トンボの歴史

飛鳥・奈良・平安

スズメバチも喰らう秋津虫~トンボが日本人にとって特別な理由とは

虫、好きですか?

現代人の生活からその姿が消えて久しいですが、かつて日本は「虫の国」と言っても過言でないほどの昆虫王国でした。

春は蝶、夏は蝉、秋はトンボ、夜は蛍やコオロギ……。

四季の移り変わりと共に姿を見せる虫や音色は、新しい季節の到来を知らせる友であり、大きな楽しみの一つでもありました。

そんな訳で今回は、歴史上の虫にまつわるエピソードをご紹介……と思ったのですが、一口に虫と言ってもその情報量たるや膨大なもので、とても一記事にまとめられるものではありません。

なんせ現代では、昆虫と節足動物を指して使われる事がほとんどの「虫」となります。

この文字の本来の意味は現代で言うところの「蛇」、「蟲」に至っては一文字でこの世に生息する生物全てを指す時代もあったのです。

例えば「羽蟲」は鳥のこと。

「毛蟲」は獣で「鱗蟲」は魚や爬虫類となります。

そう言えば、現代でも蛇を「長虫」と言ったりしますよね。

では「裸蟲」はどんな生き物でしょう?

答えは「人間」。

裸の蟲=人間、なるほど。

現代人が自らを指して万物の霊長などと呼んでいる事が恥ずかしくなる程のさっぱりした命名法です。

そんな訳で「虫」全てを対象とした記事はとても書けそうにないので、今回は昆虫王国日本の代表的な

「秋津虫」

をご紹介したいと思います。

 


秋の空を飛ぶアキツシマ

ん?

秋津虫って何?

アレですよ、アレ、トンボです。

古くは奈良時代、もしかしたらもっと前から、トンボは「秋津」「あきつ」「あきづ」と呼ばれ、秋の虫として代表的な昆虫でした。

「あきつ」の「つ」は今で言う格助詞の「の」に当たり、「秋津」とはつまり「秋の」となり、「秋津虫」とは「秋の虫」を意味します。

「津」の用法は、高天原から降臨した神々を「天津神=天の神」、対して日本土着の神々を「国津神=国(土地)の神」と呼ぶ例や、「まつげ=目津毛=目の毛」といった現代の日本語に残っています。

つまり「秋津虫=秋の虫」で、トンボは秋の虫。なるほど。

 


意外と長命です

虫好きの方はご存じかも知れませんが、トンボの寿命は数ヶ月と長い上に、羽化の時期も春~秋と様々です。

そればかりか、中には成虫の姿で冬を越す強者もいて、実は「トンボ=秋の虫」ではありません。

ではなぜ、古代の人々はトンボを秋の虫と呼んだのか?

それは、かつて日本人の生活に馴染み深かったアキアカネ(赤とんぼ)やノシメトンボ(羽の先が茶褐色の中型のトンボ)が、産卵のため水田などの水辺を訪れるのがちょうど秋だからです。

秋の収穫時期に現れ、稲の害虫を補食しながら空を飛び回るトンボは、日本人にとって豊穣の季節の虫として象徴的な生き物。

同時にトンボは、亡くなった人の魂やその生まれ変わり、神や仏の遣いであるとも信じられておりました。

現代でも「トンボを捕ると目が潰れる」「お盆が来ない」など、大切な生き物として言い伝える地域が数多くあります。

秋、稲が重く頭を垂れる季節。

どこまでも続く黄金色の波の上。

夕暮れの空にトンボが乱舞する光景は、農家の方でなくとも一度はどこかで見た、もしくは心の中で思い描いた事があるシーンかと思います。

このような情景がどこか切なく、懐かしいように思われるのは、それが稲作が伝わった頃、3000年もの昔からこの島で幾度となく繰り返されてきた光景だからなのかもしれません。

 


トンボの交尾の形と日本の形って似てない?

このように、豊穣の秋はかつての日本人にとって最も大切な季節。

「古事記」「日本書紀」では、それぞれ本州を

「大倭豊秋津島」

「大日本豊秋津洲」

※どちらも読みは「おおやまととよあきつしま」

と表し、トンボを秋津=秋の虫と呼んだように、この島を「豊秋津島=豊かな秋の島」と呼んでいます。

有名なイザナギ、イザナミの二柱の神が本州=大倭豊秋津島を生んだとする国生み神話ですね。

同様に「日本書紀」では、初代の天皇とされる神武天皇が高地から領土を眺めた際、

「あきつの臀占(となめ)の如し」

※トンボがつがってる形にそっくりだ

と言ったため、当時の大和朝廷の支配地→後の日本を秋津と呼ぶことになった、ともあります。

臀占とは今で言う交接、動物でいう所の交尾ですね。イトトンボなどがつがうとハート形になりますが、あれです。

この場合の「秋津」はトンボの意味であり、「秋津島」は「トンボ島」、と言うかトンボの交接の形をした島、という意味になります。

「あれ? 秋津島って生まれた時から秋津島なんじゃ…」

とか、

「トンボ島の由来が男子小学生の夏休みの日記みたいなんですけど…」

などというツッコミは無しの方向でお願いします。

日本神話や古事記、日本書紀におけるこのような記述に一々ツッコミを入れていたらキリがありません。

そういった疑念が心に浮かんできた際は、江戸時代の国学者・本居宣長先生の言葉を発動して凌いで下さい。

「深く疑うべきにあらず」

※黙って聞いてろ

ただし

『このセリフ、本居さんが必死で自分に言い聞かせているようにしか聞こえない』

といった感想もまたスルーの方向でお願いします。

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