西行法師/wikipediaより引用

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出家の理由はイマイチわからんけど……西行法師と共に偲ぶ月の歌

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西行法師はなぜ出家したのか?

保延六年(1140年)10月15日は、佐藤義清が西行(西行法師)として出家した日です。

西行といえば、
「娘が泣いて服の裾にすがりつくのを蹴り落として出て行った」
というエピソードで有名ですね。

決意がそれほど固いものだったという意味で長いこと語り継がれていますが、「仏を志す身で、かよわい者を足蹴にしていいのか」とかツッコミを入れた人はいなかったんでしょうか。

ついでにいうと、西行にはこのお嬢さん以外に息子がいたという説もあります。
真偽の程は定かではありませんが、その人も出家しているので、西行の直系の子孫はおそらくいないのでしょう。

娘を蹴り落とすほどなら、よほどの事情があって出家したものと思いますよね?
ところがどっこい、西行が出家した直接の理由はサッパリわかっていません。

「親しい友人が亡くなったから」「失恋したから」という説が定番なれど、それで夫や父を失うも同然の状況になった西行の妻と娘が可哀相過ぎませんかね……?

まぁ、一夫多妻制の時代のことなので現在とは感覚が違うのですけれども。
ここはひとつ、西行の歌から考えを探ってみたいと思います。

 

だって涙が出ちゃう 月が出るからなんだもん

「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」

この歌は百人一首にも入っております。

西行の歌で一番有名なのは
「願わくば 花のもとにて 春死なん その如月の 望月の頃」
ですが、あえてこちらの歌を選んだあたりに、選者である藤原定家の意図が窺えるような。

訳しますと
「月が嘆けと言っているわけでもないのに、涙が流れてくるのを月のせいにでもしたくなる」
という、いささかわかりにくい心境ですが、もしかすると出家する直前にもこんな感じだったのかもしれませんね。

「何となくもの悲しくなったから出家するわ! 娘どけ!!」(超訳)とかだったら、それこそ娘は化けて出てもいい。

和歌山県紀の川市にある西行法師像/photo by Azzurri04 wikipediaより引用

私見を述べさせていただきますと、西行は、言葉で真意を説明するのが苦手だったのかもしれません。

優れた歌人ではありましたが、衆生のために仏法を説くでもなく、むしろあっちこっちで「子供に言いくるめられて引き返した」なんて逸話がある人です。

そう考えると、他の時代や国の芸術家たちと似ているような気もしてきます。
崇徳天皇の慰霊をしたり、空海の足跡を追ったりと僧侶らしいこともしているのですけども。

 

月の名歌を挙げてみませう、秋ですし

これだけだと後味が悪いので、ついでに月に関する名歌+αを挙げてみましょうか。

訳は私が考えたものですので、鵜呑みにしないでくださいね。

「月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど」大江千里おおえのちさと

【訳】秋の月を見ると、何となく物悲しい気分になってくる。私一人に秋が来たわけではないのだけれど。

これも百人一首に採られている歌です。
大江氏というのは学者や文人の多かった血筋なのですが、鎌倉時代あたりから武家となる血筋も現れ始めました。

文系の有名どころだと、藤原彰子に仕えた和泉式部や赤染衛門がいます。
武家では源頼朝に仕えた大江広元、そしてその子孫にあたる毛利元就が有名ですね。

大江氏全体の血筋は奈良時代までさかのぼれるといわれていますので、日本の中でもかなり歴史の長い一族です。
時代を大きく動かすタイプというよりは、それぞれの時代でキラリと輝くような人が多い気がしますね。

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」阿倍仲麻呂

以前の記事でも

遣唐使の阿倍仲麻呂が天才だったなんて! あの李白ともお友達だったなんて!

世 ...

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ご紹介したもので、私が個人的に好きなのでもう一度載せてみました。

古語をほとんど知らなくてもわかるような平易さと、「振り返る」という人物の動き、望郷の念、そして月の美しさがマッチした、まさに名歌ですよね。
「文字で描く絵」とでもいえましょうか。

完全に余談ですけれども、先日トーハク(東京国立博物館)のとある部屋に展示されていた和歌集でこの歌のページと思しき部分が開いていて、一人でテンション上げてました。そういう偶然って「キター!!」って気分になりません?
ならない? ……そっか(´・ω・`)

「心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 半の月かな」 三条院

【訳】長生きしたいとは思わないが、もしそうなったとしたら、今宵の月はどんなに懐かしく感じることだろう。

この歌だけだとちょっと状況がわかりにくいですが、三条院(上皇)の境遇を併せるとわかりやすくなるかと思います。

三条天皇は、藤原道長の全盛期に皇位についていた方で、道長の血を引いていませんでした。
そのため常日頃からイヤミを言われまくって譲位しています。その頃には目を患っており、少しずつ見えなくなってしまっていました。

そんな時期に、まだぼんやり見える月を眺めて詠んだ歌だといわれています。泣ける(´;ω;`)

「月夜には それとも見えず 梅の花 香をたづねてぞ 知るべかりける」 凡河内躬恒おおしこうちのみつね

【訳】月の明るい夜は、梅の花も光に紛れてわからなくなってしまう。香りを頼りに探してみるとしようか。

ちょっとキザったらしいですかね。まぁ洒落がきいているといえなくもない。

ちなみにこの人、「心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花」という歌も詠んでいます。
意味としては、上の歌の梅と白菊が入れ替わっただけのような感じです。
乱暴すぎますけれど、ホントにそうだから仕方ない。

もしかして、躬恒も目が悪かったんでしょうか。
眼病なのかただの近眼なのかはわかりませんが、それならありえそうな気がします。
他にもとんちのきいている逸話が多い人なので、ご興味のある向きはぜひググる先生へお尋ねください。

キリがないので、今回はこの辺で。

スーパームーンや中秋の名月は過ぎてしまいましたが、たまには月を眺めて静かに過ごすのも良さそうですね。
空を見上げるとストレス解消になるともいいますし、PCやスマホで疲れた目を休められる……かも?

長月 七紀・記

【参考】
西行/wikipedia
ちょっと差がつく百人一首講座

 



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