判明しているのです。
古代史については、歴史の原因をすべて後付けで理由をつけて解釈してしまう研究者(これは「神の視点」といい、本来はタブー)も多い。
しかし実際には予想不可能、論理的に説明できない突発的な事件が歴史を動かすということは、世界中のどこでも、往々にしてあります。
この「ありえない」皆既日食が弥生時代の幕を下ろし、ヤマト建国へと結びついた原動力となった可能性は十分にあります。
もっとも、晴れていないと皆既日食は見られません。
いくらコンピューターが天体の軌道を完全に計算できても、1800年前の九州が晴れていたかを知る術はありません。
アマテラスの天の岩屋戸。
皆既日食。
卑弥呼の死。
それらが「三位一体」であったと、私、恵美嘉樹も信じたいロマンを持っていますが、証明はできないことは頭に入れておかないといけません。
なにしろ計算上は、飛鳥時代の6世紀までの600年間に日本での皆既日食は25回を数えるというのです。卑弥呼時代以外にも、たくさんのドラマが生まれたはず。
アマテラスはなぜ伊勢にいるのか
アマテラスをまつる神社は、もちろん伊勢神宮(三重県)です。
神宮は、内宮と外宮の2つからなっており、内宮にアマテラスが、外宮にはトヨウケ(豊受大御神)が鎮座しています。
なぜ天皇の祖先神がまつられているのが、ヤマトの都がおかれた大和(奈良盆地)の神社でないのか。
大きな謎です。
実は当初、アマテラスは大和にいたのです。
歴史上、実在した最初の天皇とされる崇神天皇(3~4世紀頃)の時代までは、天皇の寝室にアマテラスがおそらく鏡としてまつられていました。
アマテラスだけでなく大和大国魂という地元の神様も一緒にまつられていました。
ところがあるとき疫病が大流行。
原因を調べると、アマテラスと大和大国魂が「お互い一緒にいるのが不快だから」という神託がくだります。
そのため、皇女トヨスキイリ姫がアマテラスの鏡を抱いて都を離れ、ふさわしい居場所を探す放浪の旅に発ちました。
そうして長い旅の末に落ち着いたのが伊勢でした。
【一口メモ】
伊勢神宮は太陽の昇る東を向いている。
マイナーではあるが、邪馬台国に対抗したクナ国が尾張(愛知県)という説がある。もしそうであれば、伊勢神宮はもともと、ヤマトの東の国境を守る神だったことになる。
本稿は、拙著『日本の神様と神社』のアマテラスの項目に加筆したものです
恵美嘉樹・記
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