トンボの歴史

飛鳥・奈良・平安

スズメバチも喰らう秋津虫~トンボが日本人にとって特別な理由とは

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トンボ(秋津虫)と日本人
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カゲロウは儚くてヤングでナウい

さて、奈良時代以前はこのような形で実におおらかかつ素朴にトンボを愛した日本人。

平安期以降は「なんか物思いに耽ってたり悩んでる俺カッコイイ」ブームが到来したため、「豊穣」や「神武天皇の臀占発言」と言った、豊かで夫婦和合的なイメージのあるトンボは、当時の上流階級の人々の間ではあまり流行らなかったようです。

代わりにじわりと人気が出たのが蜻蛉。

あ、トンボじゃなくてカゲロウです。

「蜻蛉」は、「薄い羽のある虫」と言う意味の大陸から伝わった言葉で、読んで字のごとく、カゲロウとトンボを「蜻蛉」で一括りにしています。

ちなみに「蜻蛉」が中国語から来た言葉であるのに対して、「とんぼ」は日本語の「飛ぶ棒」「飛ぶ穂」etc.から来た言葉であると言われています。

うん、見たまんまの素直なネーミング。日本人らしいです。

トンボより遙かに柔らかい体に曖昧な体色を持つカゲロウは、夜、体の割に大きな羽を精一杯にはためかせ、微かな明かりを求めてゆらゆらと飛び回ります。

中には成虫になったその日に死んでしまう種類もあり、その儚さ、頼りなさが平安期の上流階級の人々の心をガッチリとつかみました。

元気で溌剌とした人

悩みがない

脳筋

カッコよくない!

とされたこの時代。

男も女も儚げで頼りない事が美しく、カゲロウはそのフラフラとした姿で時代の寵児となったのです。

清少納言『枕草子』の「ものづくしの段」でも、カゲロウは「をひ虫」の名で記されております。

虫は鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。をひ虫。蛍。

雅で儚げ。この時代を風靡した「あはれ」な虫達の仲間入りを果たしていたんですね。

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戦国時代に人気復活!

さて、そんな訳で素朴で明るいイメージが逆に災いして、平安期にはあまり人気のなかったトンボ。

これが戦国時代に入り再び大ブレイクします。

飛翔力や機動力、前進→補食→前進→補食といった姿が

「勝ち虫」
「勝軍虫」
「不退転」

の象徴として人気を博したのです。

元々は「古事記」にある雄略天皇の逸話

「腕を噛んだアブをトンボが捕ってくれた!この国をトンボ島と呼ぼう!」

が元ネタになっている「勝ち虫トンボ」の伝承ですね。

雄略天皇と言ったらその二つ名「大悪天皇」の名の通り、二人の兄と仁徳天皇の孫、従兄弟の二人を次々と殺害。

在位中は人を処刑することが多かったという、殺戮&粛正歴を持った方です。

今でも「倭の武王」として有名な方ではありますが、下克上が上等!の戦国期になってこのダークなエピソードからトンボ人気が急上昇してしまう辺り、

「強いが大事!」
「強い=カッコいい!」

という戦国期の気風を象徴する出来事のように思えます。

ちなみに、雄略天皇の逸話における「あれ? 秋津島って生まれた時から…」のツッコミもまた、江戸時代の本居さんの「深く疑う(略)」で対処して下さい。

戦国期においては、例えば直江兼続が「愛」の他にもトンボの前立てがついた兜を所有していたと言われておりますし、NHK大河「風林火山」においては武田信玄の家臣である板垣信方が、「利家とまつ」では前田利家が、それぞれトンボをデザインした前立てなどを身に付けていましたね。

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また、中国地方の雄、毛利元就は、戦の折、やはり当時「勝ち草」と呼ばれていた沢潟(オモダカ)にトンボが留まったのを見て

「勝ち草に勝ち虫が留まっている!今度の戦、貰った!」

と勝利を確信して戦に臨んだところ、その勢いで本当に勝ってしまったという言い伝えがあります。

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なんならトンボそのものが家紋になっている家もありますね。

そして江戸期、天下を統一したのは質実剛健を旨とする徳川家でした。

武家によって統治された世の中で、トンボもまた縁起の良い虫としての地位を保ち続けます。

戦国期から始まった勝ち虫トンボの伝承にあやかって、トンボの文様は剣道の防具や竹刀袋の柄として現在に至るまで使用されていますし、五月人形の兜の前立てなどにはトンボが使われているカッコイイものもありますね。

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明治維新後、日本が天皇を中心とした立憲君主国となると、トンボはこれまでの秋津にまつわる逸話から、国の名を冠しためでたい虫として大切にされます。

富国強兵を押し進め、列強に対抗する力を付けねばならないとされたこの時代、トンボは「秋津虫=秋の虫」というよりは「秋津の虫=日本の虫!」として人気を博しました。

前述のように「津」が「の」の意味なので、厳密には「秋津の虫」は「秋のの虫」という訳になろうかと思われますが、そこは本居さんでやり過ごして下さい。

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